第93話「若き皇帝の進軍」

 帝国の紋章が飾られた大きな天幕の玉座で、若き皇帝ヴィクトル・バルバスは不機嫌そうに頬杖をつく。

 輝く金髪の髪に白皙の頬、御年十四歳を迎えるヴィクトルは成長してますます美しさを増している。


 かつてはその美貌をもって、廷臣よりかよわきヴィクトリア姫とも揶揄されたヴィクトルではあるが、今やそのあだ名で呼ぶものはいない。

 国内の不平貴族派を平らげ、大帝国の皇帝として二十万の兵を用いて世界初の大陸統一へと歩を進める女神に愛されし皇帝を侮蔑する者などがいれば、即刻首をはねられるからだ。


「帝国と同様に王国の貴族も、完全に腐りきっているようだな」


 そんなヴィクトルのつぶやきに、いまや股肱の臣として重用されているヴェルナー将軍が苦笑交じりに応える。


「陛下。そう言われますな」


 彼らの目の前には、領邦軍を武装解除して無様に降伏した王国貴族たちがひれ伏していた。

 若き皇帝の容赦ない罵倒に、先頭で頭を下げているフンデル公爵は額に汗して、肉付きの良い頬を強張らせている。


 王都に向けて王国領を深く進軍した帝国本軍二十万に対して、多数の王国貴族たちは戦いもせず降伏したのだ。


「ヴェルナーよ。これだけの数の貴族を内応させたそなたの働きは認めるが、あまりに手応えがなさすぎてつまらん。余の仕事も残しておいてくれよ」


 帝国軍にとって、王国貴族の降伏は特に驚くべきことでもない。

 ヴェルナー将軍が密かに進軍の邪魔になりそうな王国貴族たちと内応の約束を済ませておいたのだ。


 しかし、ごく一部の例外を除いてほとんどの王国貴族が敵国の皇帝に尻尾を振るとは。

 ルティアーナ王国の腐敗、ここに極まれりと言ったところであった。


 一方で、ノルト大要塞攻略ではハルトの策に乗ったらしい王国北方軍は鮮やかな撤退を見せていたが、指揮を引き継いだ王国貴族の将校は余計な犠牲を出していた。

 功を焦って、愚かにも街を焼き払おうとする貴族すらいたという。


 それを聞いたヴィクトル皇帝は、自らの戦勝に泥を塗るものとして大いに怒り、貴族将校の皆殺しを命じた。


「ハハッ、何をおっしゃいますか。戦はこれからです。これからいよいよハルト殿と直接争うこととなりますし、王都を守る王国軍にはまだ忠臣もたくさんいるそうですから」


 ヴェルナー将軍がそうとりなすように言った時、平伏している貴族たちを代表するようにフンデル公爵が発言した。


「恐れながら、皇帝陛下……」

「なんだ」


「我ら王国貴族は、陛下のために全てを差し出す所存です」


 フンデル公爵の合図で、ヴィクトルの前に山のような宝物が運ばれてくる。

 それをつまらなそうに一瞥すると、ヴィクトルは口を開く。


「殊勝だな。フンデル公爵」

