幸子 中編

 武蔵に離婚届けと手紙を送った後に実家に私の荷物を全て送った。

 家の鍵は冬華に渡すつもり。武蔵に会えるのは冬華だけだからね。冬華にもちゃんと謝らなきゃいけないし…

 冬華にメールを送って休日に会う約束をした。…浮気がバレたあの日から連絡してないからちょっと怖かったけど…あまり怒ってる感じはしなかったな。



 休日。喫茶店で冬華と話をした。ちょっと元気がないみたいだけど…離婚した直後だから仕方ないよね。私も多分…元気には見えないだろうし。


 「冬華…本当にごめんなさい」


 「謝らなくていいわよ。事情は新一から全て聞いたから。アンタが新一の被害者だったって事は理解してる…」


 冬華から新一の事を聞いて愕然としてしまった。新一の浮気相手は私だけじゃなかったって…私と毎週してたのに?


 「最初はアンタから慰謝料を貰おうかと思ってたんだけどね…違う相手から貰うからいいわ」


 「え…でも…」


 「さっきも言ったけど…アンタは被害者なのよ。武蔵がいないからって無理矢理迫られたんでしょ?」


 「…うん。最初は無理矢理だった…」


 「適当なだけかと思ってたけど…あれは本性を隠してたわね。すっかり騙されてたわ…」


 「…そうだね。最初の時…本当に怖かった」


 「だから…アンタからは慰謝料は取らない。慰謝料はね…」


 「…?」


 冬華はお茶を飲みながら外を眺める。視線の先には小学生くらいの子供がいた。


 「私ね…妊娠してたの」


 「…新一の?」


 「当然でしょ。他の男とするわけないじゃない」


 「あ、うん。そうだね。ごめん…」


 ちょっと混乱してた。新一は浮気しまくる奴だったけど冬華は浮気とか絶対にしないタイプだ。新一との子供以外はあり得ない。


 「あの馬鹿との子供だけど…私の子供だからね。きっと可愛いはず」


 「…そうだね」


 …子供か。私も欲しかったな…


 「…だからね。武蔵を貰うわ」


 「…っ」


 今…なんて…?


