幸子 前編

 大学で知り合った武蔵と結婚してから…私は満たされていた。武蔵はいつも私の事を気遣ってくれる。包み込むような優しいセックスも気持ちいいし…不満なんて何一つない幸せな生活。

 そんな生活は突然終わりを告げた。武蔵の急な出張のせいで…

 私は行かないで欲しいとお願いしたけど、武蔵は適任者が自分しかいないからって聞いてくれなかった。私だって仕事をしているから武蔵の言い分はわかる。それでも…嫌なものは嫌なのよ…

 毎月帰ってくると約束してくれたから渋々承諾した。あまり我が儘を言って武蔵に嫌われたくないから…


 武蔵が出張に行って数日。もう限界が来ていた。武蔵の家は広いから1人で過ごすには寂しすぎる。毎晩電話で話しているけど…やっぱり寂しい。武蔵…会いたいよ…



 1ヶ月後…約束通り武蔵が帰ってきた。金曜日の深夜になるから寝てていいと言われたけど…頑張って起きていた。ずっと会いたかったから…武蔵が疲れているのはわかってたけど…我慢できずに襲ってしまった。

 土曜日は2人で家でのんびりと過ごした。1ヶ月前まで当たり前だったのに…今はこの時間がとても貴重に感じる。…行かないで欲しいって言ったら…残ってくれないかな?…無理だよね…


 日曜日…武蔵は出張先に帰ってしまった。つい数時間前まで一緒に過ごしていたのが嘘みたい。家の中にはテレビの音だけが虚しく響く…次に会えるのは…また1ヶ月後か…



 休日に新一が飲みにきた。冬華は用事があるとかで暇なんだって。飲みながら武蔵がいなくて寂しいって愚痴ってたら新一が迫ってきた。


 「武蔵に幸子の事を頼まれてるからよ…寂しくないように抱いてやるよ」


 私は全力で抵抗したけど…新一の腕力の前では無力だった。感じたくないのに…武蔵がいなくてしてないから体が勝手に感じてしまう。

 

 「こんなのただの遊びだって。別に武蔵から奪おうなんて考えてないからさ…素直に楽しんじまえよ」


 新一がこんなに最低な男だったなんて…でも…そんな男に抱かれて体が喜んでしまっている私も最低なんだろうな…。武蔵…ごめん…



 それからは定期的に呼び出されるようになった。会うときはラブホを利用している。新一に抱かれたい訳じゃない…武蔵に知られたくないだけ。

 新一は私の気持ちなんかお構いなしにいきなり家に来たりするから…何回かは家でしちゃったけど…私達の家を穢したくないの…それくらい気を使ってよ…

 抱かれる度に罪悪感が私を苛んだけど…体は感じている。思うようにならない自分の体を心の底から憎んだ…



 3ヶ月目…明日は武蔵が帰ってくる。武蔵に会いたいという気持ちと…武蔵に顔向けできないという気持ちで不安定になってしまっている。…だから…新一の突然の誘いに乗ってしまった。


 「明日は武蔵が帰ってくるんだろ?明日はしなくてもいいように満足させてやるよ」


 「…武蔵にしてもらうから…いい…」


 「はぁ?武蔵じゃ満足できないだろうが。俺用の体になってんだからよ」


 新一は何を言っているのだろう?正直、武蔵のほうが圧倒的に気持ちいい。欲求不満の状態じゃなければ…新一の乱暴なだけのセックスじゃまったく満足できない。


 「武蔵のほうが気持ちいい」


 「…あ?そんな事言うんだ。ふ~ん。今日は帰れると思うなよ。一晩中やってやるよ」


 …明日、仕事なんだけどなぁ…断ると武蔵が帰ってきた時にグチグチ言ってきそうだから…仕方なく受け入れた。



 翌朝…新一が朝早くから誰かと電話している。…うるさいな…アンタのせいで寝不足なんだから寝かせてよ…


 「朝からうるさい」


 私がそう言ったのに新一はまだ誰かと話していた。…武蔵なら私が隣で寝てる時に電話なんかしないのに…本当に最低…


 「おい!馬鹿!さっさと起きろ!」


 「…何よ…?」


 「武蔵にバレた…」


 「…バレたって…」


 一瞬で目が覚めた。


 「電話中にお前が話しかけるからだろうが!」


 「…ねえ…本当にバレたの?…冗談だよね?」


 「マジだって!クソが!」


 新一はまたスマホを弄り出す。誰かに電話をかけるみたい。

 …武蔵にバレた…でも、私に電話がかかってこない。もしかしてバレてない?いや…愛想を尽かされたのかもしれない…

 頭の中がグルグルしている。現実を認めたくない。嘘であって欲しい…



 その後…新一はすぐに出ていった。仕事は休むそうだ。

 私は…家に帰るのが怖かったから…会社に向かった。でも…その日は何をしたかよく覚えていない。

 

 冬華から届いていたメール…


 夜にウチに集合して話し合いをしましょう


 返信はしていない。電話も怖くてできない。冬華からこの内容のメールが届いたって事は新一は誤魔化しきれなかったみたいね…


 家に帰ると明かりが点いていた。…武蔵がいるの?こんな早い時間から…?


