第83話「反撃の機会」

 クレイ准将から簡単な戦況報告を聞いただけで、ハルトは呆れて物が言えなかった。

 王国南方軍将軍ミンチ伯爵は、ニムロス要塞、水都アルル、候都カルカソンヌと、次々と軍隊を編制して突撃させては壊滅させ続けている。


 総数は、五万とも八万とも報告されているが、帝国の侵攻軍を指揮するのは、『帝国の剣』と呼ばれるシュタイナー将軍だった。

 帝国は相当な数を動員しているわけだが、王国南方軍とて全力で兵力をかき集めたはずだし、互角に戦える規模の戦力はあったはずなのだ。


 途上で敵を食い止められる渡河が必要な川や山岳要塞もあるので、いかに相手があの『帝国の剣』と言えど守るだけならいかようにもできる。

 守るだけで何もしないだけでも敵を喰い止められたはずなのに、どうしてここまで負けられるのだと驚くほどの結果であった。


 天下の愚将とはよく言ったものだ。

 詳しい戦況報告を確認すると、ミンチ伯爵はほとんど敵の騎兵突撃だけで毎回負けている。


 軍の布陣図を見ただけで確実に負けるなとわかるのだが、さらにその上で帝国最強のシュタイナー将軍が指揮する三万騎もの黒竜騎士団に向かって突撃までしてみせたというのだから驚きだ。

 最精鋭の騎兵に向かって全軍突撃とは、これはもう兵法の常識を覆す迷指揮だ。


 戦史をひもとくまでもなく類例がない、とんでもない自殺行為である。

 敵も、何の罠かと面食らったことだろう。


 誰もミンチ伯爵を止めなかったのだろうか。

 いや、必死に止めたんだろうな。


 ミンチ伯爵の人柄を知るハルトには、ありありとその情景が思い浮かぶ。

 幕僚の苦労を思うと頭が下がる思いだ。


「話は終わったか」


 見慣れない男だ。

 金糸の高そうなマントを付けた高慢そうな若い貴族が、ハルトたちに偉そうな態度で話しかけてくる。


 王国の将らしい武装はしているが、おおよそ実用的ではないゴテゴテとしたキンキラキンの装飾がいっぱい付いた見栄の塊のような鎧だ。

 ひと目見ただけで、門閥貴族の若者だなとわかってしまう。


「貴方は?」

「フンデル公爵家公子にして、誇りあるルティアーナ王国の金毛騎士団団長、フッサー・フンデルだ!」


「なるほど」


 金毛騎士団というのは聞いたこともないが、確かに言われた通りだなとハルトは思う。

 金髪のやけにボリュームのある髪がフッサフッサしている。


 自分の髪の毛から騎士団の名前を付けたのかなと思ったら、つい吹き出しそうになってしまう。


「なんだ貴様、公子であるフッサー様に対し、その無礼な態度は!」

「英雄気取りか。平民上がりが偉そうに!」


 失笑を漏らすハルトに、フッサーより先に取り巻きの貴族たちが顔を真っ赤にして騒ぎ始めた。

 やがては公爵になるフッサーに比べて、伯爵や子爵、男爵の血筋でしかない彼らにとっては、平民から自分たちより高位である辺境伯にまで出世したハルトが忌々しくてたまらないからだ。


「偉そうなのはあんたたちでしょ!」


 こちらも騒いだのは、罵倒されたハルトではなく、ルクレティアの方だった。


「なんだと、女騎士風情が!」

「ま、待てディポー。こいつ、いや! この御方は、ルクレティア姫様だぞ!」


 ディポーと呼ばれたぽっちゃりした若い貴族の顔が、みるみる真っ青になる。


「ひ、ひぃ!」


 指差して姫様と言おうとしたのか、言えずに悲鳴になってしまった。

 下手すれば、貴族であっても王族侮辱罪で打首ものの狼藉である。


「あんたさっきなんて言った? 聞いてあげるから、もう一回私の目を見て言ってみなさいよ」

「も、申し訳ございません」


 その場に倒れ込むように土下座するディポー。


「私にじゃなくてハルトに謝りなさいよ!」

「ぐぇぇ! ずびばしぇん!」


 あわれ、太っちょディポーはルクレティアに背中を思いっきり踏みつけられている。

 酷い仕打ちなのだが、ルクレティアはザマァ見ろと思っている。


 生意気なだけならまだしも、普段は偉ぶってる癖に自分より強い相手と見るや卑屈になる貴族がルクレティアは一番嫌いだった。


「ルクレティア殿下、部下が失礼いたしました。軍師ハルト殿にも、謝罪いたします」


 フッサーは、自分たちの仕える主君の顔すらわからぬディポーたちほど間抜けではない。

 彼は、王国の門閥貴族派の代表格であるフンデル公爵の跡取り息子である。


 クーデターが起こった時に王都から逃げ出してしまった自身の失態を挽回すべく、取り巻きの若い貴族の子弟を集めて金毛騎士団を結成して活躍の機会を狙う程度には機転は利く男だった。