 「もう浮気をする男はこりごりなのよ。私の身近で絶対に浮気をしないって信じられる男は武蔵しかいないの」


 「だ…だからって…」


 「アンタには悪いと思ってる。武蔵にもね。それでも私は…この子供の為に頼りにできる夫が欲しいのよ」


 確かに…武蔵が誰かと再婚するなら幸せにできる相手を…って祈ったけど…冬華が…いや…でも…冬華なら…


 「冬華。…私に言えた事じゃないけど…一つだけお願いがあるの」


 「…何?」


 「武蔵を幸せにしてあげて。私なんかを忘れちゃうくらいに」


 「…アンタはそれでいいの?再婚は無理だろうけど…武蔵はまだアンタの事を愛してるよ?」


 「うん。そんな武蔵だから…幸せになって欲しいの。私じゃ無理だから…武蔵を苦しめちゃうから…冬華…お願い…」


 「打算で武蔵を狙っている私がアンタより幸せにできるとは思えないけど…できる限りは努力してみる。…武蔵がすぐに再婚するとは思えないからしばらく待つつもりだけどね」


 「ありがとう…お願いね」


 「…あの馬鹿のせいでごめんね。アンタ達…本当に良い夫婦だったのに…」


 「新一の事は一生許さない…でもね…私が新一に体を許して武蔵を裏切ったのは事実だもの…」


 「…そう」


 「冬華が武蔵を見てくれてるなら…安心かな」


 「アンタ…これからどうする気?」


 「わからないけど…しばらくは仕事に没頭する。再婚とかはまだ考えられないから」


 「そう。困った事があったら連絡しなさい。愚痴くらい聞いてあげるから」


 「うん。ありがとう」


 「新一にレイプされたのは間違いないんだから…被害届けを出したら?」


 「…うん。そうする。でも…証拠になるものがないから…」


 「そっか…証言だけじゃ痴情のもつれで済まされちゃうかもしれないわね…」


 「一応…出してはみるけどね」


 「歯がゆいわね…あの馬鹿…そこまで計算してたのかしら…」


 「わからない。新一の事なんか…わかりたくもないよ…」


 「…そうね。私にもあの馬鹿の考えは理解できないわ。いつから浮気されてたかもハッキリとわからないし…アンタには悪いけど…何かの間違いだったって思いたくもあるの…」


 「冬華…」


 「ごめんね。あんな馬鹿でもさ…好きになって結婚したから…信じたくなくて…」


 「私でいいならいくらでも話を聞くよ。冬華も…辛かったよね…」


 気丈な冬華が泣くなんて初めて見た。

 …そうだよね。冬華だって傷付いてるよね…自分もいろいろ大変なのに私達の事を優先してくれる冬華も…本当に優しい。

 冬華は私と友人のままでいてくれた。武蔵に気を使って私と会ってる事は秘密にしてるんだって。




 あれから冬華とは月に何回か会っている。会う度に大きくなっていく冬華のお腹。半年も経つ頃には私も子供が欲しいと思うようになってきた。


 「そろそろ予定日?」


 「もう2ヶ月先よ。そろそろ移動するのも辛くなってきたわ…」


 「産まれたら抱かせてね」


 「ええ。外出できるようになったらね」


 「女の子だったよね?」


 「そうよ。きっと私に似るはず。新一に似てたら…浮気しないように徹底的に躾ける」


 「そうだね。浮気はダメだよね…」


 「アンタのは浮気じゃなくてレイプだから気にしないで…いや、レイプも問題よね…」


 「あはは…」


 「…少しは吹っ切れたの?」


 「全然。まだ武蔵の事を忘れられないよ。朝起きた時とか…たまに…泣いちゃうし…」


 「…私から武蔵を説得しようか?浮気じゃなくてレイプだったって…」


 「ううん…私が新一に体を許してたのは事実だから…あれは浮気なんだよ…」


 「そう…被害届けが受理されなかったのは残念だったわね…」


 「関係を持っていた証拠は冬華から貰ったゴムを鑑定した報告書が使えるらしいけど…レイプだったっていう証拠がなかったからね…弁護士に冤罪で風評被害で訴えるって言われたら強く出れなかったよ…」


 「被害届けを出す時に使えるかと思ったから武蔵に譲ってもらったんだけど…証拠としては足りなかったのね…」

 

