第97話「敵は自ずから崩れる」

『獅子の丘』での決戦が始まる三日ほど前。

 ハルトたちと別れたクレイ准将は、五十門の砲台と七千の騎士を引き連れて敵に支配されているノルト大要塞までやってきていた。


 防衛軍一万を指揮するショーパン准将は七十七メートルもの高さのある大防壁を頼りにしているらしく、そこの上にかなりの数の兵を配置している。

 その配置を一目見て、クレイ准将がのんびりとつぶやく。


「敵が凡将で助かりましたね」


 砲兵隊に手はず通り動くように命じてから、クレイ准将は貴族軍の騎士団に戦いに備えて馬を休ませるように命じた。

 クレイ自身も、乗ってきた馬を世話する。


 長らくともに戦ってきた愛馬シルバーホーンの銀色のたてがみをなでてやると、ブヒヒンと嬉しそうにいなないた。


「よしよし……。思えば、お前も、私も、歳を取ったものだね」


 もう少し早く引退させてやるべきだったかもしれないが、戦続きで足元が落ち着かず何よりもシルバーホーンの代わりとなるほどの名馬が見つからなかった。

 その境遇も自分と同じか。


 そう思うとクレイは、尚一層のことシルバーホーンへの愛着が強くなり、世話を従者にも任せず自分で餌をやり、水を飲ませる。


「後少しだけ、気張ってくださいよシルバーホーン。これが最後の踏ん張りどころですからね」

「ブヒヒン!」


 シルバーホーンは、任せろというようにいななく。

 本当に頭のいい馬だった。


「准将自ら馬の世話とは、せいがでますな!」


 アルミリオン伯爵家の若い騎士隊長バンクルが声をかけてきた。

 アルミリオン家は、ルクレティア姫の母方の実家であり、唯一信用できる味方といってもいい。


 彼らは二千人ほどの援軍ではあるが、優柔不断な他の貴族と違いルクレティアを女王にしようと意気込んでおり、かなり士気が高い。

 この軍の主将であるクレイも密かに、彼らこそ主力と頼んでいる。


「バンクル殿、今回の作戦よろしくおねがいします」

「ルクレティア殿下の右腕である『白銀の稲妻』の長年の活躍は、私どもの間ではもはや伝説です。天下に名だたる騎士、クレイ准将の下で戦えること。一人の騎士として光栄に思っております」


 若い騎士にそうも褒められると、クレイも少し気恥ずかしくなってしまう。


「いや、もはや老いた私の時代ではないでしょうが。どうか、この老将に力を貸していただきたい」

「嬉しいお言葉です。ルクレティア殿下の御為、クレイ准将の下で死力を尽くすことをお約束いたします」


「それはありがたいことです」

「しかし、クレイ准将がそう勢い込むのも無理はありませんな。なにせ敵は、堅固なノルト大要塞に陣取っております。こうしてみると、あの大防壁の恐ろしいこと。我々も覚悟しては来ましたが、この戦いは一筋縄ではいきますまい」


 見上げるばかりの大防壁は、バンクルには圧倒的な存在に思えるようだ。

 それはきっと、古い常識に囚われている敵将もそうであろう。


 ハルトと知り合う前ならば、自分もバンクル達のように思っただろうなと考えると、クレイは少し面白くなった。


「いえ、あの大防壁は自ずから崩れますよ」

「はい?」


 何気なくそう言ったクレイに、若い騎士がぽかんとした顔をした時、ボーンと爆発音が響き渡った。

 王国軍が砲撃した音ではない。


 まだこちらの砲撃は始まっていないのに、何が起こったのだろうかと若い騎士は慌てて身構える。


「ああ、もう始まりましたね」

「な、何事ですか。この爆発は、一体何が!?」


 こちらは何もしていないのに、次々に大防壁の上で爆発が起こり、帝国の防衛軍に被害が出ている。

 各所でもうもうとした黒煙が上がる大防壁の上では、帝国兵たちが大混乱に陥っている。


「敵の指揮官は、大防壁においてある大砲をろくに調べもせず使おうとしたんでしょう。あそこに置いてあるのは、全部不良品なんですよ。無理に使おうとすれば暴発します。用心深い将なら、敵が残していった武器には罠がないか注意するはずなんですが……」


