第88話「帝国の剣」

 砲兵隊を指揮するレンゲル兵長が知恵を絞り、曳火砲撃に切り替えたのだ。

 炸裂弾を空中で爆発させることにより、大量の破片を敵の頭の上に撒き散らして攻撃する手法である。


 それでも、凄まじい爆発の中で死の破片が降り注ぐ中でも黒竜騎士団は止まらない。

 あの速度はどうやったら殺せるのだ。


 全てを巻き込み、飲み込んで殺す黒い渦に、ハルトは肝を冷やした。

 まるで本物の黒竜と対峙しているような錯覚すら覚える。


 誰もが黒竜騎士団を最強と呼ぶはずだ。

 戦場でそれを眼の前にすれば、兵士は誰でもそう思ってしまう。


「やはり、恐ろしいものですね」

「大丈夫です、ハルト様は私たちがお守りします!」


 傍らにいるシルフィーは、自分だって恐ろしいだろうに、ハルトの手を握ってそう言ってくれる。

 自分よりも若い女の子たちが戦っているのに、こんなことではいけないなとハルトは思う。


 いつもと何が違うのかと思ったら、今日はルクレティアがいないのかと気がついた。


「姫様は、あれでも役に立ってたんですね」


 いつも勝手なことばかりするルクレティアにハルトは困らされていたが、それでもいてくれることで安心感があったのだといなくなって気がつく。

 今は姫将軍ルクレティアがいないから、軍団の指揮権はハルトにある。


 一万二千もの兵の命に、自分が責任を持たなければならない。

 指揮官は、自分の命だけが惜しくて怖いわけではない。


 このギリギリの局面で、味方の生死の責任を自分だけが持つことが恐ろしいのだ。

 だから、こうして似合わないのに前線まで出てきてしまったのかもしれない。


「気持ちはありがたいですが、防衛は敵に直接あたるエリーゼたちを優先してあげてください」

「エリーゼさんたちも、ハルト様も両方守ります」


 本当に頼もしい仲間を持った。


 荒れ狂う巨大な黒竜は、王国南方軍五千騎を巻き込んで押しつぶすと、今度はその頭をハルト大隊の方に向けた。

 曳火砲撃による破片の雨が降り注ぐ中で、それに巻き込まれないようにしようと思えば、ハルト大隊の近くを通るしかない。


 その三万騎の群れは、重い馬蹄の音を響かせながら、砂煙をあげてやってくる。

 ハルト大隊は、そこに凄まじい射撃の雨を降らせる。


 だが先頭の騎士が激しい銃弾を浴びて倒れても、なお後続の者は続くのだ。

 目で天与の才能タレントが見えるハルトには、敵将シュタイナーが先頭近くにいるのはわかる。


 そうして、シュタイナーを守るために先頭に出た騎士が銃弾を一弾でも多く浴びて倒れようとしていることもわかってしまう。


「死兵か」


 その己の命を顧みない鬼気迫る敵の姿に、ハルトの背筋が凍る。

 この銃と大砲がまだ生まれたばかりの時代に、剣や槍で戦うことを誇りとしていた騎士が、銃弾を浴びて無為に死ぬことを恐れないのだ。


 いや、己の主君のために、己の将軍のために、そして黒竜騎士団を守るために己を殺すこと。

 彼らは、それこそを誇りとしている。


 しかも今回の帝国軍は、ハルト軍団と正面から戦う必要などないのだ。

 すでに帝国軍の主力は、帝国領へと逃げおおせてしまっている。


 あとは、殿しんがりの黒竜騎士団が逃げおおせてしまえば、敵の撤退は完了する。


「獣人族の誇りを今こそ見せるときニャー。敵の頭を止めるニャー!」


 銃撃でも止まらなかった鬼神の如き敵の進行を止めようと、ニャルたち獣人の長槍隊が突撃をしていく。

 騎兵突撃には陣を組んだ長槍が有効。


 これは物理法則のようなものだ。

 次々とぶつかっていく長槍によって敵の馬が止められて、あの黒竜騎士団の動きが一瞬止まった。


 ――かに思えた。


「なんニャと!」


 黒竜騎士団は、翼が生えた竜の如く跳ぶ。

 槍の前に無残に倒れていった味方も、その長槍さえも踏みつけて前に進む。


 脆くも崩れる味方の陣。

 それでもニャルは、戦士の本能でその敵陣の群れのボスを見抜いていた。


 こいつを殺せば敵は止まると悟り、自慢の長槍を突き刺す。


「ニャ?」

「ほう、獣人か。王国軍にも面白い敵がいるものだな」


 この戦場の中で、灰色の総髪の騎士は、突き出されたニャルの槍を素手で掴むと槍先を手折って見せた。

 やはりこいつこそが、黒竜の意思そのものだ。


 ニャルは恐れを知らぬ誇り高き獣人の戦士だ。

 何が黒竜だ!


「ニャルは、サーベルタイガーニャぞ!」


 ニャルは槍を捨てると、腰に挿した二本のサーベルを引き抜いて跳躍する。


 シュパッ!


