第86話「帝国軍の撤退」
エリーゼから、作戦成功の合図の信号弾があがった。
それを確認すると、カノンの街の外で待機していた砲撃手たちに歓声が広がった。
ハルトが、軍団長であるレンゲルに声をかける。
「レンゲル兵長、見事な精密射撃でしたね」
「止まった的なら当てられるとそりゃこっちもいいましたが、今回はヒヤヒヤもんでしたよ」
流石にベテランのレンゲルも安堵したのか、ふうとため息をついて額の冷や汗をハンカチで吹いている。
カノンの街は、それこそ住んでいた街なのでハルトもエリーゼも構造を熟知している。
そこで、砲撃しても巻き込まれない広場の周りの建物から住民をこっそりと避難させて、帝国軍を誘い込んで集中砲撃を加えたのだ。
広場でなら砲撃によって敵の本軍を徹底的につぶしても、住民が巻き込まれる恐れが少ない。
こうして敵に打撃を与えつつ、同時に街の建物から少しずつ住民を助け出して、そこを狙撃ポイントとしてさらなる砲撃を加える。
「辛い役目をさせてしまいましたね」
いくら精密射撃といっても、誤射もあるかもしれない。
爆発が起こる炸裂弾では類焼の恐れもあるから、敵軍が引いたのを確認しだい消火作業を急がせているところだ。
カノンの街は、レンゲルたちにとっては故郷だ。
そこに向かって砲撃を加えよとは、ハルトも酷な命令だったとはわかっている。
「いや、軍師様は悪くないですよ。敵の手からカノンの街を奪還するための戦いですから。むしろ俺たちの手で取り戻すことができることに感謝しておりますよ」
「そうですか」
街から戻ってきたエリーゼが、ハルトに報告する。
「敵軍は、指揮官を含む本軍が潰されたために指揮系統が崩壊。ところどころで砲撃による打撃を与えてますから、完全に街から撤退しつつあります」
街の中にこもっていれば砲撃を受ける恐れはないと聞いていたのに、容赦なく敵が撃ってきた。
その衝撃が、帝国軍を引かせたらしい。
「そうですか。それは良かった、エリーゼと、あとシルフィーも今回はご苦労でしたね」
騎兵の馬の鞍から、シルフィーが転がり落ちるようにやってきた。
「ふぁい……」
慣れない軍馬に乗せられたせいで、シルフィーは眼を回してハルトの前で崩れ落ちた。
敵の戦車に追い回される馬の鞍に後ろ向きに乗せられて、敵が撃ちまくってくる中で障壁魔法を連発して後続を守っていたのだから
ただまあ、エルフの魔術師に乗馬の訓練もさせておくのだったかなとハルトは苦笑する。
「シルフィーが、なんとか持ちこたえてくれて助かりましたよ。気休め程度ですが、酔い覚ましも飲んでおきますか」
「ありがとうございます……」
倒れたシルフィーを介抱するハルト。
頑張ったのは私もなのに、また邪悪なたわわがハルト様に、などとエリーゼも内心でイラッときているが、そんなことを言っている場合でもない。
「ハルト様、街から逃げる敵を追撃いたしましょうか」
少しでも、帝国軍の戦力を削っておいたほうがいいのではないかという提案だ。
「いや、帝国軍をカノンの街から追い出せたら街の確保を優先しましょう。兵の質はともかく、数ではこちらは少数です。敗走している敵が秩序を回復して他の帝国軍と合流してまた攻めてきた場合、陣形が崩れていたらひとたまりもありませんよ」
「なるほど、その危険もありますね。では、街の接収と防衛を優先させます」
街から逃げ出した帝国軍二万の残存は、そのまま帝国の領地へと一目散に逃げていく。
帝国軍は合流することもなく、帝国領へと逃げていく。
この逃げっぷりは、あらかじめそういう命令があったとしか思えない。
思い切りの良い命令は、侵攻軍の司令官であるシュタイナー将軍か、それともそれよりも上か。
今回の侵略は、ハルトをノルト大要塞より引きずり出す罠かもしれないのだ。
あの天才少年、ヴィクトル皇帝自らが出陣して挟み撃ちにされる可能性も考えなくてはならない。
「もう内地から戻ってきたのか」
驚いたことに、ハルト軍団が街を接収するよりも早く内地から次々と帝国軍が逃げていく。
あまりにも展開が早い。
カノンの街の占拠が遅くなれば、挟み撃ちにされていた可能性も高い。
本当に間一髪だったようだ。
現状でも街から撤退した帝国軍残存だけでもかなりの数だし、合流して攻めて来てもおかしくはないのだが、これらも一目散にカノンの街を迂回して逃げていく。
「ハルト様、街の接収は終わりました。いつでも敵の背後を攻撃できるようにはしておりますが」
「いや、エリーゼ。シュタイナー将軍が来るのを待ちましょう。この撤退の速さなら、いつ来てもおかしくありませんよ」
雑兵をいくら叩いても戦争は終わらない。
ここで、『帝国の剣』シュタイナー将軍を倒すか捕らえるかすれば、帝国は片翼をもがれた状態になる。
今回のハルトの戦術目標は、その一点だけにかかっていた。
このカノンの戦略上の要地である小高い丘の上に四百門の速射砲を並べて待ち受けるハルトの目の前に、ついに帝国最強の男が現れる。
シュタイナー率いる三万騎の黒竜騎士団が、馬蹄の音も高らかに砂煙を上げてやってきたのだった。
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