 いかに帝国といえど、そうそう有能な将ばかりいるわけもなく、凡将もいるのだろう。

 ここまで敵将の警戒心が薄いなら、作戦も上手くいくに違いない。


「な、なるほど! 敵が自ずから自壊するとは、これがあの天才軍師ハルト殿の作戦ですか!」

「いえ、まだ作戦は始まってもいませんよ」


 設置してある大砲が駄目とわかり、慌てて巨大投石機トレビシェットの投石に切り替えて来たようだが、これも今更かと思ってしまう。

 かつてはあれほど恐ろしかった必殺の武器が、大砲を知った今では虚仮威こけおどしにしか見えない。


 そこにハルトの領地、アリキア辺境伯から援軍が到着したという報告が入る。

 多数の歩兵を連れてドワーフのドルトムがクレイの元にやってきた。


「クレイ准将、撤退戦以来じゃな」

「ドルトム殿。援軍、大変助かります」


「臨時の徴募兵ばかりじゃが、みんな士気は十分じゃ。敵が来ないのを守ってるばかりではつまらんと言い出してな」


 ドルトムが連れてきた徴募兵は、魔術師になれないエルフの男子や、ドワーフが多い。

 獣人に至っては兵士になれなかった女子供まで、得意げに銃を持って従軍している。


 造ったばかりのライフルを抱えた三千人ほどの部隊だ。

 歩兵として直接戦闘させるわけにはいかないが、銃兵の少ないクレイの軍にとっては貴重な戦力であった。


「おそらく攻城戦自体は簡単に決まるでしょう。援護射撃だけしてくれればいいですからね」

「そうじゃろうな。なにせ、あの大防壁は見掛け倒しじゃからな」


 王国側の二枚の大防壁に罠を仕掛けるのに、ドルトムたちも参加していたのだ。

 これから何が起こるかは、ドルトムもよく知っている。


「では、そろそろ時刻ですので始めましょうか」


 クレイ准将の指示通り、左右に展開した砲兵隊が一斉に砲撃を始める。

 ドーンとこだました大砲の一撃は、強固な壁を撃ち抜いた。


 砲撃は次々に続き、分厚い壁を水平射で撃ち抜いていく。

 そして、異変は起こった。


 ドドドドドドッと激しい地揺れが起こったのだ。


「な、なにが!」


 大砲の威力に目を見張っていた王国軍の目の前で、七十七メートルもの高さのある大防壁がゆっくりと瓦解していく。

 まるで積木くずしのようだ。


 最初の大防壁が崩れると同時に、再び砲撃が始まり二枚目の大防壁も同じように根本を撃ち抜かれて瓦解していく。

 その上にいた帝国軍は、大防壁の崩壊に巻き込まれてもはや跡形もない。


 作戦の詳細を知らなかったバンクルたちは、口をあんぐりを開けて見守るしか無い。

 一瞬にして、伝説にまで謳われたノルト大要塞が崩落したことがすぐに飲み込めなかった。


 帝国軍一万は、そのほとんど全てが大防壁の瓦解に巻き込まれて全滅。

 この時のクレイ准将たちが知るよしもないことであるが、敵の主将であるショーパンも一緒に戦死していた。


 いや、これを果たして戦死と言っていいのか。

 ろくな戦闘すらなく、帝国軍が壊滅してしまった。


 あまりにも、圧倒的勝利であった。

 あっけに取られているバンクルたちに向かって、胸を張るドルトムが自慢気に説明してみせる。


「引き抜くと城が崩れる要石かなめいしの伝説はドワーフの石工の間じゃよく知れたもんじゃが、大防壁の土台をスカスカにして大砲で撃ち抜いたら崩れるようにしてくれとハルトに頼まれた時は、ワシも耳を疑ったもんじゃて」


 クレイ准将も笑って答える。


「私も、聞いた時はびっくりしましたが、そんな建築技法がドワーフにはあるんですね」

「ただの伝説で、そんな技法なんぞないわい! ハルトに無茶を言われてワシらも本当に困ったんじゃぞ。なんとか知恵を絞って少しずつ土台の石を抜いたが、作業のときそのまま崩れるんじゃないかとヒヤヒヤさせられたわい」


