第104話「シュタイナー駆ける」
最強を誇った黒竜騎士団もこの『獅子の丘』にたどり着くまでに、その数を五千へと数を減らしていた。
ここまで長い距離を一度の補給だけで走り続けてきたのだ。
極度の疲労……
限界をとうに越えて、それでもなお走り続ける。
「君! わが君! 今参ります」
王国軍と帝国軍が入り乱れる戦場。
その場に駆け込んできたシュタイナーたちに、戦況のすべてがわかるはずもない。
だが騎兵戦術の天才シュタイナーは、皇帝ヴィクトルのおわす陣地が敵の手に落ちようとしていることを本能的に察知できた。
皇帝ヴィクトルのいる『獅子の丘』に、まるで尾を引く竜のような
そうして、もう一列の
そう敵のこの動きを見れば、この戦は簡単だ。
この防衛網を突破して、皇帝ヴィクトルの下まで一直線に駆けるのみ。
激しい銃撃に撃ち抜かれて落馬する味方を振り返ることなく、シュタイナー将軍麾下の黒竜騎士団はただ前へ、前へと駆け抜けていく。
そうして、シュタイナーたちは一気に
これまで帝国軍を苦しめてきた
最後の死力を尽くし、死中に活を求め、一陣の風となって防壁を突き破る。
だが、王国軍はその突破を想定し、その内側にさらに防衛網を張り巡らせて待ち構えていた。
エリーゼ率いるハルト軍団騎兵隊が、突入してきた黒竜騎士団に殺到する。
もはやこうなれば肉弾戦だ。
「来ましたね! シュタイナー将軍!」
エリーゼがついに敵将の姿を捉えた。
そのままサーベルを引き抜き、突撃をしかける。
「この前の小娘か! 死にたくなければ、そこをどけぇぇえええ!」
裂帛の気迫をかけて、シュタイナーは腰のサーベルを引き抜き。
そのまま一撃のもとに、エリーゼをサーベルごと叩き斬り、馬より弾き飛ばす。
エリーゼもここまで歴戦をくぐり抜けてきた騎士の娘であったが、シュタイナーは女神に愛されし
何よりも力量が違いすぎた。
「きゃぁあああ!」
もし、エリーゼが黒杉のチョッキを身に着けていなければ、シュタイナーの手に帝国の剣があれば、ここで彼女の命は散っていたかも知れない。
駆け抜けるシュタイナーは、悲鳴を上げて落馬するエリーゼにも目もくれない。
自らの主を救わんがため駆ける!
その一心で戦う『帝国の剣』シュタイナーには、待ち構えていたエリーゼの一隊ですら敵うものではなかった。
ただ、折れ曲がってしまったサーベルを「なまくらが!」と投げ捨てて、新たに腰から二本目のサーベルを引き抜く。
シュタイナーに新たな敵が迫っていた。
「そこまでよ!」
次に立ちふさがったのは、姫将軍ルクレティアだった。
王国軍も、最後の死力を尽くしている。
「なんと!」
戦場の空を華麗に舞うルクレティアの姿に、シュタイナーは一瞬目を奪われた。
驚くべきことに真正面から馬を駆けてきたルクレティアは、馬の上からジャンプしてシュタイナーに飛び込んできたのだ。
おおよそ、剣法の常識からかけ離れた戦闘センス。
凄まじい思い切りのよさ。
ルクレティアもまた、女神より与えられた
「たぁあああああ!」
ルクレティアの一閃により、シュタイナーのサーベルが砕け散った。
シュタイナーの得物である『帝国の剣』があれば、跳ね除けられた一撃。
ルクレティアを守りたいというクレイ准将の執念が引き寄せた勝利といえる。
「だが負けん!」
シュタイナーは、そのまま馬の上で器用に仰向けになると、飛び込んできたルクレティアの斬撃を避けきり前へと馬を疾走させる。
「フハハハハッ、勝利などくれてやる!」
騎士としての誇りなど、勝敗などにこだわらない。
もはや、そんなものは捨てている。
シュタイナーは、生きて主の下へたどり着ければそれでよかった。
だが――
「ぐはっ! なぜだ!」
次の瞬間、激しい衝撃とともに地の上に身体を投げ出していたのはシュタイナーであった。
確かにルクレティアの攻撃をかわしたはず。
しかし、次の瞬間シュタイナーの乗っていた軍馬は悲痛な
なんと、攻撃をかわされたルクレティアは、そのまま空中でシュタイナーの乗っていた馬の尻に国宝である魔法剣レーヴァテインを投げて突き刺したのだ。
ルクレティアは、その全てが思い切りが良すぎる。
さすがに、そこまではシュタイナーも思慮の及ぶところではなかった。
「シュタイナー将軍、これまでです!」
再び馬に乗って、騎士隊を引き連れたエリーゼがかけてくる。
いかに騎兵戦術の天才シュタイナーといえど、一度地に足をつけてしまえば多勢に無勢。
周りを見回せば、王国軍の騎兵と銃兵で埋め尽くされている。
飛び込んできた黒竜騎士団も、あいついで落馬して捕縛されるしかなかったのだ。
「私は降伏などしないぞ。御身のもとにたどり着くまでは!」
馬の尻から剣を引き抜き、ルクレティアが鋭く言う。
「シュタイナー。乗馬の天才だかなんだか知らないけど、馬もない剣もないでどうするつもりなの?」
「それでも私は、『帝国の剣』だ。たとえこの手に折れた剣しかなかろうとも、この命尽きるまで剣を振るい続けるのみ!」
シュタイナーも、折れたサーベルを拾って鋭い視線を向けた。