 もちろんハルトに悪いだなどこれっぽっちも思ってはいない。


 しかし、傲慢そうな濁った眼の色は隠しきれずとも、ルクレティアの前にひざまずいて格好だけは謝るくらいのことはしてみせる。


「ふん、わかればいいのよ」


 そう言いながらも、まだ逃げ出そうとバタバタ足掻いているディポーの背中をグリグリと踏んでいる容赦のないルクレティア。

 ディポーの動きが、次第に緩慢になってきてヤバい感じだが、ルクレティアが恐ろしくて誰も助けられない。


「ハルト殿は、殿下にやけに買われているようですな」


 こちらはこちらで、ルクレティアに踏まれている部下を助けようともせずハルトに嫌味な言葉を投げかけてくるフッサー。


「あの姫様。そろそろ、その足を退けてやったらどうでしょう。そのままだと息できないですよ」


 誰もディポーを助けないので、仕方がないなとハルトが助け舟を出す。


「あ、ごめんなさい。気が付かなかったわ」


 ルクレティアは、わざと痛めつけていたのだとばかり思っていたが、まったく嘘を言っている顔ではない。

 本気で踏んだまま踏んだことを忘れていたのかと、むしろそっちのほうが怖いと周りは青ざめる。


「おい、ディポー。しっかりしろ、衛生兵! 衛生兵!」


 ぐったりとしたディポーは、周りの貴族が揺すっても返事がない。

 気絶したディポーが衛生兵にタンカで運ばれていくのを見送ってから、フッサーが咳払いする。


「コホン。私は、ハルト殿に参謀本部よりの嘆願書を持ってきたのだ」


 ハルトは、フッサーより嘆願書を受け取る。

 救援を求めるミンチ伯爵の悲鳴のような手紙とともに、ハルトの軍団を動かして助けてやってほしいとキース参謀総長から嘆願書も付いている。


 命令ではないのは、ハルト軍団はすでに王国軍の所属ではなく辺境伯であるハルトの独立軍となっているからだ。


「しかし、フッサー殿。おそらく帝国軍はこちらにも攻めてきますよ。私とうちの軍団がいないと守りきれないかもしれませんよ」

「なんだ、その程度のことが参謀本部にわからぬはずがないではないか。そこで、我々高貴なる貴族で結成された金毛騎士団千騎が援軍に駆けつけたわけだ」


「貴方たちだけですか?」


 ルクレティアに踏みつけられて気絶してるような貴族の小倅こせがれが何の役に立つのか。


「ああ、数のことなら心配いらん。我々と共に雑兵一万もかき集めて連れてきたからな」

「なるほど。それなら多少は役に立ちそうですね」


 プライドばかり高い貴族の騎士千騎は戦力に数えないとしても、一万もの兵があればルクレティア麾下の王国北方軍の補助戦力にはなる。


「多少とは聞き捨てならぬが、まあよい。堅牢なるノルト大要塞の防衛は誇りある我ら金毛騎士団に任せて、貴君はせいぜいミンチ将軍の尻拭いに励めばよい」


 このフッサーの嫌味な顔。

 ハルトに貧乏くじを引かせようとしているのだろう。


 そして、ノルト大要塞は帝国軍に攻められたとしても絶対に落ちないし、そこで自分たちは守ってるだけで戦果を稼げると思っているんだな。

 この手合の考えてることは手に取るようにわかる。


 帝国軍との戦いはそんな甘い物じゃないんだが、まあこの貴族の子弟たちは勝手に期待していればいい。

 問題は、ハルトの立場としても助けにいかないわけにもいかないということか。


 王国南方軍に残るのは、もう本拠地があるバグラム要塞しかない。

 バグラム要塞が抜かれたら、南部最大の港湾都市ナントも帝国軍の手に落ちる。


 王国軍の参謀本部に懇願されたからというより、そこに大きな権益を持つハルトは、その危険を放置しておくわけにはいかないのだ。

 なんとかしなきゃなと思って、もう一度地図と資料をひっかきまわしていると。


 ハルトは、ハッと気がついた。

 これは、敵は袋のネズミになるんじゃないのか。


 いや、まさか『帝国の剣』とまで謳われた名将シュタイナーが、そんな愚かな真似をするわけがないと思ってもやはりそうだ。

