第98話「ノルトラインの戦い」
シュタイナー将軍率いる黒竜騎士団は、カノンの街から帝国領を大きく迂回してノルトラインまで移動していた。
のちに『大陸大返し』と呼ばれることになるこの長征は、事前に入念に準備されていた帝国領に流れる大河の水運を巧みに利用した高速移動であった。
しかし、その犠牲は大きく。
元は三万騎だった黒竜騎士団も、度重なる過酷な戦闘と移動で次々に脱落者を出して、今では一万を数えるばかりとなった。
しかし、言い方を変えれば、大陸をほぼ一周することになる過酷な侵攻を物ともせず残った彼らこそが選りすぐりの精鋭。
「最良の兵士とは、戦う兵士よりもむしろ歩く兵士である」と言ったのはナポレオンだ。
その意味で、
そして、ノルト大要塞に残されていた換え馬に乗り換え、貴重な休憩を取っていた彼らに新たな試練が待ち受けていた。
ドドドドドドッと激しい地揺れとともに、王国側の二枚の大防壁が崩れる。
あまりの驚愕に、黒竜騎士団の精鋭も声をあげることすらできない。
防衛に当たっていたショーパン准将率いる一万もの帝国軍が、大防壁とともに消滅するのをただ呆然と見ているしかなかった。
最初は唖然、そして次第にざわつき混乱が広がっていく。
「なんだ! 一体何が!」
慌てる騎士たちを落ち着かせるように、シュタイナーは言う。
「王国軍の、いやこれもまたあの軍師ハルトの策略だろう」
「幻の魔術師の、しかしシュタイナー将軍、これはあまりにも……」
騎士たちがいいたいことはわかる。
一瞬にして、百年の不敗を誇った大防壁を崩すか。
次々に歴史を塗り替える軍師ハルトの力は、もはや人智を超えている。
その神算鬼謀が、いま皇帝ヴィクトルにも迫ろうとしているのだ。
シュタイナーたち黒竜騎士団に、ゆっくりと休んでいる暇はない。
重い空気を払拭すべく、シュタイナー将軍はさらに声を張り上げる。
「ベルモント! 何をしているか。すぐ出立の用意をさせよ!」
シュタイナーですら、大防壁の崩壊を唖然として見ているしかなかったのだ。
腹心と呼べる副長のベルモントですら、しばし放心状態であった。
「ハッ! ただいま!」
ベルモントは配下の騎士たちに準備を促すが、その動きは遅い。
どうやら黒竜騎士団ですら、完全に気を飲まれてしまっているようだ。
これはいけないと、シュタイナーは団員たちに檄を飛ばす。
「皆の者もよく聞け。見ての通り百年帝国を守り続けたノルト大要塞は崩れた。ショーパン准将以下、帝国防衛軍一万は消えた」
絶望的な事実を語るシュタイナーに、静まり返る騎士たち。
それでも、シュタイナー将軍はさらに力を込めて叫ぶ。
「だが、それがなんだ! それが我々、黒竜騎士団の敗北を意味するのか!」
その言葉に顔を上げた騎士たちから、口々に
それに深く頷いて、シュタイナーは腰から青く煌めく剣を引き抜いてゆっくりと掲げる。
その銘は『帝国の剣』。
伝説の金属オリハルコンで創られた、この世の末まで朽ちぬと言われる伝説の剣。
「この剣を見よ! 帝国建国より千年、黒竜騎士団の団長に受け継がれてきた勝利の剣だ。これこそが、我ら黒竜騎士団が千年の間勝利し続けてきたことの証である!」
「おお!」 「おお!」と騎士たちからどよめきが上がり、それは叫びに変わっていく。
その蒼き炎は、長い征路の果てに疲れ切っていた団員たちの心に勇気の火をともした。
「敵の首都で、ヴィクトル陛下が我らの助けを待っている。我々は、なんとしてもヴィクトル陛下の下へたどり着かなければならない! 陛下に勝利を! 帝国に勝利を!」
シュタイナーの檄に、もはや抑えきれぬほどの叫びがあがった。
騎士の叫びに呼応して、軍馬までもが勇ましい
シュタイナーは満足気に深く頷き、自らも颯爽と愛馬へとまたがった。
「さあ、誉れ高き帝国の騎士たちよ! このまま敵の囲みを突き破って駆け抜けるぞ。我に続け!」
シュタイナーが『帝国の剣』を振り下ろすと、砂煙を巻き上げて一陣の風となった黒竜騎士団は崩れた大防壁の瓦礫を物ともせずに突き進む。
「シュタイナー将軍。先鋒は我らが務めます!」
駆け出したシュタイナーの前に、ベルモントの隊が回り込むのを無言でうなずく。
瓦礫の山を超えると、敵の全容が見て取れた。
銃兵隊が三千に、貴族らしき騎士団が七千と言ったところか。
数は互角と言ったところだが、黒竜騎士団は一騎当千の
瞬間、負けることはないと確信した。
あとはいかに犠牲を減らすかだ。
先鋒で、激しい銃声が鳴り響いた。
王国軍の銃兵の一斉射撃だ。
先頭にいた騎士たちが弾除けとなり次々に倒れるがシュタイナーは、先頭を行く集団の一つ後ろにいるので無事である。
銃撃の前に突き進めば死ぬのがわかっていながら、黒竜騎士団は微動だにせず一撃でも多くの弾を受けて後続の者を進める。
「すまぬ」
本来ならば、シュタイナーこそが危険な先頭を行きたいのだが、今この時ばかりはそれをするわけにはいかない。
忠勇なる部下を犠牲にしてでも、たった一人になってでも、敵陣を突破して主の下へとたどり着く。
自らのためではない。
全ては、敬愛する主のため。
杞憂であればいいが、まだ幼ささえ感じさせる若き皇帝ヴィクトルは苛烈で生気に満ちた精力的な活躍の裏で、どこか儚げなところがあった。
どこか生き急ぐような、まるでいつか自らが敗北し倒れることを確信して、その後の世のために懸命に働いているかのような――。
だが、そうはならない!
