第107話「ハルトの告白」

 その後も季節はめぐり、日々は矢のように過ぎ去っていく。

 大陸統一国家の樹立は、最初期には多少の混乱があったものの長きにわたる大陸間戦争が終結したことは大歓迎されて、民心は安定の一途をたどっていた。


 ルティアーナ王国では、内政改革が本格化して教会の僧侶や貴族に加えて平民の代表を招集した議会なるものがスタートし、より公平な国政が行われるようになった。

 最初の議長に選出されたのは、あの大陸間戦争をしぶとく生き延びて国の元勲げんくんとなったミンチ伯爵でハルトを驚かせた。


 英雄の風評だけで、実質は無能であるミンチ伯爵が議長になり議会運営がどうなることかと心配されたが、そこは『類まれなる幸運』の天与の才能タレントの持ち主。

 国の元勲として居座ってるミンチ議長が何もできないことが急進的な意見を抑える結果となり、意外にも緩やかな発展の助けとなった。


 実際に統治するルクレティアにはまだ若さに不安も残るが、しっかりと戦後も王女を支えているクレイ准将や先王とその廷臣たちがいるから大丈夫だろう。


 バルバス帝国では、皇妃となったヴィクトリアが帝国軍を動員して新体制に反抗する貴族軍を各地で打ち破り、体制の強化を進めている。

 こちらはヴィクトリアに忠実で有能な将軍たちがたくさん残っているので、まずは心配ないだろう。


 そうして、ハルトの治める旧アリキア辺境伯領、改めアリキア王国ではナントの港との商いが大成功して繁栄を謳歌していた。

 ハルト自身も、大陸の統一王が住むにはちょっとささやかすぎるアリキアの領主の館で、日がな一日のんびりと読書する生活に戻っている。


 ハルトの統一王としての仕事は、両国から送られてくるデータを読んで助言をもたらす程度で、前とそんなにやることは変わらない。

 たまに王族としての儀式に駆り出されるのだけは辟易へきえきするが、ほとんど働かずにのんびり暮らすという夢は叶ったと言っていい。


「ハルト様、コーヒーのおかわりはいかがですか」

「ありがとう」


 いつもどおりエリーゼが美味しいコーヒーを淹れてくれる。

 それを一口飲むと、苦味ばしった良い味わいが広がる。


「あれ、どうしたシルフィー」


 何やら物言いげな顔でやってきたのに、シルフィーはさっきからソワソワとしてソファーで立ったり座ったりしているので、ハルトは見るに見かねて尋ねる。


「あ、あのハルト様」

「うん」


「結婚っていいですよね!」


 ハルトと、エリーゼが一斉にコーヒーをブッと噴き出す。


「あ、貴女ね!」


 エリーゼが慌ててシルフィーに飛びかかっていく。


「だって、エリーゼ先輩が言えって言ったんじゃないですかー」

「もっと自然な話の持っていきかたってものがあるでしょう」


 バタバタと取っ組み合いをやっている二人に、ハルトは肩をすくめて言う。


「えっと、どういうことだエリーゼ」

「あのですねハルト様、ちょっと言いにくい話というか私としてもまったく本意ではないんですけど、このアリキアの地で王となられたからには主要三種族との血の繋がりがあった方が良いという意見がありまして」