 軽快な音を立てて、砕け散ったのはニャルの二本のサーベルだった。


「悪いが、私の剣も陛下より頂いた業物でね」


 馬上よりニャルを見据える涼し気なシュタイナーの目に、ニャルは総毛立つ。

 獣人の本能で動いているがゆえに、勝てないとわかってしまったのだ。


 このままでは、ニャルは殺される。


「お前ら、ニャルの姉御を守れ!」


 黒竜騎士団に陣を喰い破られて右往左往していた獣人たちだったが、メスを守るのは母権制を取る彼らの本能だ。

 頭であるニャルの危機に、四方八方から獣人たちが押し寄せてシュタイナーを圧殺しようとする。


 だが、敵わない。

 わらわらと集まり、シュタイナーを押しつぶそうとした獣人たちが、まるで爆発するように吹き飛ばされた。


 膂力に勝る獣人たちを、シュタイナーは馬上で剣を振るうだけで次々に弾き飛ばしていく。

 これが『帝国の剣』。


 戦士としての力量が違いすぎるのだ。


「よし、進むか」


 獣人たちが足止めできたのは、たった数秒であった。


「ハルト様! 我々も敵を止めます!」


 左右の騎兵を指揮しているエリーゼが叫ぶ。


「無理はしないように。シルフィー、援護を」

「はい!」


 ニャルのおかげで、敵将の姿は見えた。

 敵が近づくまでは騎兵銃カービンを撃っていた装甲騎兵も、あとは押し込むだけと装甲騎兵たちが殺到するが。


「まだ止まらないのか」


 新手の装甲騎兵の群れに、黒竜騎士団も勢いよく押し上げてきてぶつかる。

 ハルト軍団とて衝撃力では決して負けてはいないが、多勢に無勢だ。長らくは保たないだろう。


 この間にシュタイナーを落とさなければならない。

 エリーゼは、覚悟を持ってサーベルを抜いてシュタイナーめがけて斬りかかる。


「たぁあああ!」

「む、魔法の防御をそう使うか。見事」


 突っかかってきたエリーゼのサーベルを弾いて一撃を加えたシュタイナーであったが、その一撃は後ろからのシルフィーの絶対防壁魔法によって弾かれる。

 この時のために、エリーゼとシルフィーは連携の練習をしていた。


 硬質ガラスのような絶対防壁魔法は、なんなら敵を叩く攻勢防御としても使える。

 手数の多さに、シュタイナーも攻めあぐねた。


「さあ、どうします!」

「ちいっ」


 シュタイナーは剣を振るうが、どうしても押し切ることができない。

 こうして互角の戦いをしている間にも、黒竜騎士団の後続は砲撃によって数を減らしていく。


「ハルト様のご命令です。『帝国の剣』、シュタイナー! 貴方はここで終わってもらいます!」

「その意気はよいが……ふっ、まだ若い」


 エリーゼとシルフィーの連携に対して、シュタイナーは口元をほころばせると後ろに引いた。


「えっ?」


 ここで後ろに引くとは思ってなかったエリーゼは、一瞬の虚を突かれる。

 そこにシュタイナーは、腰から取り出した玉のピンを引き抜いてエリーゼに投げつけた。


「手榴弾だ!」


 誰かが叫ぶ。

 こんなお互いの騎兵が接敵している場所で、手榴弾を使うのか!


 誰もが爆発の衝撃の備えた瞬間、プシューと音がして辺りに煙が立ち込めた。


「やられた。スモークだ」


 シュタイナーが投げると同時に、周りの騎士たちも発煙手榴弾を投げる。


「ハルト様!」

「ここまでですね、各員自分の命を守ることを優先してください!」


 乱戦に持ち込まれた上で、この煙では味方への誤射を恐れて発砲することもできない。

 あれほど強い上に、土壇場でこんなからめ手まで用意して使ってくるとは、どこまでも恐ろしい男だ。


「軍師ハルト! シュタイナーだ。聞こえているか!」

「……」


 シュタイナーがハルトに呼びかけてくるので驚く。

 この煙の中で、敵将が自分の位置を曝すような真似をする。


 何かの罠かと、ハルトが用心して押し黙っていると。


「ふ、用心深いな。ヴィクトル陛下よりの伝言を伝える。陛下は、今回の戦いをお前との最後の決戦とするつもりだ」

「どういう意味だ!」


 今回の作戦は、囮だということか。

 しかし、それを自ら囮であるシュタイナーが言って、何の意味がある。敵の意図が読めない。


「早く北方へと帰ったほうがいい。次に会う時は、決着をつけよう!」


 シュタイナーはそう言い残すと、さらに煙を足してその場を足早に去っていった。

 お互いの軍がすれ違い、帝国領へと逃げおおせる黒竜騎士団の背中にハルト軍団の砲兵隊は懸命に砲撃を加えたが、決定的な打撃を与えることはできなかった。


 そうしてちょうどその頃、シュタイナーが言う北方では、新たな帝国の攻撃が開始されていたのだった。

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