誠一郎

 俺は佐伯商事の3代目社長だ。先代の父親から社長の座を引き継いで25年…俺ももう57歳か。忙しくてこの歳まであっという間だった気がする。

 本来ならそろそろ息子である信夫に社長の引き継ぎを始めるべきなんだが…アイツは社長の器じゃない。大学を卒業して6年…この会社で働かせてはいるがサボり癖が酷い。

 突発欠勤、早退は当たり前…営業の仕事を真面目にしているかと思えばコンビニの駐車場で寝ていたり…どうしてあんな風に育ってしまったのだろうか…

 仕事にかまけて家庭を顧みなかった自覚はあるが…妻とはずっと仲良くやれているし…友人関係に問題でもあったのだろうか?


 信夫の事で頭を悩ませていたある日…藤本専務が社長室にやってきた。顔をボコボコに腫らした信夫を引き摺って…


 「藤本…何をしているんだ…」


 「…あ?娘を食い物にしてた糞餓鬼を半殺しにしただけだが?今までずっと逃げ回ってやがったが…ようやく捕まえたんだよ…」


 「…食い物?」


 藤本は信夫を床に放り投げると懐から封筒を取り出して俺の机に叩き付けた。


 「今日はこれを渡しにきたんだよ」


 封筒には退職願と書かれている…


 「待ってくれ。まずは話を…」


 「何を話せばいいんだ?この会社で働いていたせいでお前の馬鹿息子に可愛い娘を食い物にされたとでも言えば良いのか?」


 「…ど、どういう意味だ?」


 「そのままの意味だよ。俺の娘がお前の馬鹿息子の言う事に逆らったら俺はクビになってたらしいぜ?」


 「そんな事…できる訳が…」


 「できるできないじゃねぇよ…お前の馬鹿息子が娘にそう言った。だから娘は従った…13年間も従い続けたんだ!」


 13年だと?そんなに長い間…


 「済まない…愚息のせいで…」


 「謝罪なんかいらねぇよ。謝罪なんかされたところで娘の人生は返ってこない。お前さ…息子にどういう教育してきたんだよ?」


 「…息子の事はほとんど妻に任せていた…」


 「じゃあこの屑がここまでの屑になったのはお前の奥さんのせいか?」


 「…いや、私が何もしなかったからだと思う…」


 「この屑はよ…娘を犯す度に無理矢理金を握らせてたらしいんだが…1回500円だとよ?ふざけてるよなぁ!」


 まだ怒りが収まっていない藤本は床に転がっている信夫の頭を踏み付けた。信夫の愚行が酷すぎて藤本を止める気が起きない…


 「俺の娘はこのゴミ屑のせいで離婚した。頭はちょっと悪いが…気の良い義息子だったのによ…」


 「……」


 「こんな腐った会社の為に30年も必死に働いてきたなんてよ…馬鹿らしくて笑えてくるぜ…退職金はキッチリ払えよ」


 藤本とは今も2人で飲みに行くくらい親しい関係だ。先月も飲みに行っている。豪快で筋の通った頼りになる男…その藤本がここまで言うくらいだ。引き留めても聞いてくれないだろう…


 「事情は把握した。全ては愚息と私の責任だ。娘さんの事はいくら詫びても足りないと思うが…本当に申し訳ない…」


 「………」


 「長い間…この会社の為に尽くしてくれてありがとう。退職金は後日、振り込ませてもらう」


 「…誠一郎」


 「…なんだ?」


 「今まで…ありがとうございました…」


 「こちらこそな…」


 藤本は最後に信夫の腹を思いっきり蹴ってそのまま帰っていった。信夫は痛みで声をあげているからまだ生きてはいるようだ。

 隣で固まっている秘書に声を掛けた。


 「済まないが…救急車を呼んでもらえるかな?」


 「は、はい!」


 俺も責任者兼親族として病院に同行した。信夫はそのまま入院。怪我をした理由は隠しきれないので正直に話した。藤本はオフィスで信夫をタコ殴りにしたらしく…多数の目撃者がいたからな…

 俺は信夫の肩を持つ気は一切無い。全力で藤本の減刑を訴えた。懲役1年10ヶ月。執行猶予3年。執行猶予が付いたのは救いだ。問題を起こさなければ前科は付くが懲役は免れるだろう…


