冬華 中編
両親に新一の子を妊娠した事と堕ろす気が無い事を伝えた。…少しは反対されるかと思って覚悟していたんだけど…
「そうか…冬華が考えてそう決めたなら反対はしないよ」
「ええ。出産や育児でわからない事があったら何でも聞いてちょうだい」
「…いいの?」
「産むという決断をしたのは冬華だろう?反対して欲しかったのか?」
「そういう訳じゃないけど…」
「私達は血の繋がっていない武蔵君の事だって自分の子供だと思ってるのよ。貴女が産んだ孫なら新一君との子供でも可愛がるに決まってるじゃない」
「ああ。俺達が支えてやるから…安心して産みなさい」
「…ありがとう」
私も…こんな夫婦になりたかったな。私は両親の深い愛情に感謝した。お腹をそっと撫でながら心の中で我が子に語りかける。
貴方は祝福されているよ。皆が愛してくれるから…大丈夫だよ。
両親から許可を貰えた事で気が抜けてしまった。最悪の場合は家を出て1人で育てるつもりだったから…
心に余裕が出来たので先の事を考える事にした。父さんや母さんが助けてくれるから出産までは問題ないと思う。問題はその後…片親であるのは珍しくないけど、できるならちゃんと両親からの愛情を注いであげたいと思う。
とは言え、新一とやり直す事は無理だ。愛そうと思っても愛せないくらいに気持ち悪い。…父親としてちゃんとしてくれるとも思えないしね。
この子の父親にするなら…優しくて…頼りがいがある人がいいな。武蔵みたいな…
「…それは…ダメでしょ…」
自分の頭に浮かんだ考えを振り払う。確かに武蔵も幸子と別れるから独りになるだろうけど…あの2人は愛し合っていた。別れたとしても…私が間に入っちゃいけない。…でも…武蔵の他に信頼できる男が身近にいないのも事実だ。
しばらく…考えた。武蔵はきっとそう簡単に再婚はしないと思う。だから…幸子と話をしよう。武蔵を私が貰うと言ったらどんな反応をするだろうか?泣く?怒る?…正直、わからない。浮気が発覚する少し前くらいから幸子と会っていないから…
数日後、幸子から連絡があった。私と直接会って謝罪をしたい。武蔵の家の鍵を渡したいと言われた。…好都合だけど…気が重い。私の望みを叶えるにはこの選択しかないとは思うけど…愛し合っている2人の間に入るなんて…許されない気がするから…
喫茶店で会った幸子は…疲れが顔に出ていたけど、どこか落ち着いた雰囲気を纏っていた。武蔵との別れが影響しているのは間違いないと思うけど…
「冬華…本当にごめんなさい」
「謝らなくていいわよ。事情は新一から全て聞いたから。アンタが新一の被害者だったって事は理解してる…」
新一から聞いた話と興信所の調査結果を幸子に話した。別の浮気相手の事は幸子も知らなかったそうだ。
「最初はアンタから慰謝料を貰おうかと思ってたんだけどね…違う相手から貰うからいいわ」
「え…でも…」
そうは言ったが別の浮気相手はこちらの要請を全て無視している。新一も関係を切られたみたいで実家で大人しくしてるってお義父さんが言ってたからなぁ…
無視し続けるようなら正式な手続きをして接触するつもりではある。
「さっきも言ったけど…アンタは被害者なのよ。武蔵がいないからって無理矢理迫られたんでしょ?」
「…うん。最初は無理矢理だった…」
私の推測は正しかったようだ。…何が仕方なく抱いたよ…立派な強姦じゃないの…
「適当なだけかと思ってたけど…あれは本性を隠してたわね。すっかり騙されてたわ…」
「…そうだね。最初の時…本当に怖かった」
その時に教えてくれれば…とも思ったけど…怖かったんだろうな。新一の事だけじゃなく、武蔵や私の事まで考えたのだと思う。
「だから…アンタからは慰謝料は取らない。慰謝料はね…」
「…?」
外にいた男の子をなんとなく目で追ってしまった。…お腹にいるこの子は元気な強い子に育って欲しい…だから…
「私ね…妊娠してたの」
「…新一の?」
「当然でしょ。他の男とするわけないじゃない」
「あ、うん。そうだね。ごめん…」
「あの馬鹿との子供だけど…私の子供だからね。きっと可愛いはず」
