志乃 後編

 私は自室で手首を切って倒れているところを大家に発見されて病院に運ばれたらしい。

 私に連絡が取れない事を心配した会社が大家に連絡し、大家は非常事態の可能性があると判断して鍵を開けて中に入ったそうだ。

 本来なら警察に通報するべきではあったが、私が本当に危険な状態だったらしいので私の両親に感謝されている。


 私の自殺未遂に責任を感じた会社は手切れ金なのか口止め料なのかわからない見舞金を渡してきた。私は少し悩んで退職金だと思って受け取る事にした。

 両親からの提案で退院後、そのまま実家に帰る事にした。…今の私には会社勤めは無理だと思うから…


 大学を出て3年…私はまだあの悪夢のような日々から抜け出せないでいる。家で出来る簡単な仕事をしながら優しい両親と弟に癒されながら生活しているが…まだ回復する気がしない…


 ある日、あの事件で知り合い、親しくなった友人の優から連絡があった。


 『志乃…あの時に捕まえられなかったクズ共がやっと捕まったわ』


 「まだ捕まってない奴がいたのね…」


 『…笹嶋 昌雄と…浅倉 小百合よ』


 「………え?」


 笹嶋 昌雄は…京介の友人…浅倉 小百合は…小百合よね?


 『浅倉がね…動いてくれたのよ』

 

 「京介が…?」


 『浅倉と小百合は結婚して仲良く暮らしてたらしいんだけど…子供がね…笹嶋と小百合の子供だったんだって…』


 「それって…」


 『そう。托卵よ…それを知った浅倉は2人の事を独自で調べたらしいわ。そして、私達に連絡を取った。志乃には連絡がなかったのかしら?』


 「…私には…何も…」


 『そう…志乃の両親が心配して伝えなかったみたいね…』


 京介は被害者達に協力を要請したらしい。2人に対して改めて被害届を出して欲しいと。被害者達もクズが捕まらずにのうのうと暮らしている事を許せなかったのだろう。数人が被害届を出した事で警察も動いてくれたそうだ。

 京介も同時に動いた。証拠を押さえられなかった連中の事はフリーのライターに情報を流し、僅かに証拠を掴めた奴らの事は強引に他県での出来事として他県の警察に通報した。

 被害者達からの通報で動くこの県の警察と他県の警察を連携させようとしたのだ。


 『笹嶋も小百合も浅倉と話した後に自首したらしいわ』


 「……自首」


 『…小百合は強姦の実行犯じゃないけど、私達を後藤達に渡した張本人だから自首したところで軽い刑じゃ済まないでしょうね』


 「…そうだったんだ…小百合は後藤達から逃げられたんだって…そう思ってたのに…」


 『…そう考えてたのは志乃だけよ。私達はずっと小百合を疑ってた』


 「…本当はなんとなく気付いてたけどね。でも…信じたかったのよ…」


 『…笹嶋が自首する前に何かしたみたいでね。今、こっちは警察の動きが活発なの。おかげで連絡の途絶えていた数人の子は無事が確認できたわ』


 「本当に!?」


 『ええ。クズの手から逃げる為に連絡手段を断って実家に帰ってる子もいたわ。…まだ何人かは所在がわからないから捜索するらしいけど…』


 「…見つかるよね?」


 『今までは捜索してなかった状態だったからね…警察が探してくれたら見つかると思うけど…無事かはわからないわね…』


 「それでも…見つかって欲しいよ…」


 『…そうね』


 ようやく全てが終わるのかもしれない…


 『…浅倉は…日に日に危うくなっているわ…』


 「……え?」


 『雰囲気がね…最初に会った時と全然違うのよ…最近は冷たい印象しか感じないわ』


 「…京介」 


 クズ共に抗い続けた私にはわかる。戦うというのは心を磨り減らす。小百合と笹嶋に裏切られ、クズと戦い続けている京介の精神は極めて不安定になっているのではないだろうか?


 『ねえ、志乃…浅倉と会ってあげてくれないかしら?私は浅倉のあんな姿を見たくないの…』


 「…私が?」


 『…多分、志乃が適任だと思う。今の浅倉は見ていて不安になるくらいだから…どうにかしてあげたいけど…私じゃ…』


 京介の気持ちがわかる…なんて事は言えないけど、私はきっと京介に近い場所にいると思う。他人を信用できない…暗い闇の中で…京介も藻掻き苦しんでいるのだろう。


 「優。教えてくれてありがとう。京介と会って話してみる」


 『お願いね。…貴女達には私達にも救われる道がある事を見せて欲しい…』


 優は私と京介とやり直せと言っているのだろうか?

