第84話「ハルト軍団の出陣」
一路カノンに向けてハルト軍団が進撃する途中、野営している天幕の前でハルトは副官のエリーゼを呼び止める。
「何でしょう。ハルト様」
「これ、もし良かったらどうぞ」
少しためらった様子を見せたハルトであったが、琥珀の指輪をそっと差し出した。
「これは……」
「さすがに王家の宝からかすめ取るわけにはいかなかったので、領地で一番いい琥珀を買ってきたんですよ。私に目利きがあるとは思いませんが、琥珀ならエリーゼの髪や目の色に合ってますから悪くはないでしょう」
アリキア辺境伯領では良質の琥珀が取れる。
ルクレティアに指輪を渡した時、エリーゼたちが物欲しそうにしていたのでハルトなりに気を利かせて琥珀の指輪をプレゼントすることにしたのだ。
ハルトから指輪を受け取ると、エリーゼは琥珀色の瞳からポロッと涙を流した。
「おや、気に入りませんでしたか」
オロオロするハルトに、エリーゼは泣き笑いで答える。
「逆です。一生大事にします」
ルクレティアにプレゼントした指輪は、どれほど高価な物でも所詮は王家の宝物を返しただけのものだ。
でもこの指輪は、エリーゼに似合う物をとハルトが自ら選んでくれた物だ。
それが、エリーゼには嬉しかったのだ。
「そんなたいした物じゃないんですけどね。シルフィーもどうぞ」
いそいそとやってきたシルフィーにも、ハルトは指輪を手渡す。
「ふえ! 私にもくださるんですか!」
ハルトがシルフィーに似合うだろうと買ってきたのは、瑠璃色に光るラピスラズリの指輪だった。
ルクレティアやエリーゼにあげて、シルフィーにあげないわけにもいかない。
「日頃の感謝を込めて、ささやかなプレゼントですよ。それに、アクセサリーの一つもないと、パーティーに出た時に困るでしょう」
ハルトたちも貴族なので、どうしても避けられない公式行事だってある。
当然そうなればシルフィーも一緒に連れて行くし、それなりの装いが必要になるだろうとハルトは考えたわけだ。
「えっと」
シルフィーが気遣わしげにチラチラと、先輩のエリーゼの方を見る。
エリーゼとしては、できればハルトの指輪をもらうのは自分だけであってほしい。
でもエリーゼもまさか、ここで「もらうな」とは言えない。
「ありがたくいただきなさい。ハルト様は、あくまで感謝の証として買ってくださったことを忘れないようにね」
「うわあい、ありがとうございます!」
シルフィーは満面の笑みで指輪を受け取ると、即座に左手の薬指にはめた。
「なっ!」
エリーゼが声をあげたので、「どうしました」とハルトが声を掛ける。
「い、いえ、なんでもありません。このエルフは意外に大胆ですね。そっちがそういうつもりなら私だって……」
この際だとエリーゼも、こっそりと左手の薬指にはめてしまう。
完全に婚約指輪だと勘違いしてしまったルクレティアと違って、ハルトをよく理解しているエリーゼは、この指輪にプレゼント以外の意味はないとわかっている。
それでもエリーゼだって女の子なので、自分だって少しくらい夢を見てもいいではないかと思うのだ。
天幕でそんなことをやっていると、ひょっこりと獣人の族長の娘であるニャルが顔を出した。
単なる猫獣人にしか見えない彼女は、これでも獣人族の戦士を束ねるリーダーであり、ハルトの直属の部下でもある。
「さっきから何なのニャ。そっちに贈り物をやって、ニャルにはなんもなしなのかニャ」
なにかもらえるという匂いを嗅ぎつけてやってきたようだ。
こういう時だけ、すごく鋭いニャルだ。
「そう言われましてもね」
そっちこそ、いきなり来て何なのだという話なのだが。
「ニャルだって、頑張ってハルトに仕えてるニャぞ。なんか感謝の証があってもいいニャー」
「そういうのって自分から言うものなんですか……しょうがありませんね。じゃあ、これあげましょうか」
まさかニャルにも何かよこせと言われるとは思ってなかったが、用心深いハルトは琥珀のアクセサリーを他にも買っておいたのでそれを渡してみる。
「何ニャ、こんな食べられないものはいらないニャ」