「それはもう、感服仕りましたとも。陛下の精強なる軍にはとても敵いません」


「それでも、王国には忠義のために一矢報いようとする者たちもいるようだが」

「例の軍師ハルトでございますな。忠義などと、とんでもない! あの者らが、暗愚の王をそそのかせて軍政改革などを行ったせいで我々は冷や飯を食わされたのです」


 同じく軍政改革で権勢を極めたヴィクトルの前でそれを言うかと、呆れた。

 この豚のような公爵は、とんだ面の皮だ。


「それでは、その方らは困ったであろうな」

「軍政改革により王都の兵力は多少増えてはおりますが、なあにご安心ください。世の趨勢を理解できぬ愚か者らなど、私めの軍が蹴散らしてみせましょう」


「それで、その方らは何を望む」

「我々は自らの家が大事でございますから、それだけが望みです」


 フンデル公爵は、約束した領地の安堵を果たせと言っているのだ。


「約束通り、そなたらの領地に帝国は手出しはせぬ」

「ありがたき幸せ」


 額の汗を拭きながら、満面の笑みを見せるフンデル公爵。

 それに従う王国貴族派たちも、一様に安堵の表情を見せた。


「ふん」


 ヴィクトルの方はすでに終わったことと、目の前にいる豚のように肥え太った貴族たちを見もしない。

 それなのにフンデル公爵はまだ声をかけてくる。


「恐れながら陛下」

「なんだ」


「陛下は、王都を落としてラウール王を倒し、ルティアーナ王家を根絶やしにするものと聞きました」

「それがどうした」


 不機嫌そうに金色の眉を顰めるヴィクトルにも気付かず、フンデルはもみ手をしながら応える。


「このフンデルめも、傍系ではございますがルティアーナ王家の血を引きし者。邪魔な王家は片付けねばなりませんが、統治にはやはり王の権威は必要でありましょう。もし我が身が陛下のお力になることがありますれば、何なりとおっしゃってください」


 こいつはと、ヴィクトルは眼を見張った。

 ヴィクトルに向かって、自らを傀儡の王にせよと言っているのだ。


 卑屈に平伏して見せても、その裏では妖怪じみた野望をいだいている。

 やはり王国でも貴族は油断ならぬものだ。


 老獪な高位貴族を、ただの愚か者と見くびっては寝首をかかれることをヴィクトルは知っている。

 王国を裏切った者は、やがて帝国も裏切るであろう。


 自分の判断は正しかったなと思って、ヴィクトルは玉座に深く座り込んだ。

 ほどなくして、天幕の外側が急に騒がしくなった。


「何事だ!」


 叫んで振り向いたフンデルの目に、天幕に武装した騎士や兵士がなだれ込んでくるのが見えた。

 それは帝国軍ではなく、フンデル公爵たち王国貴族派の領邦軍であった。


「コイツラを殺して首を晒せ!」

「うああああ!」

 