 「痴漢と似たような扱いかもね。被害者の主張だけで捕まえたら冤罪だったって事もあるから警察も下手に動けないのかもしれない」


 「立証するのに十分な証拠って…レイプなんかいきなりされちゃうんだから証拠なんか簡単に用意できる訳ないじゃない…」


 「私が体を許しちゃってた事もただの痴情のもつれって判断される材料になっちゃったみたいなの…」


 「…納得できる訳ないじゃないの…」


 「きっと…そういうものなんだよ。抜け道があるから無くならないんじゃないかな…」


 「…ごめん。アンタには悪いけど…新一の本性を知れて助かったって思ってる…」


 「今になって思えば…電話で武蔵にバラすとか脅されたり…家にいきなり来たりしたのは証拠を残させない為だったんだろうね」


 「メールとかには証拠は残さなかったのね。こういう事に慣れてたのかしら…?」


 「さあ?今はもう連絡してこないからわからないよ。あれから…レコーダーを持ち歩く癖がついちゃった」


 「私も持ち歩く事にするわ。普通に出歩く事すら怖くなってきたから…」


 「うん…私も8年の付き合いになる知人にいきなり襲われるなんて…考えもしなかったからね」


 「そんな事をする奴と結婚してずっと傍にいたなんてね…自分の人を見る目の無さを思い知ったわよ」


 「みんな騙されてたんだから…新一が本性を隠すのが上手かっただけだと思うけど…」


 「そうだとしても…やっぱり気付いてたらって思っちゃうわよ。あの馬鹿がいなければアンタ達は…」


 「新一がいなければ…私と武蔵は今も普通に暮らしてたと思う。でも…私が終わらせちゃったから…」


 「やっぱり…もう1回武蔵と話し合ってみない?」


 「ごめん。私はもう武蔵を苦しめたくないの。武蔵は優しいから…事情を知ったら自分の心を殺してでも私を優先するよ。冬華は…それに耐えられる?」


 「…そんな武蔵を見守り続ける自信はないわね」


 「…多分ね。私が武蔵に付けた傷は私じゃ癒やせないと思う。だから…冬華に癒してあげて欲しいの。

 私と武蔵の事をそれだけ親身になって考えてくれる冬華になら…安心して任せられるから…」


 「できるだけ…ね。はぁ…あの馬鹿に殺意すら湧いてきたわ…」


 「私は次に新一と会ったら…自分でも何をするかわからないかな…」


 「馬鹿な真似はやめなさいよ。法的に罰せられなくて悔しい気持ちはわかるけど…」


 「まあ…会わない事を祈るしかないね」


 レコーダーと一緒にスタンガンを持ち歩いている事は冬華には話さない。あくまでも護身用のつもりだからね。


 「ん~…冬華のお腹を見てたら私も子供が欲しいとは思うんだけどね」


 新一の話なんかしてても楽しくない。出産が近い冬華とはしばらく会えなくなるから…楽しい話をしなきゃ。


 「私、考えたんだけどね…自営業とかなら出張があっても短期間だと思うのよ」


 「いきなり何よ…」


 「アンタは結婚したら相手とあまり離れるのは嫌なんでしょう?自営業の人と結婚して一緒に働くのが1番じゃない?」


 「自営業…」


 「意外と独り身は多いわよ。美容師とか…」


 「う~ん…」


 「私と武蔵が再婚できたとしても…アンタが独身だと怖いってのが本音ね」


 「正直だね…大丈夫だよ…」


 「アンタ達の仲の良さはずっと見てたからね。警戒するのは当然でしょ?」


 「そっか。まあ…そろそろ再婚してもいいかなって気にはなってるよ。1人は寂しいし…子供も欲しいからね」


 「産まれた子供を抱かせたら再婚する意欲が高まりそうね」


 「冬華…やり方がズルいよ…」


 冬華は凄いなぁ…冬華が全く気にしてないから…新一の子供なのに早く抱いてみたいとか思っちゃう。

 …そうだよね。産まれてくる子供は何も悪くなんかないもの。祝福してあげなきゃ…

 

 

 3ヶ月後…無事に出産した冬華は子供と一緒に退院して実家に帰ってきたそうだ。

 出産祝いを買うために酒屋に来ている。…出産祝いにお酒ってどうなんだろうね。冬華は絶対に喜ぶと思うからいいか。

 初めて入った小さな酒屋。地酒の種類が豊富だ。私の知らないお酒もある。なんとなく入ってみたけど穴場かもしれない…

 日本酒を贈ろうと思って陳列してある棚の前で悩んでいた。お酒を贈る時は銘柄も重要。銘柄に福や吉とかが入った物が良い事があった時の贈り物として適している。


 「贈り物か?」


 少し見た目が怖い感じの店員さんが話しかけてきた。私より少し上くらいかな…?