剣士同士がにらみ合い、また一触即発の空気となる。
そこに慌てて割って入ったエリーゼが、姫様毎回煽らないで! いい加減にしてくださいよと思いながらシュタイナーを説得する。
「シュタイナー将軍! 我々は皇帝陛下を殺しません」
「この期に及んで何を言うか!」
「本当です。我々の目的は王都での戦争を止めること。ヴィクトル皇帝を殺しては戦争は終わりません」
「敵の言葉など信じられようか」
「だったら、私達とともに来てください。シュタイナー将軍を捕縛したりはしません。陛下のいる『獅子の丘』はすぐそこですよ。ご自分の目で確かめられたらいいでしょう!」
それはシュタイナーも望むところだったので、一旦剣を引いた。
「……わかった。では私は陛下のもとへと行っていいのだな」
「あ、でも馬はダメですからね。徒歩でもすぐそこです」
武器がなくとも軍馬さえあればどうとでも戦って見せるのがシュタイナーという男だ。
エリーゼは警戒して、それでも名将への敬意を払って捕縛はせず、一定の距離を保ちながら共に『獅子の丘』へと向かっていく。
奇妙なことに、王国軍の本軍に包囲された皇帝の陣屋では敗北した帝国の諸将たちが集まっていた。
「シュタイナーもきたのか」
満身創痍で足を引きずってここまで来たガードナー将軍が、皇帝ヴィクトルの前で座り込んで治療を受けている。
「ガードナーがついていながら、何たる体たらくだ」
憮然とした顔で見下ろして言うシュタイナーに、ガードナーが噛み付く。
「お前も負けたのだろうがシュタイナー!」
「なんだと!」
取っ組み合う満身創痍の二人に、「やめよ!」と皇帝ヴィクトルが言った。
「ハッ!」
「陛下、せっかくの軍を失ってしまいました。申し訳ありません……」
シュタイナーは、その場にひざまずいて深く謝する。
「よい。お前たちはそれぞれ最善を尽くした。全ての責任は余にある!」
皇帝ヴィクトルは、立ち上がると将兵に言い聞かせるように語る。
「軍師ハルトの軍政改革を参考にして、余も帝国軍の兵站を重視したつもりであった。しかし、王国軍は輸送に用いた馬車をさらに壁として使う戦術を取ってきた。あらかじめ、その準備をしていたということなのだろう。お互いに攻守相打ち、叡智の限りを尽くして戦史でもまれに見る大戦を戦い抜いたのだ。余に後悔はない! それでもなおハルトの軍略が上回ったのだから、それは余の敗北に他ならぬと素直に認めよう……」
この場の将兵を代表して、王国軍の総帥である姫将軍ルクレティアが言う。
「物分りがいいわね皇帝ヴィクトル。じゃあ、さっさと降伏して停戦を命じなさい!」
「悪いが、それはできぬ」
燃えるような紅い瞳できっと睨みつけるルクレティアを、皇帝ヴィクトルは澄んだ碧い眼で睨み返す。
「なんでよ! もうあんたの軍は負けたのよ!」
「まだだ。王城を攻め落とそうとする帝国軍はいまだ健在だ。余の首を
「なんでそんな意地を張るのよ!」
「余は、バルバス帝国皇帝ヴィクトル・バルバスだ! 王都に攻略を仕掛けたスケイル軍団は多大な犠牲を払い、将軍まで失い、それでもなお死闘を続けている。我が身可愛さに、今まさに勝利を掴まんとする部下たちの働きを台無しにできようか!」
皇帝ヴィクトルの峻烈な言葉に、辺りの兵たちは帝国王国の違いなくしんと静まり返る。
そこに、皆の聞き覚えのある声が響いた。
「そうはなりませんよ!」
ヴェルナー将軍を伴った軍師ハルトであった。
「ハルト!」
嬉しそうにルクレティアが声を上げて、ハルトの首根っこに跳びつく。
「姫様も、みんなも本当にお疲れさまでした。戦争はこれで終わりです。王都に迫った帝国軍も、たった今戦闘を中止しました!」
それを聞いて、皇帝ヴィクトルは怒りに白皙の頬を赤らめる。
「なんだと! 余はそんな命令は出してないぞ!」
「皇帝ヴィクトル。あなたの誤算は、いかに自分が家臣に愛されているかを知らないことです」
ハルトの言葉に、打たれたようにその場に立ち尽くす皇帝ヴィクトル。
忠臣ヴェルナーがヴィクトルの前にひざまずいて、涙ながらに詫びる。
「ヴィクトル陛下! 陛下が無くば、どのような勝利を上げても意味がありません。これは帝国の将兵、いや民に至るまで全ての総意です!」
そのヴェルナーの言葉に、その場にいる将兵たちはみんな「そのとおりだ!」と声を合わせる。
それを聞いて、皇帝ヴィクトルは深くため息を吐くと、玉座へと座り込んだ。
「軍師ハルト。余の負けのようだな。ヴェルナー、全ての将兵にただちに停戦を命じよ」
「ハッ!」
「両軍の混乱が収まったのち、条約の締結は王都で行う。それでよろしいな、ルクレティア第一王女」
ルクレティアは、満足げに笑うと「文句ないわ!」と叫んだ。
こうして、大陸の命運を分けた『獅子の丘』の戦いは終結した。
余談だが、皇帝ヴィクトルと軍師ハルト。女神ミリスに愛されし二人の天才がローミリス大陸の命運を賭けて争ったこの大戦は、
重大な物事を決する際に『
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