 優との電話の後、両親から話を聞いた。京介は私にも協力を要請していたらしい。私の両親は私の心の心配をして京介からの要請を私に伝えずに断っていたそうだ。

 

 「心配してくれてありがとう。私はもう大丈夫だから京介の連絡先を教えて」


 「…そうか。わかったよ」


 気遣ってくれた両親にお礼を言って京介の連絡先を教えてもらった。クズ共のせいで私は番号を変えていたから連絡が取れなかったのだろう。

 両親から聞いた京介の番号は当時のままだった。電話をするきっかけがなかったから別れてから連絡をしていないけど…京介の番号はずっと残っている。



 京介が今住んでいる場所は私達の通っていた大学からそんなに離れていなかった。優は京介と直接会って情報の交換をしていた。

 久しぶりにこの街に帰ってきた。悪夢のような記憶と…京介との思い出がある街に…

 この街に滞在する間は優が1人で住んでいるアパートに泊まらせてもらう予定だ。


 「優。無理を言ってごめんね」


 「私から浅倉と話して欲しいって頼んだんだから…これくらい協力するわよ」


 今の私には友人と呼べるのは優しかいない。高校の頃の友人も疎遠になっているし…


 「浅倉には連絡したの?」


 「…まだ。やっぱり怖くて…」


 京介と会うのは怖くないけど…連絡して拒絶されるのが怖い。正直、会ってくれる可能性も低いと思っている…


 「私から聞いてみようか?」


 「…お願いできる?」


 京介の住む場所の近くにまで来たのに…最後の一歩が踏み出せない。でも…優が手を引いてくれるなら…

 優はすぐに京介と連絡をとってくれた。隣で聞いているのも怖かったので食事の準備をしながら時間を潰す事にした。

 食材を漁ってみるとほとんどレトルト食品…まあ、楽だし…分かるけどね…結局、レトルト食品を並べている間に電話が終わってしまった。


 「浅倉が会ってくれるって……何してるの?」


 「食事でも作ろうかと思ってたんだけど…もう出来てるのしかなかったわ…」


 「…買い物行こうか?」


 「…そうだね」


 優は美人だけど料理が出来ないって欠点もあるのね。なんとなく優の事が更に親しみやすく感じた。私もそんなに料理が出来るほうじゃないけど、頑張って作ったら優は喜んで食べてくれた。


 「外食以外の手料理なんて実家に帰った時しか食べられないのよね~」


 「外食でも手料理じゃないところもあるからね」


 家族以外と楽しく食事ができたのは久しぶりだ。優は明日は休みなので遅くまでいろいろと話をした。こんなに楽しい時間は久しぶりだ…


 「…もう…やめて…」


 「…優」


 先に眠った優は悪夢にうなされていた。自分を守るように縮こまって寝ている姿を見て…優もまだ闇から抜け出せていないのだと思った。



 翌日、優と一緒に喫茶店で京介と会った。京介は私と付き合っていた頃ののんびりとした優しそうな表情ではなく、どこか張り詰めたような表情をしていた。

 京介は小さな女の子を連れてきていた。1歳くらいだろうか?単語は話せるけど会話はできないくらい。京介にはとても懐いているように見える。


 「京介…久しぶりね」


 「…ああ。久しぶり」


 「…その子は?」


 「…小百合と昌雄の娘の愛美だよ…小百合から親権を奪って俺の子供にしたんだ」


 「…なんで?」


 「半分は復讐だな。昌雄はともかく、小百合は娘を愛していたからな。小百合から奪って育てる事が復讐になると思ったんだ」


 「…残り半分は?」


 「…小百合が逮捕されている間、小百合の両親はこの子を育てるのを拒否したんだ。俺は俺の事をパパと呼んでくれるこの子を見捨てられなくて…施設に入れられる前に引き取った」