 「友人が子供を出産したので…出産祝いを探してます」


 「なるほど。そういう時に贈るのはこの辺りだな」


 店員さんが何本か選んでくれた。新の字が入っているお酒は候補から外す。私が惹かれたのは幸の字が入ったお酒。私からの贈り物だからね。


 「これを包んでもらえますか?」


 「ああ」


 口調はちょっと接客向きじゃないけど手際はとても丁寧だ。専用の箱に入れて包装紙で包むかと思っていたけど…熨斗紙を付けてお酒の名前が見えるようにしてある。…なるほど。包装紙で包んだらお酒の名前が見えないもんね。これなら飲む時まで飾っておけそう。


 「出産直後ならすぐに飲まないと思うからな。こんな感じでどうだ?」


 「とても良いですね。これならきっと喜んでくれると思います」


 「そうか」


 ちょっとぶっきらぼうだけど気の利くいい人みたい。また買いにこようと心に決めて店を後にした。

 冬華の実家に行ってお酒を渡す。外で会ってこんな荷物を渡しても困っちゃうだろうからね。

 冬華の実家の近くには武蔵と一緒に暮らしていた家がある。…少しだけ見ていく事にした。家を見るだけだよ。武蔵には…会っちゃいけないからね…

 遠くから少しだけ武蔵の家を観察した。私が趣味で育てていた花壇の花もちゃんとお世話してくれているみたい。…武蔵らしいな。花が元気に育っているなら武蔵も元気にやっているのだと思う事にして冬華の家に向かった。


 「おや。幸子さん。いらっしゃい」


 おじさんはリビングまで案内してくれた後に冬華を呼びに行ってくれた。おじさんは多分…私への接し方がわからないんだろうな…私もだけど…

 リビングで待っていると髪の毛が爆発した冬華が子供を抱えて来てくれた。…まあ、私だからいいけどさ…ちょっとは身嗜みをね…


 「見て。私の娘よ」


 冬華はドヤ顔で娘を自慢してきた。むぅ…悔しいけど…可愛いなぁ…


 「抱く?」


 「う…うん」


 赤ちゃんの首に気を付けて優しく抱き抱える。パッチリとした目が可愛い。もぞもぞ動いているのは落ち着かないからかな?


 「可愛いでしょ?」


 「うん…すごく可愛い…」


 赤ちゃんは私に抱かれながらも冬華のほうを見ている。やっぱりお母さんが1番なんだね。…私の子供だったら…私の事を見てくれるのかな?


 「…幸子。ごめんね」


 「何が?」


 「数日前に…武蔵に私と再婚してって頼んだ」


 「…それで?」


 「武蔵は…受けてくれたよ…」


 「…そう。おめでとう」


 私からお願いしたんだから…冬華が謝る事なんて無いのにね…


 「受けてくれる前にね…まだ幸子の事を愛してるって言われた…」


 「……」


 「打算とか言ってたのにさ…幸子に嫉妬しちゃったわよ…」


 これは…冬華なりの懺悔?それとも愚痴?


 「私は卑怯だね…武蔵の心の隙間を狙って再婚をお願いしてさ…そんな立場なのに2人の仲を妬んでる…」


 「冬華。やめて」


 「…それでも…嬉しかったの…幸子の事を愛しているけど…私の事も見てくれるって言われた気がして…」


 「…それなら私からもこう言ってあげる。冬華…貴女が武蔵を幸せにしてあげて」


 きっと…冬華は許されたかったんだ。冬華は別に悪い事はしてないけど…私から武蔵を奪ったように感じているのだろう。

 浮気を嫌う冬華だから…人一倍葛藤があるのかもしれない…


 「…本当にいいの?」


 「そんな気持ちで武蔵と再婚しても…いつか壊れちゃう。冬華は武蔵と幸せになる事だけを考えて。私は大丈夫だから…」


 「幸子…ごめん…ごめんね…」


 「私はおめでとうって言ったんだよ?武蔵と冬華ならきっと幸せになれるから…」


 「うん…ありがとう…」


 私だって泣きたいけど…今はダメ。今泣いたら冬華が引き摺っちゃうから…今は笑顔で背中を押してあげなきゃいけない。

 武蔵の元妻として…冬華の友人としてね…

 2人とも…本当におめでとう…末永くお幸せにね…

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