 「お帰り」


 武蔵が出迎えてくれた。ずっと会いたかったけど…今は顔を見るのも辛い…


 「…ただいま」


 「冬華から話は聞いた?」


 「…まだ電話してない」


 「そうか…メール来てた?」


 「見た」


 …夜に話し合いをしたいってメール…


 「じゃあ、着替えたら行こうか」


 「行かない」


 「なんで?」


 「離婚とか…したくない」


 話し合いなんてしたら…絶対に離婚されちゃう…行きたくなんてない…


 「幸子は…それだけの事をしたんだよ」


 「嫌…」


 「そこまで俺の事を想ってくれてるなら…なんで浮気なんかしたんだよ…」


 「…寂しかったの。ずっと一緒にいたのに…半年もなんて…」


 「………」


 「武蔵が悪いの…」


 嘘だ。武蔵は何も悪くない。いつだって私に優しかったし…今も怒らずに私の話をちゃんと聞いてくれている。悪いのは私…それなのに武蔵の気を惹く為にこんな事を言ってしまう…本当に最低…

 新一相手に浮気をしていたつもりなんて全くないけど…体を許したのは事実。浮気…なんだよね…


 「もし…俺が怪我や病気で半年間入院したら浮気されてたって事かな?」


 「しないよ!武蔵が傍にいてくれたら…浮気なんて絶対にしなかった…」


 「出張より入院のほうが大変だよ。動けないから負担もかかるだろうし…ストレスは出張の比じゃないと思う」


 「………」


 「別れよう。幸子の事は愛しているけど…信用できなくなったから…」


 「…う…ううっ…」


 もう…無理なんだね…ごめんなさい…

 私が泣いていると武蔵は何も言わずに抱きしめてくれた…こんなにも私の事を想ってくれている優しい人を裏切ってしまった…

 黙って私を慰めてくれる武蔵に甘える。

 もう…一緒にいられないのはわかってる…でも、時間の許す限りは…

 夜に同じベッドで寝たいとお願いした。隣に武蔵がいる…それだけで凄く安心できた。


 「武蔵との子供…欲しかったな…」


 思わず出た本音に…自分で泣いてしまった。できてたら…可愛かっただろうなぁ…

 武蔵は私が寝るまでずっと抱きしめてくれていた…本当にごめんね…



 土曜日…武蔵とデートをした。付き合いだした頃みたいで本当に楽しかった…まるであの頃に戻ったようにはしゃいでしまった。

 武蔵と一緒にいられる時間はもう僅か…だから…少しでも2人の時間を大切にしたかった。本当に楽しかったよ…

 夜はまた一緒に寝てほしいとお願いした。武蔵の大きな手を握っているだけで温かい気持ちになれる。…このまま…朝が来なければいいのに…



 日曜日…武蔵とこれからの話をした。武蔵が作ってくれた幸せな時間はお終い。私は現実を見なきゃいけない。

 私が役場に行って離婚届けをもらう。そして自分の記入欄に記入して武蔵が住んでいる社宅に郵送する。

 これは私が武蔵から信用されていないという事だ。武蔵のほうから送られてきたら私は多分…役場に提出できないからね…



 「別れなきゃ…いけないんだよね…」


 「ああ。別れよう」


 「離婚届け…ちゃんと書いて送るね…」


 私達だけじゃなくて冬華達も離婚するって…私と新一が壊しちゃったんだから…私は武蔵の妻としての最後の役目を果たさなきゃいけない。


 「ああ…」


 「…本当にごめんなさい…」


 武蔵は私に慰謝料とかは請求しないそうだ。今までの感謝と相殺だって笑って言ってた。武蔵の嘘つき…本当に優しいんだから…


 「怒ってないよ」


 「…もう…会えないんだよね」


 会わないようにするのはお互いの為。いつでも会えるなんて言われたら私は武蔵から離れられない。武蔵を苦しめる事になるってわかっててもきっと我慢できないから…


 「そうだね」


 「武蔵…愛してたよ…」


 心からの言葉。言ってはいけないけど…もう言えなくなると思うと我慢できなかった。


 「ああ…愛しているよ」


 私みたいな女をここまで愛してくれた武蔵なら…きっと誰が相手でも幸せにしてあげられると思う。だから…その相手が武蔵を幸せにしてくれる相手である事を祈ろうと思う。


 武蔵は昼に出て行ってしまった。泣かないように頑張ってたけど…武蔵の姿をもう見る事ができないと思うと我慢できなかった。

 武蔵…本当にごめんなさい。今までありがとう…

 

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