「ああ、なるほど……」


 この世界は、まだバリバリの血族主義だ。

 そして人間が王となった前例があるとはいえ、アリキアの土地に住んでいる主要な住人はエルフ、ドワーフ、獣人の三種族である。


 王と血の繋がりがなければ、人間だけが優遇されるのではないかという心配は当然でてくる。


「私はエルフの族長の娘ですし、ハルト様にはふさわしいと思うんです!」


 たわわに育った豊かな胸に手を当てて、自信ありげに身を乗り出す。

 シルフィーには勝算があった。


 だってハルトは以前、自分のことを美しいと褒めてくれたのだから。

 魅力ある女性として見てくれているはずだと思っていたのだ。


 それなのに。


「うーん困りましたね」


 ハルトが、手を組んで困惑した表情を浮かべているので、シルフィーは泣きたくなった。


「ふぇぇ! やっぱり私って駄目なエルフですか!」

「あ、いや……待った。そういうことじゃなくてね」


 その場にしゃがみこんでぐすぐすと紺碧の瞳から涙をこぼすシルフィーに驚き、ハルトは立ち上がって慌ててなだめた。

 もともと、ハルトに認められていることだけがシルフィーの拠り所なので、否定的な事を言うとすぐ自信が崩れてしまうのだ。


「ふぐっ、ひぐっ……」

「ああ、違う。シルフィーは、女性としては魅力的だからね。可愛いし、好きだよ好き」


「よかっだ。私もハルト様が好きでず……」


 泣きながら微笑むシルフィーにハンカチを手渡して、まいったなあとハルトは頭をかく。


「俺が困っているのは……うーん難しいな、引っかかってるのは倫理的な問題なのかなあ」


 前世の記憶を引きずっているハルトは、どうも貴族の一夫多妻が当然みたいな意識に馴染めないのかもしれない。

 名目上、ルクレティアとヴィクトリアと結婚したとはいえ、まだなんとなく言い訳をつけて手は出していない。


 それが貴族社会の常識だとは納得しているのだ。

 それなのに、なんとなくもやもやした気持ちがある。


「ハルト様は、誠実なお方ですからね」


 エリーゼは、そう持ち上げてくれるがハルトはそれにも苦笑してしまう。


「いや、いまだに悩んでいるのは優柔不断なだけだろう。誠実には程遠いな。誠実なら二人との結婚など、どんな理由をつけても受け入れなかった」

「では何が引っかかっておいでなのですか」


 エリーゼの琥珀色の瞳に見つめられて、ハルトは誘われるようについ口にする。


「エリーゼは、俺がプロポーズしたら結婚してくれるか」


 エリーゼの瞳からツッと涙が溢れる。


「ずっとその言葉をお待ちしてました。ごめんなさい、私……」


 エリーゼも、泣き崩れてしまう。

 ハルトは、エリーゼにハンカチを渡して思う。


 そうかずっと引っかかっていたのはこれだったかと。

 自分には、エリーゼが必要だった。


 言葉にしてみて初めてそれに気がつくとは、まったく『卓越した知性』が笑わせるなと、ハルトはおかしくなって笑い出した。


「ず、ずるいですよエリーゼ先輩! 私に告白させておいて、自分だけ美味しいところを持っていくなんて!」

「あら、私が誰よりも先にハルト様に会ったのだから、先にプロポーズしてもらってもいいでしょう」


 そう言いながら、エリーゼも涙をハンカチで拭いて、堪えきれずに笑い出す。


「ところでエリーゼ。返事を聞いてないんだが」


 さっきの返答だと、イエスかノーかわからない。


「は、はい。ふつつか者ではございますが、末永くよろしくおねがいします」


 ふつつかどころか、理想の嫁だとハルトは思う。


「そうか、それは良かった。こちらこそよろしく頼む」

「ハルト様の先程のお言葉だけで、私は一生幸せに生きられます」


「ハハ、そんな大袈裟な」


 すっかりいい雰囲気になってる二人に、シルフィーはむくれる。


「むぅ、ハルト様! 私にもプロポーズないんですか」

「うーん、おいおい考える」


 エリーゼにはいいところを見せたものの、結局煮え切らないハルトである。


「えーどうしてですか! ここは私にもプロポーズの展開だと思ったのに、出会って間もないからですか?」


 それにエリーゼは勝利の笑みを浮かべて言う。


「仕えてきた期間が違うのよ」

「じゃあ私も、もっともっとお世話しますね! 今夜は泊まり込みです!」


「ハルト様のお邪魔になるでしょう」

「だってだって、エリーゼ先輩だけずるいですよ!」


 いつもの二人のじゃれあいだ。

 最初は険悪だったのに、思えば仲良くなったものだなとハルトも微笑ましく思う。


 なんとなく、めでたしめでたしとなりそうな感じだったのだが……。


「ところでエリーゼ、三種族との結婚って話は本気なのか?」

「エルフはシルフィーが……私としてそこは不本意ですが、族長の娘ですし適任でしょう。獣人からは、やはり族長の娘のニャルが適任ですね」


 ニャルはまあ、百歩譲って大丈夫だと思うのだが、問題はそこではなく。


「ま、待て……ドワーフともか?」

「はい、ドワーフの族長の一族あたりで適任者がいないか調べてみようと思いますが、もしかしてご希望の女性がおられますか」


「い、いや。ご希望のっていうか、それ以前の問題というか」


 ドルトムの妻のレコンを思い出して、ハルトは複雑な表情を浮かべる。

 別にレコンも可愛らしくないことはないのだが、女性に見えないというか人間とあまりに種族的特徴が違いすぎる。


 いや待てよ、そもそもこの世界他種族との交配って生物学的に可能なのか?

 考え出すと切りがなく、今度こそ「うーん」と腕を組んで唸り続けてしまうハルトであった。


     ※※※


 これで、ローミリス大陸を統一した天才軍師ハルト・タケダの物語は終わりである。

 大陸を統一し、六人の妻を迎えたハルトはアリキアの地で暮らし、幸せに百年の生涯を全うしたと伝わる。


 ちなみに、本人はかなり渋っていたようだがドワーフの族長の娘メラルダとも結婚して、ハルトはちゃんと子供を三人も残している。

 その辺りは、詳しく語ると切りがないので簡単に。


 ルティアーナ王国はハルトとルクレティアの子が王位を継いだが、議会政治が発達したために権力は民主的な議会へと移り、完全な立憲君主制の民主主義国家となった。

 バルバス帝国でも議院内閣制は発達したのだが、ハルトとヴィクトリアの血を引き継ぐ皇室が莫大な資産を持ち軍事や政治に強大な権限を残したため、帝政と民主制が組み合わさった国家となった。


 そのどちらとも、同じ血族である君主を頂点に置いているため緩やかな連邦国家としての結束は失われず、そのまま千年の長きに渡り大陸に平和は続いた。

 そして、小国といえど大陸連邦国家を取りまとめる盟主であるアリキア王国は、意外なことに民主化せず王政がずっと続いている。


 エルフ、ドワーフ、獣人の三種族に加えて人間の王家の血筋があり(ハルトとエリーゼの子孫)、四種族の王家の合議によって国家運営が行われている。

 一世代進んだ科学と高度な経済力を千年維持し続けている不思議の国アリキア王国だが、この連邦国家の盟主が変わっていると言われるのはいまだに残る王政の他にもう一つ理由がある。


 ローミリアの世界において主な宗教は豊穣の女神ミリスの教会なのだが、アリキア王国ではこれに加えて始祖の王ハルトを叡智の神としてまつる信仰があるのだ。

 アリキアの伝説によれば始祖の王ハルトは、死後天へと上り女神ミリスと結婚していまでもこの世界を守っているそうだ。


 何の根拠もない荒唐無稽な神話ではあるが、アリキア王国ではこの信仰が根強いため神の子孫である四大王家による政治がずっと続いているとも言われている。

 その真偽は、それこそ神のみぞ知ると言ったところであろう。

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