武蔵 後編
幸子は離婚届けと一緒に手紙を送ってきた。手紙の内容は浮気の謝罪が半分と…今までの感謝が半分だったな。
冬華も新一と別れたそうだ。新一の主張を聞いて…俺は新一に慰謝料として150万の請求をする事にした。
幸子が寂しそうだったから慰めただけ
武蔵に幸子の事を頼まれたから仕方なく
避妊はちゃんとしていた
愛しているのは冬華だけ
武蔵が出張に行かなければ良かった
自分はむしろ被害者
武蔵から慰謝料をもらってやり直そう
適当だけど気のいい奴とか思ってたんだけどな…ただのバカだったみたいだ。
複数のゴムの鑑定結果は全て新一のDNAだった。慰謝料は新一だけに請求するとしよう。
冬華は容赦せずに400万請求したらしい。新一の弁護士が頑張って減額しようとしたが…話し合いの場に同席した新一の両親が馬鹿息子はもっと払うべきだと言いだしたので減額できなかったとか。
新一の両親は当日になって話し合いから逃げ出そうとしていた新一を実家から連行してくれてきたそうだ。
俺は幸子の両親とはちゃんと話をした。幸子の両親には幸子の浮気が決め手だが俺の出張で寂しい思いをさせた事が原因だから幸子を責めないで欲しいとお願いした。
愚かな娘で申し訳ないと謝罪され…今までありがとうと感謝された。
半年の出張を終えて家に帰った。…俺の家って…こんなに広かったんだな。幸子の私物は全て無くなっている。
俺が高校1年の時…両親が交通事故で死んでからずっと1人で住んでいた。未成年だったから叔母さんがいろいろ手伝ってくれたな。
叔母さんは一緒に住もうって言ってくれたけど…両親との思い出が詰まったこの家から離れたくなかった。
大学の時に幸子と同棲を始めてからは毎日が楽しくて…寂しく感じる暇もなかったな。その幸子ももういない。今更になって…涙が出てきた。幸子と暮らした数年間は本当に幸せだったよ。
会社に戻った後は通常の勤務になる。ただ黙々と仕事をしていた。帰っても誰もいないから…仕事をしている時間だけが人と接する時間だ。
離婚した事は会社に伝えてある。出張中に浮気をされたと上司に伝えるとすごい申し訳なさそうな顔をされたけど…立場上、頭を下げる事が問題になったりする事もある。管理職って辛いよな。
金曜の夜に冬華が酒を持参して飲みにきた。冬華も今は実家に戻ってきている。コイツ…妊娠してるじゃん…
「阿呆か。妊婦が酒飲むな」
「飲まなきゃやってらんないわよ。今日だけでいいからさ…付き合ってよ」
俺と冬華は酒が好きだ。冬華と同じ大学に通っていた俺は冬華に誘われて一緒に入った飲みサーで幸子や新一と知り合った。
冬華と同じ近場の大学に通っていたのは冬華の両親が俺の事を心配してくれたから。俺自身が家から離れたくなかった事が1番の理由だけどな。
冬華は妊娠5ヶ月目らしい。逆算すると俺達が離婚する直前。幸子と新一が関係を持ってた頃かな。新一と離婚した後に気付いたらしい。認知は必ずさせると新一の親と話はついてるそうだ。新一本人はまだ認めてないらしいけど…
「飲みすぎないなら付き合ってやる」
「うん。まあ…今日は愚痴りたいだけだからそんなに飲まなくていいんだけどね…」
しばらくテレビのバラエティー番組を見てくだらない話をしながら飲んだ。
「アンタはもう吹っ切れてんの?」
「いや。幸子の事はまだ愛してるぞ」
「…なんで別れたのよ」
「信じられなくなったから。2度としないって信じられたら…別れなかっただろうな」
「愛してても信じられないか…そんなものなのかもね…」
冬華はアルコール度数が低いハイボールを飲みながら遠い目をしている。
「お前はどうなんだ?」
「どうかな…浮気をするような馬鹿だったけどさ…一緒に暮らしてるとそんなに悪い夫でもなかったのよ…」
冬華と新一は本当に仲が良かった。キツい性格の冬華を適当な新一が受け流す。喧嘩ばかりしているように見えたけど…じゃれ合ってるだけだったからな。親しくないと見てもわからないかもしれないけど。