 「…そう」


 半分以上は娘への愛情なのだろう。以前とは雰囲気は変わってしまったけど…京介の優しさは失われてはいないようだ。


 「京介のおかげで…あの2人が捕まったって聞いたわ」


 「…ああ。托卵について調べたら怪しい情報がいくつか出てきてね。繋いでみたら…アイツらの悪事が浮かび上がってきたんだ」


 「ありがとう。京介のおかげで私達は安心して暮らしていける」


 「…志乃…どうして…相談してくれなかったんだ?あの時…相談してくれていれば俺は…」 


 京介は独自に動いて笹嶋達に制裁を与えてくれた。当時も京介に相談していれば違う道もあったのだと思う。でも…


 「巻き込みたく…なかったの…」


 偽らざる本音。大切な人が危険な目に遭うかもしれない。それを避けたかった…


 「そう思ってくれていたとしても…俺は相談して欲しかったよ…」


 「そこまで想ってくれる貴方だから…危険な目に遭わせたくなかったのよ…」


 多分…どちらの言い分も間違えてはいないと思う。大切な人を守りたかったという気持ちは同じだったのだから…


 「今日はありがとう。当時のお前の考えを聞けてスッキリした。お前が俺から距離を置き始めた時に小百合が俺に近付いてきた事も…アイツらの企みだったんだってよ…」


 「そうみたいね…」


 「お前に避けられていたからって俺は小百合に乗り換えた。あの時、信じてあげられなくてごめん…」


 「あの時は凄くショックだったけど…冷静になって考えたらそう思われても仕方なかったと思う。同じ大学に通っているのに数ヶ月も連絡せずに距離を置いていたんだもの…」


 私達が話している間に優は京介にお願いして愛美ちゃんを抱かせてもらっていた。

 優は京介の隣に座って愛美ちゃんを抱いているけど、愛美ちゃんは京介の手をしっかりと握ったままだ。多分、離したら泣いちゃうと思う。


 「京介によく懐いているわね」


 「愛美はアイツらの子供とは思えないくらい良い子だからな」


 京介が愛美ちゃんを見る目には慈しむような優しさしかない。復讐…とか言ってたけど、本当に大切にしているのが一目でわかる。


 「京介…あ…あのね…」


 「ん?」


 「私ね…愛美ちゃんの…お母さんになりたい…」


 久しぶりに会ってお互いの考えを伝えあった。もうあの時のように想いがすれ違う事はない。だから…勇気を出して踏み出そう。


 「…いいのか?愛美はアイツらの…」


 「…京介の子供…でしょ?」


 京介に愛され、京介に懐いている子供。そんな子供に対して悪意を向けられるほど私は堕ちてはいない。


 「…条件を付けていいか?」


 「…内容によるわ」


 「少しでも困った事があったら相談してくれ。俺も何かあったら相談するようにするから…」


 「わかった」


 「…即答か。信用できないな」


 「これから信用させてあげる。だから…また私と…私とその子と一緒に1から始めましょう?」


 「…そうだな…志乃と愛美がいれば…俺はまた人を信じられるようになるかもしれない…」


 その日、私達はまた新たに始める事ができた。1年後、京介からのプロポーズを受けて結婚。愛美ちゃんも最初は懐いてくれなかったけど、最近になってママと呼んでくれるようになった。

 私の両親は最初は京介との復縁を反対していたけど、愛美ちゃんの魅力に徐々にやられたみたいだ。たまに遊びに来る時は玩具を買ってきてくれる。もっと孫が欲しいと言われたけど…今は愛美ちゃんだけで手一杯だ。だから…そのうちね。


 「愛美を普通に幸せにする。それがアイツらへの復讐だ」


 「愛美ちゃんが私達に育てられて幸せそうにしてたら…悔しいでしょうね」


 そんなのはただの口実だ。私も京介も愛美ちゃんを愛している。心から愛美ちゃんの幸せを願っている。

 今となっては京介の照れ隠しだと思う。京介は愛美ちゃんの前じゃ絶対にそんな事は言わないから…

 いつか、もし小百合が私達の前に現れたら私達家族の幸せそうなところを見せつけてやろう。それが私達の復讐。

 …でも、本当に会いに来たら…条件付きで愛美ちゃんとの時間を作ってあげても良いと思っている。私も子供を愛する母親だから…子供に会いたい気持ちが理解できるから…


 「まま。だっこ」


 「フフッ。愛美ちゃんは甘えん坊ね」


 まだ私達は闇から抜け出せた訳じゃない。でも…光は見えている。あの光に向かって進み続ければいつかは…

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