「…そうだね」
…言い辛いけど…言わなきゃいけない。幸子…ごめんね…私はやっぱり…武蔵にこの子の父親になって欲しいの…
「…だからね。武蔵を貰うわ」
「…っ」
私の言葉を聞いて驚いている幸子。やっぱり…ショックだよね。離婚したとはいえ…友人が愛する人を狙ってるだなんて…それでも…私は…
「もう浮気をする男はこりごりなのよ。私の身近で絶対に浮気をしないって信じられる男は武蔵しかいないの」
「だ…だからって…」
「アンタには悪いと思ってる。武蔵にもね。それでも私は…この子供の為に頼りにできる夫が欲しいのよ」
私の考えは伝えた。…私の言葉を聞いて幸子が復縁を目指すというならそれでも構わない。本来なら愛し合う2人が共にいるべきなのだから…私は大人しく身を引こう。
私と武蔵は始まってすらいないのだから…今までの関係でいればいいだけだ。
「冬華。…私に言えた事じゃないけど…一つだけお願いがあるの」
「…何?」
…お願いって?嫌なら嫌って言ってくれれば…
「武蔵を幸せにしてあげて。私なんかを忘れちゃうくらいに」
あれだけ武蔵の事を愛していた幸子が私に武蔵を託すという…予想外すぎる。
「…アンタはそれでいいの?再婚は無理だろうけど…武蔵はまだアンタの事を愛してるよ?」
「うん。そんな武蔵だから…幸せになって欲しいの。私じゃ無理だから…武蔵を苦しめちゃうから…冬華…お願い…」
…私には幸子がわからない。そんなに想ってるなら…なんで自分で頑張らないのよ…
…いいわよ。そこまで言うなら…もう遠慮なんかしてあげないから…
「打算で武蔵を狙っている私がアンタより幸せにできるとは思えないけど…できる限りは努力してみる。…武蔵がすぐに再婚するとは思えないからしばらく待つつもりだけどね」
「ありがとう…お願いね」
「…あの馬鹿のせいでごめんね。アンタ達…本当に良い夫婦だったのに…」
「新一の事は一生許さない…でもね…私が新一に体を許して武蔵を裏切ったのは事実だもの…」
「…そう」
浮気なんて…余程の事情が無い限りは不幸しか生まないのに…どうしてやっちゃうんだろうね…新一が馬鹿な事をしなければ…きっと皆で楽しくやれたのになぁ…
「冬華が武蔵を見てくれてるなら…安心かな」
「アンタ…これからどうする気?」
「わからないけど…しばらくは仕事に没頭する。再婚とかはまだ考えられないから」
私は幸子の言葉に少しだけトゲを感じた。新一と離婚してすぐに武蔵との再婚を考えている事を非難されているような…気のせい…いや…多分…私自身が私を責めているからそう感じたのかもしれない…
「そう。困った事があったら連絡しなさい。愚痴くらい聞いてあげるから」
「うん。ありがとう」
「新一にレイプされたのは間違いないんだから…被害届けを出したら?」
これはケジメだ。幸子が被害届を出さないと言ったら…私は幸子の事を信用しきれないと思う。
「…うん。そうする。でも…証拠になるものがないから…」
「そっか…証言だけじゃ痴情のもつれで済まされちゃうかもしれないわね…」
…私の杞憂だったみたい。幸子は本当に被害者だ。被害届を出す事を躊躇っていたのは強姦されたという明確な証拠が無いからだったみたいね。
「一応…出してはみるけどね」
「歯がゆいわね…あの馬鹿…そこまで計算してたのかしら…」
あの時に見た新一の本性…自分の我を通す為なら何だってやりそうな気がする…
「わからない。新一の事なんか…わかりたくもないよ…」
「…そうね。私にもあの馬鹿の考えは理解できないわ。いつから浮気されてたかもハッキリとわからないし…アンタには悪いけど…何かの間違いだったって思いたくもあるの…」
私に残された新一への感情は行き場を無くしていた。1人で考えている時も…間違いだったんじゃないか…なんて考えてしまう事がある。
「冬華…」
「ごめんね。あんな馬鹿でもさ…好きになって結婚したから…信じたくなくて…」
新一は最低な男だったけど…私はずっと騙されていたのかもしれないけど…あの瞬間までは本当に愛していたのよ…
