第87話「黒い渦」

 王国内地奥深くよりやって来たのはシュタイナー率いる三万騎の黒竜騎士団。

 バルバス帝国は、もともと騎兵が強い国だ。


 ハルトが世に出る前は、世界最強の兵科であった帝国軍鉄騎兵。

 軍政改革を行った皇太子ヴィクトルのもとで、その鉄騎兵から更に身分を問わずエリートのみを集めた最強を超える最強。


 ヴィクトルに、帝国軍のシンボルである黒竜旗こくりゅうきの名を冠された不敗の軍団。

 鉄騎兵の弱点であった機動力を装備の軽量化により実現している彼らは、大砲と銃の時代の戦いにも主力足り得る実力を有している。


「ハルト様!」


 だが、エリーゼたちが驚いたのはその向こう側だった。

 ミンチ伯爵率いる王国騎士隊五千騎が、黒竜騎士団を追っている。


 とっくにどこかでまた負けて壊滅していると思っていたのに、どこであれ程の戦力をかき集めたのか。

 しかも、こんな局面で黒竜騎士団の後ろに出現するとは。


 どういう動きをすればこうなるのか、さすがのハルトでも理解できない。

 ああ見えてミンチ伯爵は、天与の才能タレント『類まれなる幸運』の持ち主なのだから、幸運に恵まれたとしか言いようがない。


「相変わらず、ミンチ伯爵はこちらの想定を越えてきますね」

「こう言っては申し訳ないんですが、ハルト様についてきてほんとに良かったと思います」


 凄いのは凄いのだが、今更残党をかき集めた王国騎士が五千騎あったところで、黒竜騎士団三万には到底かなわない。

 ハルトについて来なければ、ミンチ伯爵家の累代の家臣であったエリーゼは、あの絶望的な突撃に付き合わされていたかもしれない。


 身分社会というものは、それを当たり前とするものなのだ。

 ハルトと共にあることによって、それがおかしいと思うようにエリーゼはなってきている。


「まあ、この状況を利用しないわけにはいきません。予定通り、砲撃を開始してください」


 改良を重ねた速射砲なら、黒竜騎士団といえども混乱を誘えるはず。

 あの完璧な隊列を崩すことができれば――


「なっ!」


 騎士団が、目視で砲撃を避けたようにみえた。

 整然と行進している騎士団が、降り注ぐ弾を避けて散開した?


 そんなことができるのか。

 騎士一人ひとりが、高い士気と相当な自負心を持っていないとできない機動だ。


 だが、そこまではいい。そこまではわかる。


「ハルト様!」


 エリーゼの叫びに、ハルトもわかっていると頷く。

 直撃でないにせよ、敵の軍馬が炸裂弾の衝撃に全く動じていないのだ。


「軍師様!」


 砲兵隊を指揮するレンゲル兵長も真剣な顔で叫ぶ。


「高速で動く的には当てづらいですか。わかってますが、とにかく撃ち続けてください」

「精一杯やりますが、あの複雑な動きでは当たりませんよ!」


 さてどうする。

 自ら見てしまえば、敵の実力を認めざるを得ない。


 三万もの騎兵がまるで蛇のように蠢く、この用兵の妙。

 そして、大砲や銃の音にも、馬が動揺しないように訓練を重ねてきたのだろう。


 これまでの敵のように、砲撃だけで倒せる敵ではない。

 エリーゼよりも、レルゲン兵長よりも、ハルト軍団の誰よりもシュタイナー将軍は強い。


 もしやあれがシュタイナーかと、黒竜騎士団の先頭に見える灰色の髪の青年に目を凝らした瞬間。

 ハルトは片目を手で押さえて、ひざまずいた。


「ハルト様!」

「大丈夫です、ラスタンの時と同じか。あの女神め……」


 不穏な空気、青い霧のようなオーラが一瞬形となって見えた。

 それは、『騎兵戦術の天才』という文字だった。

 