「…俺も幸子の事を忘れられてないからさ。何も言えないな」
「浮気って…結構身近にあるんだね…」
冬華の両親は仲が良い。そんな両親を見て育った冬華は浮気を許すという考えは持てないのかもしれないな。
「そうだな。ちょっと考えたらリスクが大きいからしないと思うけど…する人はするんだろう」
「そっか…愛し合ってるだけじゃ…ダメなんだね…」
「どうだろうな。普通はそれだけで十分な気もするけど…結婚してても所詮は他人だ。浮気を完璧に防ぐ事はできないのかもしれないな…」
「アンタさ…他の誰かと再婚とか考えてるの?」
「全く」
「そう。それならこれからも私の愚痴に付き合いなさいよ」
「…酒はほどほどにな」
「わかってるわよ」
再婚…か。こんな気持ちのままじゃ…難しいだろうな。
5ヶ月後…冬華は無事に女の子を出産した。堕ろす気は全くなかったらしい。自分の子供を殺すなんてあり得ないだそうだ。冬華らしいな。
退院したから休日に家に来いと呼び出された。娘を自慢したいらしい。近所だから別にいいけど…
冬華の実家か。何年ぶりだろうな。大学に通い始めた頃はまだ来てたと思うけど…お互いに恋人が出来たからな。それからは来てないと思う。
冬華の実家にお邪魔させてもらうとおじさん達に熱烈な歓迎をされた。
「おお。武蔵君。久しぶりじゃないか」
「ご無沙汰してます」
「私はたまにお話するけどね」
おばさんとはスーパーとかでたまに会う。つい長話をしちゃうんだよな…
「冬華に娘を見に来いって言われまして…」
「可愛いぞ~」
「可愛いわよね~」
ちょっと心配してたけど…溺愛されているようで何よりだ。
おじさん達に案内されて冬華の部屋に行く。娘と一緒に部屋で寝ているらしい。
部屋を覗いてみると冬華も赤ちゃんも眠っていた。…寝相はそっくりだな。顔はよく見えないからわからないが…
おじさん達と一緒に部屋の外から眺めていたら赤ちゃんが愚図りだした。冬華はその声を聞いてすぐに目覚める。赤ちゃんをあやしながら自分の服を…
俺はその場から逃げた。別に見てもいいんだけど…冬華に弱味を握られると後が怖い。
リビングでテレビを見ながらのんびり待つ。赤ちゃんの食事が終わったら起きてくるだろう。
赤ちゃん…か。幸子と頑張ったけど…結局できなかったな。別れなければ…今頃は俺達にもできてたかもしれないな…
ハハ…『俺達』か…別れて1年近く経つのに全然吹っ切れてないな…
「なんで泣いてんのよ?」
「あ~…いや、何でもない」
冬華が赤ちゃんを抱きながらリビングに入ってきた。寝起きで髪がボサボサだけど…ここは冬華の実家だから気にしてないんだろう。
「抱いてみる?」
「ちょっと怖いから…遠慮しておく」
「そう」
「名前は?」
「京子」
「きょうこちゃんか。可愛いな」
「ホントは強い子で強子にしたかったんだけどね~。母さんに反対されちゃった」
「冬華らしいけどな。その子からしたらあまり嬉しくないかもしれないが…」
強子は知り合いにはいないな。探せばいる名前だとは思うが…
「私からの願いは変わらないわよ。心の強い子になって欲しい」
「大丈夫だろう。お前の娘だし」
柔らかそうな頬を指でつつく。ぷにぷに。
「…アンタさ…再婚する気無い?」
「再婚…?誰と?」
「…私」
「…冬華と?」
「…うん」
冬華と再婚か。考えた事もなかった。
「俺はまだ幸子の事を愛してるぞ?」
「知ってる」
「…それでもいいのか?」
「正直…わからないけどさ…アンタなら幸子に未練があっても…ちゃんと私に向き合ってくれると思う」
「そうか…」
多分…俺は幸子の事を簡単に忘れられない。冬華はそれでも良いと言ってくれる。
「…こんな男でいいなら…宜しく頼む」
「…言いだしたのは私なんだから…頼んでるのはこっちでしょ」
冬華の気持ちも…きっと普通の恋愛感情じゃないと思う。…お互いに身近な存在で妥協したんだと思う。