「私でいいならいくらでも話を聞くよ。冬華も…辛かったよね…」
…幸子。強くなったね。だからこそ…私は自分の弱さを余計に情けなく感じた…
それからは月に何回か幸子と会っている。幸子は会う度に強くなり…とても魅力的になっていく。武蔵と別れた事は幸子の自立心を大きく成長させたのかもしれない。
以前の言葉は幸子の本心だった。幸子は本気で私と武蔵の仲を応援してくれている。だから…私は武蔵と距離を詰め始めた。武蔵からの信頼を自分の目的の為に利用しているみたいで気が重かったけどね…
数ヶ月後。私は無事に娘を出産して実家に戻った。京子と名付けた可愛い娘を私の両親はとても優しく迎えてくれた。
「冬華にそっくりね~」
「ああ。あの頃の冬華は本当に可愛かったなぁ…」
…今は可愛くないって事かしら?まあ、可愛いなんて言われて喜ぶような歳でも無いんだけどね。
…子供も無事に産まれた。次の段階に進まなきゃいけない。武蔵に連絡して家に呼び出した。ここ数カ月の間で武蔵がまだ幸子を想い続けてる事は理解している。
…それでも、私は武蔵が欲しい。打算ももちろんある。だけど…私の愚痴にいつも付き合ってくれた武蔵に…徐々に惹かれていった事も否定はしない。だから私は武蔵に再婚をお願いしようと思っている。
休日に武蔵が来た…らしい。寝ぼけながら京子にご飯をあげている時に母さんがリビングにいるって教えてくれた。
京子を抱えたままリビングに行くと…武蔵は何故か泣いていた。
「なんで泣いてんのよ?」
「あ~…いや、何でもない」
泣いていた理由はわからなかったけど、聞いても答えてくれない気がした。…とりあえず、子供が好きかどうかちょっと試させてもらおう。
「抱いてみる?」
「ちょっと怖いから…遠慮しておく」
「そう」
子供が嫌いって感じじゃなさそう。まだ小さいから抱くのが怖いだけか。
「名前は?」
「京子」
「きょうこちゃんか。可愛いな」
「ホントは強い子で強子にしたかったんだけどね~。母さんに反対されちゃった」
「冬華らしいけどな。その子からしたらあまり嬉しくないかもしれないが…」
「私からの願いは変わらないわよ。心の強い子になって欲しい」
「大丈夫だろう。お前の娘だし」
優しい顔をしながら京子の頬をつついている武蔵を見て…私は武蔵とならきっと良い家庭を築けるという確信が持てた。だから…切り出した。
「…アンタさ…再婚する気無い?」
「再婚…?誰と?」
「…私」
「…冬華と?」
「…うん」
「俺はまだ幸子の事を愛してるぞ?」
「知ってる」
無理矢理入ろうとしている自覚はある。もしかするとこの2人なら時間を置けばまた寄り添えるかもしれない…なんて事も考えていたりする。
「…それでもいいのか?」
「正直…わからないけどさ…アンタなら幸子に未練があっても…ちゃんと私に向き合ってくれると思う」
「そうか…」
きっと…武蔵にも辛い選択だと思う。私が再婚を切り出した時点で…今までの関係を維持する事は難しいだろうから…
そこまで考えておきながらそれすら利用しようとする自分の卑劣さが本当に嫌いだ…
「…こんな男でいいなら…宜しく頼む」
「…言いだしたのは私なんだから…頼んでるのはこっちでしょ」
できるだけいつもの感じのやりとりをするように意識していたけど…心の中は荒れている。武蔵が受け入れてくれた事の喜び…幸子から奪ってしまったという罪悪感。
2つの感情が胸の中をグチャグチャに掻き回して心が不安定になっている…
数日後。家に来てくれた幸子に武蔵が再婚を受けてくれた事を話した。
幸子は私の話を聞いて…祝福してくれた。以前の幸子だったら感情的になって言葉をぶつけてくるくらいの事はしたと思う。実際にそれくらいは覚悟していた。でも…幸子は私を励まして背中を押してくれた。本当に強くなったんだね…
武蔵を託してくれた幸子に感謝し、私は歩み出す。もう迷わないから…絶対に武蔵を幸せにするから…だから…幸子も幸せになってね。
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