 ハルトに無理を言われるのは、毎度のことじゃがなと笑うドルトム。

 ようやく気を取り直したバンクルは、諸手を挙げて言う。


「……驚きすぎて声を失いましたが、これは空前絶後の大勝利ですね。さすがは、天才軍師の作戦だ! お前達、後は掃討戦をやるだけだぞ!」


 威勢よく叫ぶ騎士隊長のバンクルに、王国軍の騎士たちは大きな歓声を上げた。

 崩れた大防壁ごと、帝国軍は瓦礫の山に消えたのだ。


 あとは軍隊としての統制を失ったノルト大要塞の敵を追い払うだけの楽な戦いになる……はずであった。

 しかし、砂煙を巻き上げながら崩れた瓦礫の向こう側から、黒竜旗こくりゅうきが高らかと上がった。


 高らかに響く馬蹄の音。

 一陣の風のごとく現れた黒ずくめの騎士たちは、帝国軍最強の黒竜騎士団であった。


「シュタイナー将軍、このタイミングで来ますか」


 苦い表情をするクレイ准将。

 ハルトに予言されていたので、覚悟はしていたつもりだった。


 しかし、どうして今なのだ。

 ノルト大要塞を手に入れた後でならば、要塞を使った戦い方も出来たであろうに。


 いや、そんな贅沢は言わずとも、せめて馬防柵の一枚でも張れる時間さえあれば。

 後一日、いや半時でも後であったなら――。


「て、帝国最強の黒竜騎士団だ。総員、倣え!」


 騎士隊長バンクルがとっさに叫んでくれたおかげで、クレイ准将も気を取り戻した。

 今は、よそ事を考えている暇はない。


「バンクル殿! 騎兵同士の戦いになります。約束通り、力を貸していただきますよ!」

「はい。相手にとって不足なし、望むところです!」


 数に勝る、しかも最強の敵に相対するというのに、若い騎士バンクルはなんら弱気を見せない。

 むしろ敵が強ければ強いほどに不屈の闘志を燃やす。


 これが若さか。

 自分だって昔はそうだったなと、クレイ准将は思う。


 今この時でなければ、シュタイナー将軍も王都で行われる決戦に間に合うまい。

 ここでぶつかり合うことこそ、まさに必然だったのだ。


 そして、そのためにこそ老練なるクレイ准将が一軍を率いてここにいる。

 ハルトから受けた命令は、敵を足止めすることだ。


 最強の黒竜騎士団を一兵でも多く、一時でも長くここで喰い止めることが、本軍にいる主君ルクレティアを救うことに繋がる。


「全員聞いてください。我々の目的はなるべく敵の騎士の数を減らし、でき得れば『帝国の剣』敵将シュタイナーを倒すことです!」


 指揮官たるクレイ准将の号令に、若い騎士たちは「おう!」と拳を上げて、熱狂的な叫び声を上げた。

 よし、士気は十分だ。


「クレイ准将、ワシらは援護でいいんじゃな」

「ええ、射程距離に入ったら援護射撃で敵の数を減らしてください。ハルト殿の命令は、何よりも命を大事にせよとのことです。ドルトム殿、貴方もまた勝った後で必要な人材なのですからここで死んではいけませんよ」


「命を大事にして戦後も働けか、カッカッカ! いかにもハルトらしい命令じゃな。よーしわかった。お互い命を大事にな!」


 ドルトムたち銃兵も、慌てて陣形を組んで敵に狙いを定めた。

 あまりにも接敵が早いので、策を練っている時間もない。


 ともかく、このまま突撃してくる黒竜騎士団を迎え撃つのだ。

 これがおそらく現役最後の戦いになるだろう。


 天下に名だたる騎士? 伝説の『白銀の稲妻』?

 クレイ准将は、バンクルの言葉を思い出して自嘲気味に笑った。


 伝説が聞いて呆れる。

 騎士クレイは、人一倍臆病な男であった。


 臆病であったからこそ、朋友であった騎士たちが皆死に絶えたずっと後でも姫将軍ルクレティアの謀将として生き残ってこれたのだ。

 ああ、だがそれでも。


 若き騎士バンクルのように、老いたクレイの心にも小さな火が灯っていることを否定できない。

 一軍の将として帝国最強の騎士シュタイナーと戦える。


 騎士として生まれ育ち、五十五年もの齢を重ねて戦い続けて来たクレイならばこそ、身が震えるほどの喜びを感じずにはいられない。

 今この時ばかりは、この凶暴なまでの闘志に身を任せてしまうべきだ。


 もはや騎士としてのピークはとうに過ぎている。

 それでも老いた身体に残った若さをかき集めて、クレイ准将は心に真っ赤な炎を燃やす。


「頼みます、シルバーホーン」

「ヒヒーン!」


 自分と同じように老いた愛馬にまたがって、銀髪の老騎士は強く手綱を取る。

 そして、身につけているハルトにもらった防刃チョッキを確かめるように手で擦ってから、覚悟を決めて最強の敵に向かって馬を走らせるのだった。

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