 これまでの戦績を見れば、あらかじめそうであろうと覚悟はしていたが、やはりシュタイナーも天与の才能タレント持ちであった。

 チートすぎるだろと悪態つきたくなるが、それが今はハルトにも見えるだけマシと言わねばなるまい。


 元よりの優秀さに加えて天与の才能タレントまであるのだ。

 戦略家としてならともかく、こと現場で戦う戦術家としてはハルトよりもシュタイナーは上だと考えるべきだ。


 だが、だからこそ。

 皇帝ヴィクトルと『帝国の剣』シュタイナー、二人の天才が同時に出てこないこの戦場で片方と決着を付けておきたい。


 ハルトにも天与の才能タレントが見えるおかげで、シュタイナーが大胆にも陣の先頭にいることもわかった。

 高い自負心ゆえの行動であろう。


 それは利用できる。


「レンゲル兵長、敵将は先頭にいます。大砲で敵の騎士団の頭を狙うようにしてください」

「なんとかやってみる!」


 砲撃が一撃でも当たれば、それで勝てる。

 後は、あまりというか、とても期待したくないが……。


「まさか、ミンチ伯爵の持つ悪運に期待するハメになるとは思いませんでしたよ」


 いまや天下の愚将と言われるミンチ伯爵だが、誰もが予想できない状況を作り出したという一点だけは評価してもいい。

 この偶然できた挟み撃ちの状況は、シュタイナーとしても望ましいことではないだろう。


 本来なら三万もの騎兵に、五万もの歩兵を有する帝国侵攻軍のほうが圧倒的に有利だったのだ。

 今なら後方のミンチ伯爵の五千と、先方のハルト軍団一万二千による挟み撃ちが可能だ。


 まだ数は負けているが、いまなら戦術的優位はある。

 しかし、敵が逃げるのではなく攻撃してくれれば、ハルト軍団が守るべき立場であったらと思わざるを得ない。


 その上で馬防柵の一つでも用意できていれば、容易に勝てたものを……。


「ハルト、安心するニャー。敵の動きはニャルたちが止めるニャー」

「期待してますよ。みんな、敵のシュタイナー将軍は騎士団の頭にいます。頭を喰い止めればそれでこちらの勝ちです」


「敵の将軍は、ニャルに任せるニャー!」

「いいでしょう。ニャルたち長槍部隊を正面に、エリーゼたち騎兵は陣の左右の防衛にあたってください。我々は後ろから銃で援護して敵の動きを止めます」


「ニャルたちこそハルト軍団最強であることを見せてやるニャー!」

「あらかじめ言っておきますが、敵は帝国最強の部隊です。無理だけはしないように」


 ニャルたち獣人は、その特性に合わせて銃を持たされていない。

 その代わりに、凄まじい膂力で超大な重い槍を振り回すことができる。


 動きこそ単純だが、どんな敵でも臆すること無くぶつかっていく。

 騎兵には長槍は戦術の基本だ。前の戦いでも重騎兵の突撃すら、喰い止めて見せた実績がある。


 黒竜騎士団の命は速度だ。

 あの厄介な騎兵機動さえ止めてしまえば、四百門の砲撃でまたたく間に敵を撃ち破ることができる。


 ハルト軍団一万二千は、シュタイナー将軍を挟み撃ちにすべく小高い丘より出撃した。


「それにしても……」


 近づけば近づくほど、黒竜騎士団三万騎の恐ろしさを感じる。

 まるで、全てを飲み込む黒い渦のようだ。


 ハルト軍団が近づいてくるのを見て、黒竜騎士団はその動きを変えた。

 まるで、黒い渦のようにぐるりと、時計回りにミンチ伯爵の騎士隊五千の周りを回り込み始める。


 そして、ミンチ伯爵の騎士隊は、黒い渦に飲み込まれるようにそのまま突っ込んでいき、またたく間に押しつぶされて崩壊した。

 やっぱり、ミンチ伯爵になんか期待するんではなかった!

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