紗奈 中編

 川上君とは社会人になってすぐに結婚した。ずっと付き合い続けてきた私達に川上君の両親と私の両親が早く結婚しなさいって…


 「親の言葉なんか関係ない。俺が紗奈と結婚したいんだ」


 川上君のすごく真っ直ぐな気持ちが嬉しかったから…私はプロポーズを受けた。

 川上君…秋夜との2人での生活はすごく楽しかった。社会人になってからは佐伯君にほとんど呼ばれる事はなかったけど…思い出したように突然呼び出される。半年間全く連絡が無い時もあったし、いきなり4日連続で呼び出される事もあった。

 だから私はピルを止める事ができなかった。佐伯君との子供を作るのは死んでも嫌だったし、もし秋夜との子供が出来ても佐伯君が配慮してくれるとは思わなかったから…

 最近は佐伯君がピルをくれなくなったから自分で用意している。佐伯君は私とした後に500円玉を投げてくるようになった。そのお金は持って帰って貯金箱に入れてる。前にお金を持ち帰らずに置いていった時…ラブホの受付をしていた人から忘れ物だって渡されて凄く恥ずかしかったから…また持ち帰るようになった。


 「呼び出したらすぐに来いよ。使えねぇな…」


 「…遅くなって申し訳ありませんでした…」


 呼び出されるのはいつも平日の昼過ぎだ。私はこの男から呼び出されると仕事を早退しなきゃいけない。

 昔は父さんの事で脅されていたが…今は秋夜にバラすと脅されている。佐伯君が父さんをクビにできないと知ったのは社会人になってから…私にその脅しがもう効かないとわかると…


 「結婚した相手が昔からずっと浮気をし続けていると知ったら…川上はどう思うんだろうな?」


 「………」


 脅さなきゃ女を抱けない最低な男。そんな最低な男から物みたいに扱われている私ってなんなんだろうね…

 この人はいつになったら私を解放してくれるのだろうか…?いつ呼び出されるかもわからない状況…私は子供を作りたいのに…


 「…あの…」


 「あ?」


 「私…秋夜との子供を作りたいので…もう呼び出すのはやめてくれませんか?」


 なけなしの勇気を振り絞って伝えた。私の言葉を聞いた佐伯君は大声で笑い出す。


 「クク…子供って…マジかよ…お前馬鹿じゃねぇの?オナホにガキが産める訳ねぇだろうが」


 …人間扱いされていない自覚はあった。やっぱり…ピルは止めれそうにないなぁ…


 「笑わせてくれた礼だ…今度からはちゃんと毎月呼んでやるよ…」


 佐伯君に恋人がいるという話は聞いた事が無い。多分…この人は恋愛感情とかが欠落してるんだろうな…だから私が酷いと思う事も簡単にできちゃうんだと思う…


 あれから…佐伯君に呼び出されるせいで毎月早退しなきゃいけなくなった。おかげで勤務態度の評価は最悪だ。人事は辛辣だけど、上司である女の課長は私を庇ってくれていた。


 「体調を崩しやすい人もいるんです。そうやって責め続けていると仮に彼女が辞めた時にパワハラがあったと訴えられても反論できませんよ?」


 「…しかしだね。他の社員の事を考えると…彼女だけを特別視する訳にはいかないだろう?」


 「他の社員と同一視しろと言うのであれば彼女の仕事をもっと減らさなきゃいけませんね。早退していても彼女の総合的な仕事量は他の社員より上ですので…」


 「…それは他の社員に対する侮辱かね?」


 「いいえ。禄に人の仕事を見ていない人事に対する侮辱です。川上さんは体調を崩しやすいですが、仕事に対しては人一倍真摯に取り組んでくれており、同僚からも信頼されている…というのが私の彼女に対する評価ですから」


 「…その言葉、覚えておくよ」


 「ええ。しっかりと覚えておいて下さい」


 人事部長は私を睨み付けた後に足早に立ち去っていく。課長は終始笑顔で部長に圧をかけていた。


 「課長…庇ってくれてありがとうございます…」


 「いいのよ。ウチの人事なんて社員の粗探しが仕事みたいなものだからね。貴女に問題が無くても他の事で文句を言ってきてたわよ」

 