 味方のはずの領邦軍の兵士たちが王国貴族を襲っている。

 剣は帯びているものの、ろくに戦ったこともない貴族たちは、次々と兵士たちに殺されていく。


「これはどういうことですか陛下!」


 ヴィクトルは玉座に座ったまま、酷薄な笑みを浮かべる。


「どうやら反乱が起こったようだな。帝国軍は、手は出さぬと約束したが、そなたらの身内の不始末まで余は知らぬ」

「なんだと! 謀ったな青二才め!」


 仲間の貴族たちが斬られている中で、フンデル公爵は自分だけは逃げ延びようと天幕を剣で切り裂いて外に出る。

 ここはフンデルの領地なのだ。この場を切り抜けさえすればなんとでもなる。


 だが、天幕の外にも反乱を起こした騎士が、兵士を連れて囲んでいた。


「フンデル! 貴様のせいでなぶり殺しにされた父の仇、今こそ討たせてもらうぞ!」

「誰だお前は!」


 騎士オニールは、フンデル公爵の言葉に激高する。

 オニールの家はフンデル公爵に忠義を尽くしてきたのに、つまらぬ貴族同士の諍いのために、あらぬ罪を着せられて潰されたのだ。


 それからというもの国を追われたオニールは、泥水を啜って復讐のためだけに生きてきた。

 それなのに復讐相手は、顔すら覚えていないとはあまりにも酷い。


「我が父は生涯をフンデル公爵家に捧げ、私もお前のために十年身を粉にして働いた! その我が家にあれ程のことをしておいて、私の顔すら見忘れたか!」

「無礼者! 私を誰だと思っている。騎士風情の顔をいちいち覚えていられるか!」


 オニールは、渾身の怒りを込めてフンデル公爵の太った腹を刺し貫いた。


「ならば、見知らぬ騎士の手によって死んでいけフンデル!」

「ゲッ、下郎ごときが、私はこの国の王にな、る……」


 最後まで妄言を吐きながら倒れるフンデルの体に、多数の槍が突き立てられる。

 囲んでいた兵士たちもまた、フンデルの悪政によって家族を奪われた領民ばかりだった。


「豚領主の首をさらせ!」

「ザマァ見ろ! やってやったぞ!」


 兵士たちは涙ながらにフンデルの首をかき切って、表に曝す。

 騎士オニールは、フンデルの体から剣を引き抜くと、返り血を浴びた姿のままで天幕に入り、皇帝ヴィクトルにひざまずいた。


「陛下! 積年の恨みをはらさせていただいたこと感謝いたします! この上は我が身をいかようにもお使いください」


 悲壮なその姿を見ると、ヴィクトルは自ら近づいていった。


「陛下」


 ヴェルナーの静止も振り切って、ヴィクトルは騎士オニールの血に染まった頬に触れる。


「よい面構えではないか。騎士オニールといったな」

「ハッ、ハハッ!」


 輝けるばかりの麗しい皇帝を目の前にして、感動に肩を震わせる騎士オニールは更に深く平伏する。


「これからはお前たちの時代だ。領邦軍を束ねて、余のために働いてみせよ。そうすれば家の再興も果たせよう」

「ありがたき幸せ! フンデル公爵らは悪政を働いておりました。不満を持つ領民たちは、必ずや陛下のお力となりましょう」


「期待しているぞ」

「必ずやご期待に応えてみせます。直ちに軍を再編して、陛下の御為に働きます!」


 騎士オニールは、勢い込んで外にでていった。

 外では、不逞ふていなる貴族たちが討ち取られたことが高らかに喧伝されて、ヴィクトル皇帝による新たなる治世が始まったことが宣言される。


 ある者は王国の貴族政治の不満から、ある者は戦果を上げて成り上がることを求めて、領邦軍の中からも帝国軍に加わる者が続出した。


「陛下らしいやり方ではありますが、いささか性急すぎるようにも思えますな」


 直言居士であるヴェルナーは、皇帝の意向にも容赦なく口をはさむ。

 ヴィクトルもまた、それを望んでいるから笑って受け止める。


「ハルトならば、不逞な貴族であってもそのまま丸呑みして戦力にしたかもしれぬ」

「どちらが正解とも言い切れません。戦いは士気とも言えます。王国貴族たちの権威は利用できないため領邦軍は割れましょうが、騎士オニールたちは死に物狂いで先頭に立って働きましょう」


「どちらにしろ、王国貴族どもを抹殺することは決まっていた。あのような醜い者どもに、世界の命運を決するこの戦を汚されては困るのだ」

「それが陛下のご意思であれば、我らはそれに従うのみです」


「フッ、ハルトのやり方と余のやり方。どちらが正しいかはすぐにわかる。兵力でも士気でも、余の軍の方がはるかに上だ。ハルトがどのようにこれに立ち向かってくるか、楽しみでならぬ」

「女神ミリスは、必ずや陛下に微笑みましょう」


「だとよいがな。どれ、余も兵士たちの意気を上げるために、一つ演説でもぶってくるか」


 そう言って、天幕から出ようとしたヴィクトルであったが、急にうずくまって胸を押さえる。


「くっ……」

「陛下!」


 苦しそうにしているヴィクトルに、ヴェルナーたちが慌てて駆け寄る。

 その忠臣の手を、億劫そうに跳ね除けるヴィクトル。


「大事ない。少し胸が苦しくなっただけだ」


 貧血なのか、ヴィクトルの白皙の頬は青ざめている。


「しかし、お加減が優れぬ時は、馬車を使われては……」

「大事な決戦を前に寝てなどいられようか。皇帝自らが兵に勇姿を見せることで、士気を上げねばならぬのだ!」


 自らも軍略の駒とする。

 ヴィクトルは、その覚悟を持って白馬にまたがり、堂々たる演説をぶって王国領地の騎士や領民たちに帝国軍への参加を促すのであった。

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