キラキラと輝く琥珀のペンダントを受け取っても、つまらなそうな顔をするニャル。
アリキアに住んでるニャルにとっては、琥珀はそこらにたまに落ちている石でしかない。
「アハハハ」
「何がおかしいニャア」
そんなニャルの様子を見てハルトは堪え切れずに笑ってしまう。
ニャルの無邪気さが、ハルトにはなんだか面白かった。
「シルフィー。せっかくだから、ニャルになにか美味しいものを食べさせてあげてください」
「それでしたら、お菓子を用意してあります」
「ごちそうをくれるかニャ!」
途端に機嫌良さそうに尻尾をピンと立てるニャル。
シルフィーの菓子をニャルがどう評するか、見てみるのも面白いとハルトは思い、お茶にすることにした。
美味い美味いと、ろくに味わうこともせずシルフィーの作ったキャラメルクッキーをバクバク食っているニャルを見ながら、ハルトもコーヒー休憩にすることにした。
そこに、おかわりのコーヒーと共にエリーゼが報告書を差し出す。
「ハルト様、偵察からの報告です」
「ほう、これは少し急がないといけないかもですね」
報告書には、ハルト軍団が南方へと移動した途端に、シュタイナー将軍率いる抵抗軍はバグラム要塞を攻めるのを止めて凄まじい勢いで撤退を始めたとある。
さすがは、『帝国の剣』と呼ばれるシュタイナー。判断が早い。
占領した土地を惜しんで、袋のネズミになるのを恐れたのだろう。
すでにこの段階で、王国南方軍を救援するという目的は達したと言ってもいい。
「もう一つご報告なんですが、ミンチ伯爵は退却していった敵を見て勢いづいて、すぐさまバグラム要塞から出て全軍で追撃に入ったということです」
「バカなんですか、あの人は」
聞くまでもないことですと、エリーゼは肩をすくめてみせる。
懲りるということを知らない。
もうここまでいくと、さすがと言ったほうがいいんだろうか。
おそらくないと思うが、シュタイナー軍団が引き返して再攻撃に入ったらそれで王国南方軍は壊滅する。
これでハルトも、このまま引き返すことはできなくなった。
後は、シュタイナー将軍率いる黒竜騎士団が戻ってきて合流する前に、カノンに駐留する防衛軍を撃破するしかない。
「敵もカノンの防衛は重要視しているようで、カノンに駐留する帝国軍はリュディガー将軍が率いる二万だそうです」
「そうですか。後はスピード勝負ですね。さっさとカノンの敵を叩いてしまわないと」
「それがリュディガー将軍は、カノンの街の建物の中に住人を閉じこめて逃げられないようにして、こちらにそれをわざと知らせるようにしております」
カノンの住民を盾に使うか。
ハルト軍団の将校には、カノン出身者が多い。
おそらく敵は、これでハルト軍団の火砲を封じたつもりなのだろう。
カノンの英雄とも讃えられるハルトに、住民を戦火に巻き込むような攻撃はできないだろうと見抜かれている。
「なるほど。リュディガーという男は、善悪はともかくなかなか優秀な将軍のようですね」
これは戦争なのだから、カノンの街の住人を人質に取るような真似も卑劣な手口とは言うまい。
なかなかどうして、ハルトがやられて一番困ることをやってくれるではないか。油断できる相手ではない。
攻撃を躊躇してそのまま時を稼がれたら、カノンの街の帝国軍と舞い戻ったシュタイナー軍団に挟み撃ちにされるだろう。
ハルトは、クレイ准将が集めてくれたリュディガー将軍のこれまでの戦績を読みながら、この状況をどう覆すべきかしばし考え込んでからつぶやいた。
「エリーゼとシルフィーに、少し働いてもらいましょうか」
「はい、何なりと!」
「ハルト様のお役に立てるなら何でもします!」
頼もしい二人の声に、ハルトは満足げに頷いた。
「ニャルの力はいらないのかニャ」
「ハハ、それは後に取っておきましょう」
白兵戦などやらずに済ませるに越したことはない。
帝国軍の動きに注視しつつ、ハルトの軍団はカノンの街の攻略へと向かうのだった。
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