 「いえ。私の早退が原因なので…申し訳ありませんでした…」


 「違う部署にね…毎週早退する女がいるのよ。その女、人事部長のお気に入りだから文句を言われてないらしいわ。次に人事部長が同じ事を言ってきた時のカードにするつもり」


 「はぁ…そんな人がいるんですか」


 「まあ…会社なんてそんなものよ。貴女も無理はしなくていいから。無理して倒れられるほうが問題だしね」


 「ありがとうございます」


 …早退理由が佐伯君からの呼び出しだなんて絶対に言えない。あの人はどこまで私の生活を滅茶苦茶にすれば済むのだろう。死んでくれないかな…いや、いっそのこと私が殺せばいいのかな…でも、殺したら捕まっちゃうから秋夜と一緒に暮らせなくなる…どうすればいいんだろう…



 そんな生活を続けていたある日、秋夜にクリーニングに出しておいた服を受け取りに行ってもらった。本当なら私が行く予定だったけど…私はさっきまで佐伯君に抱かれていたから行けなくなった。

 もう28か…佐伯君が死んでくれていれば私と秋夜はとっくに子供を作れていたと思う。

 警察に行く事も考えた。でも、証拠がない。録音して提出しても佐伯君が持っている音声データの内容がわからないから返り討ちにされちゃう可能性もある。

 父さんに打ち明ける事も考えたけど、父さんは血の気の多い性格だからきっと佐伯君を本当に殺しちゃうと思う。だから言えない。父さんが捕まるのは嫌だ。

 秋夜には…知られたくないし、知られたら絶対に報復しに行くと思う。だから話せない。私は秋夜と一緒に暮らしていたいから…


 いろいろ考えているうちに夕方になっていた。そろそろ晩御飯を作らないと…秋夜は私のご飯を美味しい美味しいって言っていっぱい食べてくれるから…頑張って作らなきゃね。


 晩御飯はだいたい出来た。秋夜…ちょっと遅いな。また迷子かな?秋夜はたまに近道を探して迷子になったりするから…

 とか心配してたら秋夜が帰ってきた。

 

 「ありがとう。もうすぐご飯できるから着替えてきてね」


 「ああ」


 秋夜からスーツを受け取ってクローゼットに仕舞う。秋夜はすぐに着替えてくるだろうから急いで晩御飯を並べなきゃ…

 今日の秋夜はボーッとしていた。ご飯はちゃんと食べてるから体調が悪い訳じゃなさそうだけど…何か考えているみたい。


 「…秋夜。何か悩み事でもあるの?」


 「え?」


 秋夜は私の指摘にちょっと驚いていた。秋夜は本当にわかりやすい。…私と違って隠し事とかできないんだろうなぁ…

 秋夜はちょっと考えた後にポケットから錠剤を取り出した。…私の…ピル?


 「…クリーニングに出したスーツの中に入ってた。これ…ピルだよな?」


 「…あ…」


 秋夜はこれがピルだとわかっているみたい…それはつまり…


 「…ピルを服用しているって事は…子供ができないって事…だよな?」


 「………」


 やっぱり…子供ができない事がバレている。…どうしよう…全て正直に話したら…秋夜はきっと佐伯君に何かしちゃう…


 「答えてくれ…」


 「…うん。子供ができない事は…わかってた…」


 私の言葉を聞いた秋夜は泣きそうな顔になっていた。心が痛い…


 「…なんでだ?」


 「…飲まなきゃ…子供が出来ちゃうから…」


 秋夜の質問で私の心は掻き乱されていく。話せない…でも…もう…


 「出来て良いじゃねぇか!その為に頑張ってたんだよ!」


 「違う!秋夜との子供は欲しいの!でも…アイツとの子供なんて…死んでも産みたくない…」


 秋夜との子供は欲しかった。その気持ちに偽りは無い。あの男さえいなければ…きっと私達は子供を産み、幸せな家庭を築けていたはず…


 「…アイツって誰だよ…」

 

 「…佐伯…」


 あの男の事を秋夜に話そうか悩んだ。でも…もう…話さなきゃいけない…だから…順を追って全て話そう。秋夜を刺激しないように…少しずつ…


 「佐伯…信夫か?」


 「……うん」


 「…何時からだ…?まさか…高校の頃からずっと?」


 そう…始まりは高校だった…あの男は高校に入ってすぐに…私を…


 「……うん」


 私は秋夜の質問を肯定した。それは…10年以上続くあの男との関係を認めたという事。秋夜の顔から感情が消えていく…


 「秋夜…お願い。私の話を…」


 「うるさい」


 「秋夜…?」


 「お前と話す事なんか何もない。離婚だ」


 「秋夜!待って!話を聞いて!」


 ここで話が終わったら…私は…秋夜にちゃんと謝れない。今までの事全てを話して…そのうえでちゃんと謝らないと…!