 俺が藤本の事で動いている間に更なる問題が起きていた。信夫が手を出していた相手は藤本の娘さんだけではなかったらしい。

 信夫は…社員の妻にも手を出していた。しかも複数。他にも関連会社の受付…学生の時の知り合いなど…多数の情報が匿名で届けられた。


 「お前は何を考えているんだ!」


 「別に…ただ女と遊んだだけだろ…」


 コイツ…どこまで腐ってるんだ…

 信夫はすぐに解雇したが…それで社員の気が収まる訳が無い。必死に詫びたが離職者は後を絶たなかった…

 3割くらいの社員が辞めたところで俺は決断を下す事にした。余力のあるうちに会社を潰し、全ての資産を使って社員の退職金にする。計算上では賄えるはずだ…足りなければ…私財を使ってでも…

 もちろん再就職先の斡旋も並行して行う。俺からの紹介を受け入れてくれるかわからないが…何もしない訳にはいかない。


 信夫の愚行が発覚してから2年…俺はできる限りの事をした。知り合いの会社に社員の再就職先になってもらったり、新しく起業する社員達のサポートをしたりと忙しくて寝る暇もあまりなかったくらいだ。

 取引先の会社に新しい取引先を仲介したりもした。会社がなくなっても人脈は残っている。全ての人が好意的に見てくれた訳ではないが…この2年…多くの縁に助けられた。

 その途中で妻が信夫に異常な額の金を渡していた事実を知った。現金で8000万。13年の間に信夫に使われた金額だ。信夫が払うべき慰謝料の一部はここから支払われていた。

 妻は私にひたすら謝ってきた。だが…妻の援助により信夫が好き放題してきた事実を考えると許す事はできなかった。

 

 「学生に渡していい金額じゃなかっただろう!」


 「し、仕方なかったのよ…」


 「何が仕方なかったと言うんだ!」


 「あの子に…脅されていたの…」


 「…何を脅されていたんだ?」


 「そ…それは…」


 「……早く言え」


 「言えないわ…」


 言えないほどの事か。考えられるのは…


 「浮気か」


 「………」


 「別れよう。今まで信夫に渡した額はお前へ請求させてもらう。弁護士を用意しておけ」


 「なんでよ!あの子が使ったのよ!私は使ってないわ!」


 「お前が渡したからだろう…」


 財産分与の比率は8:2。いろいろと使う事になったが…まだ手元に5000万ほど残っていたので俺に4000万か…家や車を手放さずに済んだのが不幸中の幸いだな。

 妻には1000万。後で3000万の慰謝料の請求が行くだろう。おそらく自己破産でもすると思う。その後は生活保護で生きていく事はできるだろう。貰った事が無いから詳しくは知らんが…


 

 私は今は元社員達のアドバイザーのような事をしている。9割の社員は再就職する事が出来た。残り1割は…のんびりしたいらしい。

 信夫は逮捕されているが…慰謝料の支払いが数千万残っている。出所後は返済に追われる事になるだろう。無論、助ける気は無い。信夫の浮気の慰謝料は自己破産をしても全て無くなる事は無いはずだ。1件ずつ審査されるらしいからな…信夫の場合は複数の浮気…慰謝料の請求は残るだろう。


 ようやく周りが落ち着いてきた…少し時間が空いてきた頃に藤本から連絡があった。飲みの誘いだった。断る理由は無い。

 居酒屋で待ち合わせた。藤本と飲むのは久しぶりだな。


 「会社を潰すとは…随分と思い切った事をしたな」


 「まあな…だが、必要だった」


 「糞餓鬼はどうしてる?」


 「脅迫罪と強姦罪で捕まってる。出てきた後も借金地獄だろうな」


 「ハッ…ざまあねぇな」


 「…娘さんは…?」


 「離婚してから家から出られなくなった…最近は少し落ち着いてきたがな…」

 

 藤本の酒を注いでやる。お互いに手酌でも気にしないが、なんとなくな…


 「…俺からは何も言えんな…」


 「ああ…できれば触れないでくれ…」


 「…お前は…今は何をしてるんだ?」


 「女房と一緒に娘の世話さ。俺なんかを誘ってくれる会社もあるが…今は娘を見てやりたいんだ…」


 「…そうか」


 「誠一郎…」


 「なんだ?」


 「…俺達が親として間違えてたのか?」


 「…どうだろうな…間違えてたからこうなったのかもしれないな…」

 

 「そうか…また、愚痴に付き合ってくれや…」


 「ああ…いつでも誘ってくれ」


 あの頃のように馬鹿笑いをしながら飲んだ訳じゃない。だけど…この静かな飲みは今の俺達に相応しい気がした…

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