でも…それは決して悪い事じゃない。お互いにコイツとなら再婚してもいいかな~と思えるくらいの好意はあったのだから。
半年後。冬華と再婚した俺は俺の家で一緒に暮らしている。結婚してから冬華の両親はほとんど毎日俺の家にいる気がする。…なんだろうな。凄く懐かしい感じだ。
冬華はあっさり俺の家に馴染んだ。まあ…昔からよく来てたからな。住み始めたその日に幸子の使っていた部屋に自分の荷物を運んでこう言った。
「ここはもう私の部屋だから。幸子の部屋じゃないからね」
幸子に対しての対抗心丸出しじゃねぇかよ。…まあ、いいけどさ。
京子は俺に懐いてくれた。京子は新一とは会った事がないらしいからな。俺の事を父親だと認識しているのだろう。
いずれはちゃんと教えるつもりだ。その時まで…いや、その先もずっと父親であり続けたいと思っている。
本当の父親じゃなくても…本当の父親以上に愛してやればいいだけだ。子供は前から欲しかったしな。血の繋がった娘じゃなくても冬華の娘…俺の大切な家族。俺が抱くと無邪気な笑顔を見せてくれる京子。可愛すぎる。もう手放せないな…
新一は離婚した後は実家に住んでいたが…どこかに逃亡したそうだ。冬華への慰謝料を新一の両親が肩代わりしてくれていたから肩身が狭かったんだろうな。新一の両親は逃亡した新一の事を完全に見限っているらしい。
最近は新一の両親もたまに俺の家に来る。離婚しても血縁は消えない。冬華は新一の両親とは良い関係みたいだから孫に会わせてあげたいって頼まれた。
幸子を寝取ったのは新一だ。別に新一の両親が悪いわけじゃないと思っているから俺はまったく気にしてない。
家に来る度に謝られるからこっちが悪い事をしたような気になるんだが……いや、新一の両親から見たら俺は孫を奪った男になるのか?…よくわからん。
京子の周りは少し複雑な人間関係ではあるが、全員が京子の事を大切に思っている。だから…これでいいんじゃないかな。
4年後…冬華に聞いたが幸子は酒屋を営んでいる男と再婚していたらしい。自営業なら長期の出張とか無い気がするから幸子も寂しくはないだろう。
妻としての愛はもう無いが…この家で2人で過ごした事は忘れていない。俺が勝手に幸子の事をまだ家族同然だと思っているだけだ。…だから、幸子が幸せになってくれればそれでいい。
俺と冬華の子供が生まれた。元気な男の子だ。冬華が小次郎って名前を付けたがっていたけど却下した。巌流島で斬り合わなきゃいけない未来が見えた気がしたから。行った事なんかないけどな。強そうな名前が良いって事で猛…たけるにしたよ。
最初は幼なじみとしていろいろ思う所はあったから冬華とはしてなかったんだけど…冬華に襲われてからは普通に愛し合うようになった。きっかけって大事なんだな。
京子も猛にベッタリだし…本当に良い家族になったと思う。
「京子は昔の冬華にそっくりだな。しっかりしたお姉ちゃんになりそうだ」
「武蔵は子供の頃の事…覚えてるの?」
「なんとなくだけどな」
元気な冬華にあちこち連れ回されたり…意味もわからずに結婚の約束をしたりしてたな。…恥ずかしいから言わないが…俺だけ覚えてたら気まずいし…
「そう。…ねえ、武蔵。幸子の事…どう思ってるの?」
「まだ愛してるよ。家族としてね」
「そうよね…」
「妻として愛してるのは冬華だけだ」
「ふ~ん…ならいいわ」
お互いの妥協から始まった関係。それでも今は満足している。今なら冬華の事を1番愛していると言えるから。可愛い子供も2人いるしな。これで幸せじゃないなんて言える訳がない。夢にまで見た温かい家庭を持つ事が出来たのだから…
幸子と別れた事で諦めかけていた夢を…冬華と京子が繋いでくれたんだ。
この家で家族で楽しく過ごしていると…俺の両親が喜んでくれている気がする。
父さん。母さん。俺はもう大丈夫だよ。父さん達と暮らしていたあの頃のように…幸せに包まれているから…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます