第105話「条約締結、そして……」

 王都の王城にて、お互いに初めて顔を合わせたルティアーナ王国の国王ラウールとバルバス帝国の皇帝ヴィクトルは、お互いの側近すら下げて密室に籠もり二人だけで長らく語らったと伝えられる。

 そこで何が話されたのかは定かではない。


 ただそれらが終わった後、皇帝ヴィクトルはすぐに降伏文書にサインしたことが歴史として残るのみだ。

 それは名前こそ降伏文書であったが、未曾有の侵略戦争を仕掛けて敗者となったバルバス帝国に対して、賠償金や領土の割譲などを求めない異例の条約であった。


 その内容は、今だに王都を囲む帝国軍の方が戦力が高いことを考えれば当然ともいえるものであり、王国側にも反論の声はなかった。

 続いて両国の間に平和条約が締結され、長きに渡った両大国の戦争はここに集結した。


 全て終わったなと感慨深く眺めているハルトの下に、皇帝ヴィクトルがやってくる。


「ハルト。少し良いか、これからのことについてお前とも話がある」

「これからのことですね」


 ハルトの方にも話が無いわけではない。

 これからの協議は必要だろう。


 それにしても、ヴィクトルはなぜかとても嬉しそうであった。

 戦争が終わってこれでまたのんびりできると思うハルトも嬉しくはあるのだが、なんだかニヤニヤと笑いをこらえているような顔をしている。


 そうしていると、年相応の子供のようにも見えるヴィクトルだ。


「考えたら、まだ十四歳だもんな……」


 この少年の小さな肩にどれほどの重責が載っていることだろう。

 そう思えば、少し同情もしてしまう。


「どうしたハルト、早く行くぞ」


 皇帝ヴィクトルは、妙にウキウキとした足取りでハルトを急かしてくる。

 護衛が入ろうとするのも断り、二人だけで話すつもりのようだった。


「密談ね……」


 先程も老王ラウールと話し込んでいたようだし、ハルトとも今後のことについて話すことがあるのだろう。

 ハルトはぼんやりと立ってヴィクトルの様子を見ていると。


 ヴィクトルは、やけに入念に奥の間の周りを確認して、窓まできっちりと閉じている。

 そのようにしてヴィクトルは言う。


「ハルトよ。余のことについて、何か気づいたことはないか」

「えっと、前にあったときよりも大きくなられましたね」


 さらに綺麗になったといえば、勘気をたまわるのだろうか。

 輝く金髪と白石の頬、まるで見目麗しい少女のような美貌がますますと増して、見ていて恐ろしいほどだ。


「ククク……そうか、ハルトでもわからなかったか」


 そう満足気に言いながら、豪奢なローブを脱いで服のボタンを外し始めるヴィクトル。


「な、なにを……」

「まあ見ていろ」


 止めるまもなく、ヴィクトルは上半身裸になってしまう。


「さらし?」


 ヴィクトルは、胸に白い布を巻いて引き締めていた。

 さらしを緩めると、するすると布を解いていく。


「ふう。楽になった……」

「え……胸がある?」


 ハルトは、ぽかんとしてしまう。


「アハハハハッ、その顔が見たかったのだ。ようやく一矢報いたぞ!」

「え、どういうことだ!?」


「どういうことも何も。余は、女だ」

「ええー! あっ!」


 ハルトは、マズイと思って目を背ける。

 思いっきり凝視してしまった。


「ほお、意外とウブな反応だな。別に見ても構わんぞ。夫婦めおととなるかもしれない関係なのだから」

夫婦めおと!? 一体どういうことだよ!」


「おや、そこも想定してなかったのか。そうだな、余が女だと気づかなかったわけだから考えてないか。アハハハハッ、これは愉快だ!」


 からからと笑うヴィクトル。


「いい加減、説明してくれ。いや、その前に上着を着てくれ。女の子なのはもうわかったから!」


 ひとしきり笑うと、ヴィクトルは上着を羽織った。

 なるほど、さらしを巻いて引き締めていたはずだ。


 こうしてみると、服の上からでも胸の膨らみがわかってしまう。


「ようやく楽になったわ。長い話になるから、椅子にかけるがいい。ハルトも、いつもの口調よりそのラフな話し方がいいな。余も、いや私も楽にさせてもらおうか」


 そう言いながら、椅子を勧めるヴィクトル。

 不思議なものでこれまで男の子として見ていたものが、こう見ると男装の麗人にしか見えない。


「まあ他に誰もいないからいいか。それじゃあ腹を割って話すが、色々聞きたいことがあるヴィクトル」

「ヴィクトルではない。余は、じゃなかった。今の私はヴィクトリアだ」


「あ、そっちのほうが本当の名前だったのか」


 そういえば、ヴィクトルの即位に反対していた廷臣がその名で呼んで処刑されたケースがあったと聞く。

 当時皇太子だったヴィクトルが実は女子であったことを反対派はどこかで掴み、皇太子側がその風評を封じ込めるために反対派を処刑したのだろうか。


 そのような宮廷闘争があったのだろうなとは、事情を詳しく知らないハルトにも思い浮かぶ。


「もうヴィクトルで通してる時期の方が長いので、今更ヴィクトリアなどと呼ばれても慣れないものだが、それこそが私の本当の名だ」

「ふうん、そう聞けば事情はわかるが……」


 どうせ女帝が擁立された事例がないとか、皇帝は男子しか継承できないとかなのだろう。

 男と偽る理由など、それくらいしか考えられない。


「即座に察するとはさすがだな。だからハルト、お前にはアリキアの王となり、皇女である私と結婚してもらおう」

「ちょっとちょっと、話が飛びすぎだろ。詳しく説明してくれ」


 思考が追いつかない。

 ……こともないから、天与の才能タレント持ち同士の会話は困ってしまうのだが。


 いきなり結婚とか言われても、気持ちが追いつかない。


「ふん、まどろっこしいのは好かん。おい、第一王女。聞いてるんだろう。さっさと出てこい!」


 ヴィクトルがそういうと、ギギっと扉が開いて「えへへ」とルクレティアが顔を出した。

 あとから、エリーゼとシルフィーも顔を出す。


「どうしたんですかみんな」

「だって二人っきりで会話とか気になるじゃない」


 エリーゼたちも、「万一の際に護衛が必要かと思いまして」と悪びれない。

 そこで、ヴィクトルあらため皇帝ヴィクトリアは言う。


「ルクレティア第一王女、お前もハルトと結婚するんだぞ」

「ええー! そそそ、そんないきなり言われても!」


「嫌なのか?」

「嫌じゃないわよ!」


「じゃあいいだろ。ハルトにはおおよその察しは付いているだろうしな」


 ハルトは渋面を作るとつぶやく。


「もしかして、ラウール陛下とも話が付いているんですか?」

「そうだ。ラウール王にはさっき話して、それ以外ないと快諾をいただいた」


「えーお父様とも!」

「軍師ハルト。いや、アリキアの王ハルトよ。お前はルティアーナ王国第一王女ルクレティアをお供に、この私バルバス帝国皇帝ヴィクトリアを敗北させたという形になる。そうして、ルクレティアと私をきさきに迎えて、大陸統一王となるのだ」


 軍師ハルトが助けた姫将軍ルクレティアが女王として即位するというシナリオであったのに、いつの間にか主従逆転している。

 とてもついて行けないとハルトは言葉を濁す。


「いや、そんなの認められるわけ……」


 しかしピシャリと、ヴィクトリアはハルトの逃げを遮った。


「認められるなあ。私がなんのために邪魔な王国貴族どもを根絶やしにしたと思っているのだ。先程のハルトが考えた平和条約にも廷臣たちの反対はなかった。みんなハルトの実力を認めているのだよ。ルティアーナ王国は、もうお前のものだ」


 ハルトはルクレティアに尋ねる。


「しかし、姫様はルティアーナ王国の女王になられるのではなかったんですか?」

「私はハルトが王ならそれでいいわよ。国が平和になるなら、それが一番じゃない」


「しかし……」


 ハルトは、でかい国などいらないのだ。ましてや、大陸全てなど。

 アリキアの王になるというシナリオは考えなくもなかったが、大陸統一など考えてもいなかった。


 こうも簡単に大陸を統一する連合国家の創り出す構想を語るヴィクトリアは、やはり器が違うということなのか。


「ハルト、お前も薄々気がついていたはずだ。だから帝国の将軍を倒さずに残したのだろう」

「大陸の平和のためには、帝国にも倒れてもらっては困るからだ!」


「フフッ、そうだな。私が女と知れれば帝国は荒れようが、親しい将軍や廷臣たちは私が性別を偽っているとすでに知っている。それでも新しく徴用した将士は味方してくれよう。あとは、大陸統一戦争に・・・・・・・勝利した・・・・アリキアの王ハルトの声望があれば古き仕来りにこだわる貴族どもを粉砕し、帝国を再統一するなど容易い」

「そんな無茶苦茶な」


「無茶でもやるんだよ。これ以外に大陸全土に恒久平和をもたらす道はない。それは、わかっているだろう?」

「それは、そのとおりだが……」


 立ち上がったヴィクトリアは、困惑するハルトの頬に手を当てて耳元でささやく。


「いいではないかハルト。お前の気持ちはよくわかっているぞ。統一王などと言っても名目上のことだ。お前は予定通りアリキアの領地に引きこもっていれば、実質的な統治は私達の幕僚がやろう。なあ、ルクレティア」

「そうね。ハルトは相談にさえ乗ってくれれば十分だわ。元々そのつもりだったし」


 左右に、ルクレティアとヴィクトリアに挟まれて、ハルトは進退極まる。


「エリーゼ。シルフィー」

「はい……」「は、はい!」


「どうしたらいいと思うこれ?」


 なさけないと思いつつ、第三者に逃げ場を求めてしまう。

 少し考え込んだ様子を見せたエリーゼだったが、静かに応える。


「……ハルト様の思うようになされればいいと思います。私は、どうなされてもずっとお側におりますので」

「ハルト様が、アリキアの王となられるのでしたら、あのエルフの族長の娘である私とも、むぐぐぐ!」


 シルフィーが何か言いかけたが、エリーゼが後ろから口を塞いだ。


「だまりなさい。今このタイミングだと、ハルト様が混乱されるでしょう」

「んぐー! んぐー!」


「えっと、大丈夫か?」

「はい! こちらは大丈夫です。この無駄乳エルフには、こっちで言い聞かせておきますので」


 二人がバタバタとじゃれ合ってるのを見ると、ハルトはなんだか肩から力が抜けてしまった。


「俺の思うようにすればいいか。そうだな……」


 ルクレティアとヴィクトリアを見て、ハルトはやれやれと肩をすくめる。

 まったくこの姫様方は、どこまでも引きずり回してくれるものだ。


「決まったかハルト」

「ど、どっちに決めたのハルト!?」


「そうですね。じゃあ、結婚しましょうか」

「ほんとに!」


 ルクレティアが嬉しそうに飛びついてくる。


「あーでも、名目上ですよ。それでいいんでしたよね皇帝陛下!」

「ヴィクトリアと呼び捨てにしてくれ。今のうちに慣れておかないと後々困るぞ、ハルト」


「こんな状況に慣れるなんて無理難題だ!」

「ふっ、そうだな。天才軍師ハルトの意表を突ける機会などそうないと思って、驚かせてしまったこちらも悪い。とりあえずは、名目上ということでよいか」


「まったく、この件に関してはヴィクトリアが悪いと言わせてもらうぞ。どれほど驚いたと思っている」

「ハハハッ、すまんすまん」


「結婚と大陸を統一する連合国家の樹立を宣言したら、国民はきっと俺以上に驚くぞ」

「しかし、名目上の結婚と言っても、将来的には世継ぎをどうするかという問題もあるが……」


 マズイ話になりそうだったので、ハルトは慌ててごまかす。


「そ、それより民主化の要求をどうするかもある!」

「そうであった。とりあえずそれも段階的に進めていくしか無い。完全に民主化を目指すとしても、民衆の教育から始めて百年はかかる。どういう道を選ぶにしても、王国も帝国も維持しなければならないのだろう?」


 この点は、同じ天与の才能タレント持ちであるヴィクトリアと話すと話が早い。


「ヴィクトリアは分かりが早くて助かるが、そうなれば遠い将来には、王も皇帝も象徴的なものになり政治の実態は民衆に委ねられる様になる。ルクレティアはそれで本当にいいのか」

「え、私? そんな難しいことをいきなり言われてもわかんないんだけど」


 自分に話がとんできてルクレティアはキョトンとした顔をする。


「ルティアーナ王家は、いずれ実権を失って権威だけの存在になるということなんだ。千年続いてきた王家なんだろ」

「それの何がいけないの?」


 ルクレティアが不思議そうな顔をする。


「なにって、俺は別に困りはしないが」

「だったらいいわよ。ハルトに任せるって言ったじゃない。ハルトがそれをより良き未来と思うなら、私はそれでいい」


 相変わらず、本当に思い切りの良い姫様だ。

 ルクレティアが向ける全幅の信頼は、ハルトには眩しいものに感じられた。


 だが、それがいつもハルトに決断する勇気をくれる。


「じゃあ、そうしようか」


 ハルトは意識して、いつもの敬語を使わないようにする。

 もはや仕える軍師としてではなく、対等なる王としてルクレティアにも接することにしたのだ。


「決まりね」


 そう言うと、ルクレティアはハルトにキスをした。

 今度はハルトの方が、驚いてぽかんとする番だった。


「なんでキスしたの?」

「え、いけなかったの?」


 それを見ていたヴィクトリアが、吹き出して笑い出す。


「これは、クックッ……アハハハハ! 大陸統一の英雄王も女には形無しじゃないか」

「あんまり笑わないでくれよ」


「私もキスしてやろうか」


 ヴィクトリアに顔を覗き込まれて、おもわずハルトはのけぞった。


「子供に手を出すつもりはないからな!」

「ふーん、子供扱いなのか。ま、しばらくはルクレティア王女に譲ってやるとしよう。だが、私はこう見えて発育のいいほうだぞ?」


「それはさっき見せられたが……」


 さっきのことを思い出してしまって、ハルトは少し照れくさそうに頭をかいた。


「わかっていればいいさ。それより、これから忙しくなるぞ」

「やれやれ、戦争が終わったばかりだというのに今度は大陸を統一する連合王国の創設か……」


 しかも、ルクレティアとヴィクトリアとの結婚もある。

 国を上げての結婚式という、ハルトがもっとも苦手とする類の儀式をやらねばならないとは。


「だからいいのさ。『改革するならば一気に、電撃的に事を進めるべき』、なんだろ」


 ヴィクトリアが座右の書としている『政経試論』の一節、つまり昔ハルトが書いた本の言葉をそらんじられては、もう肩をすくめるしかなかったのであった。

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