皇帝ヴィクトルには、常勝不敗の黒竜騎士団がある。
そしてここに、『帝国の剣』シュタイナーがいる。
「陛下の剣が、いま参りますぞ」
そうだ。蒼く煌めく『帝国の剣』がある限り、シュタイナーがいる限り、帝国軍に敗北はない。
だから皇帝ヴィクトルもまた、死ぬことはありえないのだ。
そのためになら、非情の命令も下そう。
黒竜騎士団は、最後の一兵までも犠牲になる覚悟であった。
敵の七千の騎士団が束となってぶつかってきた。
それでいい。
乱戦となれば、敵は銃撃できない。
どうやら敵の貴族らしき騎士隊は、古いタイプの騎士だったようだ。
黒竜騎士団はヴィクトル陛下の軍政改革の結果、皆が
一発かまして敵が怯んだところで、惜しみなく
やはり黒竜騎士団は強い。
敵の騎士団は総崩れとなり、早々に右翼と左翼が瓦解した。
だが中央に陣取る二千ほどの騎士が思ったよりも粘りをみせる。
「ちいっ!」
先頭にいるベルモントも苦戦しているようだ。
まるで逆風の中を進むように、中央の陣だけが立ちはだかる敵に巻き込まれる。
足が止まれば最後、騎士の命である突破力が失われる。
敵の先頭にいる若い騎士が叫んだ。
「クレイ准将、ここは我らが押さえます!」
シュタイナーは、その言葉を聞いて敵の意図を瞬時に理解する。
「そうか、敵将は『白銀の稲妻』か。ではこの動きの狙いは、最初から私の首だな!」
相手があの『白銀の稲妻』ならば、寄せ集めの騎士団で黒竜騎士団の突撃を持ちこたえて見せるのもわかる。
中央にシュタイナーがいることもわかっていて、そこに全てを賭けたのだ。
ならば、ここで取るべき手は一つ。
シュタイナーが決断するより早く、ベルモントが叫んだ。
「シュタイナー将軍。我らに構わず先に行ってください!」
「ベルモント頼んだぞ!」
わざわざ、『白銀の稲妻』と正面から戦う必要などない。
手綱を握り、馬を翻しての急速旋回。
「逃げるのか、シュタイナー!」
敵の若い騎士が叫ぶが、そんな言葉には耳を貸さない。
黒竜騎士団の強さは、何よりもその速度にある。
優秀な彼らは、通常の騎兵ではおおよそ不可能な旋回の動きにも付いてくる。
ここを抜けてしまえばシュタイナーの勝ちだ。
粘りつくように次々に突撃してくる敵正面の騎士団をベルモントの隊に任せて、シュタイナーは正面を素早く迂回して進もうとするが――
「シュタイナー将軍、そうはさせませんよ」
敵の主将クレイ准将も、巧みに馬を操って回り込んできた。
――速い。
「さすがは『白銀の稲妻』。ただでは通してくれぬか」
クレイ准将もまたシュタイナー隊の不規則な動きを予想して、その機動についてきて見せた。
こうなっては強敵に後ろを見せるわけにはいかない。
相手をするしかないようだ。
「仕方がない。後悔しないことだ白銀の、ガッ!」
シュタイナーが言い終わるよりも早く、銀色に煌めくミスリルの剣が凄まじい重圧とともに飛び込んでくる。
「シュタイナー将軍、その首貰い受けます!」
「ぬうっ!」
速い。そして重い!