 「もう声も聞きたくない。じゃあな」


 秋夜の体に縋りついて止めようとしたけど…秋夜は私を押し退けて外に出て行ってしまった。私も慌てて外に出たけど…秋夜の車は既に出て行ってしまった…

 終わった…今までずっと耐えてきたのに…私を真っ直ぐに愛してくれる秋夜と一緒にいる事だけが私の支えだったのに…

 秋夜に電話をしたけど出てくれない…話をしたいとメッセージを送ったけど電話はかかってこなかった…

 秋夜の行きそうな場所…実家か…山田君のところかな…私は山田君の番号を知らない。だから川上のお義父さんに電話をした。


 『紗奈ちゃん。どうしたんだい?』


 「お義父さん…私…」


 泣きながらお義父さんに事情を話した。上手く言葉が紡げない。自分でも何を言っているのかわからなかったけど…お義父さんは静かに聞いてくれていた。


 『…秋夜に話を聞いてみるよ』


 「…はい」


 『詳しい話が聞けたらまた連絡する。ウチに帰ってくるかわからないから…君はもう休みなさい』


 「…はい。お願いします」


 秋夜がいなくなって酷く不安定になっているのがわかる。…私…秋夜がいないと…


 翌日、会社は休んだ。人と会いたくない。


 秋夜が出て行って2日目…また会社は休んだ。仕事なんてどうでもいい…


 秋夜が出て行って3日目…会社の事を考えるのが嫌になった。しばらく休むと伝えた。


 秋夜が出て行って4日目…お義父さんから連絡があった。秋夜が離婚する為に弁護士を雇ったそうだ。


 秋夜が出て行って5日目…私の両親がきた。


 「紗奈…何があったの?」


 「…全部…佐伯のせい」


 「川上の家から話は聞いてる。お前がウチの会社の社長の息子とずっと浮気をしていたってな…」


 「…違う」


 「違う?」


 「…高校に入ってすぐ…佐伯に犯された。父親をクビにされたくなければ言う事を聞けって…」


 「…なんだと?」


 「それからずっと…佐伯に犯され続けた。学生の頃はずっと父さんの事で脅されてた…」


 私の言葉を聞いた父さんは信じられないという顔をしていた。


 「…なんで相談しなかったんだ?」


 「佐伯は私を犯した後…必ずお金を渡してきた。これで合意だって…脅されていた証拠も無い。逆らったら父さんがクビになる。お金を無理矢理渡されていたから…私も売春していた事になる…」


 「………」


 「佐伯は…私をずっと道具みたいに使ってきた。結婚した後に子供を産みたいからもうやめてほしいってお願いしたよ?」


 「………」


 「オナホに子供なんかできる訳が無いって言われた。その後もずっと…私は佐伯に犯され続けた…500円で…」


 貯金箱を開けて床に硬貨をぶちまける。多分…100枚は軽く超えてる。


 「私が500円で買われた回数はこの硬貨の分だけ…ああ…学生の頃は千円だったよ。最初のほうは一万円だったけどね…」


 クローゼットに隠していた大きな封筒から千円札の束を出して床に撒いた。こっちは200枚以上ある。数十枚くらい一万円や五千円も混ざってるけど。


 「…もうどうでもいい。私の最後の支えだった秋夜は…もういないから…もう…どうでもいいの…」


 父さんは放心していた。母さんは泣いている。…この先…どうしようかな。会社はもう辞めよう…後は…秋夜とちゃんと離婚しよう…それくらいしなきゃね…秋夜…今までありがとう…ちゃんと謝れなくてごめんね…




 その後の事はよくわからない。父さんは会社を辞めたらしい…潰れる前に辞めたとか言ってたけど…知らない。

 私も会社を辞めた。母さんが病院に連れていってくれたから…離婚が原因で鬱状態であるみたいな事を書いてある診断書を持って退職した。…課長は…最後まで優しかった…


 「復帰できそうだったら教えてね。貴女だったら無理矢理捻じ込んであげるから…」


 母親からの伝言だったけど…課長の言葉を聞いた私は泣いた気がする…

 それからは…実家で暮らしていたと思う。外に出るのが嫌だったから…ずっと家にいた…

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