 三度に渡る華々しい大勝利といえば聞こえはいいが、王国南方の奥地へ奥地へとジリジリと引きずり込まれて、補給線が完全に伸び切っている。


 これは、根本を押さえるだけで帝国軍の補給線はズタズタに崩壊する。

 そもそも、こんな短期間に広大な王国領を進軍する作戦に無理があるのだ。


 どうして『帝国の剣』シュタイナー将軍がこんなハメに陥ったのかと考えると、ミンチ伯爵の負けっぷりに引き込まれたとしか言いようがない。

 シュタイナーは機を掴むのに長けた天才であるがゆえに、無防備を曝している敵を叩かずにはいられなかったのだろう。


 美味しい拠点や街を目の前にして、補給線を守るために兵が分散してしまっていることがわかっても、取らずにはいられなかったのだろう。

 一度味わえばこらえきれぬ、華々しい勝利という甘い罠。


 そう言えば天下の愚将ミンチ伯爵も、天与の才能タレント『類まれなる幸運』の持ち主だったなと思い出す。

 

「フッサー殿、南方軍の救援。お引き受けしますよ」

「おお、やってくれるか!」


 もしかしたらシュタイナー将軍は、ミンチ伯爵の掘った大きな墓穴の道連れにされて落ちかけているのかも知れない。

 例えこれがハルトを南方へ誘い出そうとする帝国軍の陽動作戦だったとしても、敵の退路を断ってシュタイナー将軍を捕らえることができれば、帝国はもはや片翼かたよくをもがれた鳥に等しい。


「ハルト様、本当に大丈夫なのですか?」


 エリーゼが、心配そうに尋ねてくる。

 まあ、心配するのは当然だろう。


 報告によれば、侵攻してきた帝国軍の総数は八万にも及ぶという。

 それを、近代化された兵器を持つハルト軍団とはいえ、たった一万二千の兵力で戦おうというのだから。


「大丈夫ですよ。長大な補給線を守るために、帝国軍は分散しているはずです。狙うはカノンですね」

「カノンですか!」


 エリーゼの故郷である南方の小都市カノンは、今や敵の後方の物流拠点であり命綱だ。

 ここを落とせば、帝国の侵攻軍は完全に孤立する。


 報告には帝国軍が大砲や銃らしき武器を使用していたという話もあったのだが、だからこそなのだ。

 いくら王国の領地で略奪しても、弾薬の補給だけは絶対にできない。


 カノンという蓋を閉じて、王国領の中にシュタイナー将軍を閉じこめてしまえば、あとはゆっくりと挟み撃ちにして倒せばいい。


「ハルト、私も一緒に行くわね」


 当然だろうという感じで言う姫様に、ハルトは言う。


「いや、姫様は王国北方軍の将軍としてノルト大要塞の守りについてください」

「なんでよ」


「あの人達が、クレイ准将の言うことを聞くと思いますか。姫様には申し訳ないんですが、彼らが勝手をしないように監視して貰う必要があるんですよ」


 貴族の騎士団を指してハルトが言うと、ルクレティアも納得した。

 高慢ちきな貴族の子弟ばかりの騎士団など最低だ。


 彼らが連れてきた一万の兵力はありがたいのだが、あいつらは邪魔以外の何物でもない。

 王族のルクレティアが指揮しなければ、彼らは勝手なことばかりして味方を危険に晒すだろう。


「それもそうね」

「現状は、まだお互いに敵の腹の中を探り合いしている状況ですが、敵の目的が何にせよノルト大要塞に帝国軍が来る可能性は高いと思います。そこで、相談があるんですが」


 ハルトは、ルクレティアとクレイ准将にもしもの時の策を詳しく説明しておくことにした。

 今回の敵は、女神ミリスが帝国に与えた恩寵おんちょうとまで讃えられる、あの天才少年皇帝ヴィクトルなのだ。


 予測され得る、あらゆる事態に対応できる作戦でなくてはならない。


「わかったわ。こっちは私に任せておいて!」


 ハルトとは別行動になるが、自分にも果たせる役割があるとわかったルクレティアは、ハルト不在のノルト大要塞の防衛の指揮を機嫌よく引き受けるのであった。

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