これが、本当に老騎士の剣か。
まるで年若い騎士を相手にしているような気迫だった。
人馬一体。その鋭い突撃は、まさに稲妻!
凄まじい斬り込みの重圧に、受けたシュタイナーは全身にどっと冷や汗が出た。
「姫様のため、ここを通すわけにはいきません!」
クレイ准将は、叫びながらミスリルの刃を撃ち込んでくる。
凄まじい斬撃に肝が冷える。
魔法剣同士の戦いだ。
シュタイナーが身につけている普通の鎧では、ミスリルの刃を止めきれない。
一撃でも当たれば致命傷になりかねない。
それはシュタイナーの持つ『帝国の剣』も同じなのに、クレイ准将はどうしてこうも大胆に動ける。
いや、今はそんなことを考えている時ではない。
「主君のために引けぬのは、こちらも同じだ!」
銀と蒼の剣の軌道が激しくぶつかり合う。
一瞬を一刻にも二刻にも感じる、激しい剣戟が繰り広げられる。
先に斬撃を当てたのは、シュタイナーの方だった。
しかし、全てを斬り刻む強さを持ったオリハルコンの刃に抵抗があった。
「この程度では負けませんよ!」
「そうか、魔法の装備か!」
道理で防御を顧みない攻撃ができるはずだ。
一当てしてわかったが、クレイ准将の身につけている黒いチョッキは少なくともミスリルクラスの硬度がある。
防具の面で不利を感じたシュタイナーは防戦一方となった。
だが、それでいい。
「ハァ、ハァ……」
やはり年齢の差か、激しい打ち合いに次第にクレイ准将の息があがりはじめた。
早く勝負をつけられなかったクレイ准将の負けだ。
焦りながら老騎士は必死に剣を振るうが、正確無比だった攻撃が次第に荒くなる。
「どうした! ハハッ、やはり伝説の騎士も歳には勝てぬか!」
「まだ、まだ!」
実力は互角だが、やはり年齢による体力差はどうしようもない。
鉄壁に見えたその動きにも隙きは見えた。
後は防具だが、シュタイナーは『帝国の剣』の威力を信じて正確に突き出す。
「今だ!」
シュタイナーは狙い通り、クレイ准将の胸を一気に刺し貫いた。
からくも急所は外れたが、一緒のことだ。
「グハッ!」
やはり『帝国の剣』こそ最強だった。
だが、さすがは『白銀の稲妻』。
帝国最強の騎士であるシュタイナー相手に最期まで見事な戦いだった。
刹那、シュタイナーは歴戦の老騎士に敬意を感じて、祈るようにそのまま剣を横に振るおうとする。
「これで終わり、ぬぁ!?」
突き刺さった剣でそのまま一気に斬り裂こうとしたが、剣が動かない。
クレイ准将の身につけているチョッキは、小さな黒杉の木片が重なっている構造になっている。
木片の隙間に剣が突き刺さったために、はまり込んで動かないのだ。
シュタイナーには、最強の名剣『帝国の剣』に引き裂けぬ鎧など無いという驕りがあった。
「ふっ、このチョッキは特別製でしてね」
「離せ!」
クレイ准将は、我が身に突き刺さった『帝国の剣』を根本から掴んで愛馬の名を叫んだ。
「絶対に、離すものですか、シルバーホーン!」
主の言葉に、銀の鬣をなびかせてシルバーホーンが走り出した。
「しまった!」
最初からシュタイナーの武器を奪うことが目的だったのか!
そう気がついても、もう遅かった。
深く突き刺さった『帝国の剣』を抱えたまま、クレイ准将が後ろに駆け抜けていく。
すぐさま後を追って剣を奪い返そうとしたが、老騎士は王国騎士の中へと逃げ込んでしまう。
「シュタイナー将軍。何をしているのです、早く行ってください!」
慌ててクレイ准将を追おうとしたシュタイナーは、後ろにいた味方の騎士にそう叫ばれてしまう。
シュタイナーは、戦闘に時間をかけすぎてしまったのだ。
辺りを取り囲んだ王国の騎士たちを、帝国騎士たちが懸命に食い止めている状況だった。
このまま武器もなく乱戦の中に飛び込むわけにも行かない。
シュタイナーがここで戻れば、犠牲となった部下たちの奮戦を無駄にすることになる。
「ええい、私もまだまだか。老将にしてやられたわ!」
シュタイナーは、唯一無二の『帝国の剣』を奪われたことを悔やみながらそのまま敵陣を突き抜け、黒竜騎士団を引き連れて王都へと急ぐのであった。
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