第81話「帝国再侵攻の報」

 ハルトたちが領主の館を訪ねると、王国の第一王女ルクレティアは、その配下のクレイ准将たちと机に向かって何やら協議していた。


 女神ミリスに勝るとも劣らないほどの美貌と堂々たる気品、燃えるような紅い髪と見る者を惹き付ける意志の強そうな紅い瞳の姫様である。

 次期女王となることがほぼ内定している高貴な姫様ではあるが、同時に北方軍一万五千を束ねる将軍でもある。


「あ、ハルト良いところに来たわね。今呼ぼうと思ってたところなのよ!」

「皆さんお揃いでどうしたんですか」


「バルバス帝国がついに休戦条約を破って戦端を開いたらしいの!」

「それは大変ですね」


 全然大変そうじゃなさそうな顔で、ハルトは言う。

 ふーんと、ルクレティアは嬉しそうに笑う。


「その余裕、相変わらずね。私の軍師は、それくらい動じないほうが頼もしいわ」


 そう言われてもなと、ハルトは肩をすくめる。

 ハルトからすれば、態勢を整えた帝国軍が再び戦争を仕掛けてくるのは予想通りの展開だったから驚くようなことではない。


 王国軍だってそのための準備をずっとしてきたはずだ。


「で、今は南方軍が戦ってるんですか」

「そうよ。なんで分かるの!」


 いや、なんでわからないのかという話だ。


「こちらの北方に攻めてきたら、すぐ私にも知らせが入るでしょう。ノルトラインから攻めないとなったら、ぐるっとアラル山脈を迂回して南方から攻めてくるしかありえませんから」

「さすがハルトね!」


 いや、これくらいは誰でもわかっていると思うが。


「それで援軍を出すべきか悩んでいるんですか」

「そうなのよ。全部お見通しなのね。敵はまず、カノンの街に攻め寄せたそうだわ。南方軍が対応してるという報告だけど」


 そのカノンの街の領主、ミンチ伯爵が今の南方軍を指揮する将軍となっているのだ。

 ミンチ伯爵は、しぶとくて運がいいだけが取り柄の天下の愚将であるので、ルクレティアが心配するのはわかる。


 十中八九、いや確実にまたカノンでの戦いで突進して大敗北するに違いない。

 だが、ハルトはこう進言する。


「軍師として進言しますが、王国本軍から命令が来ない限りは、放って置いていいと思いますよ。北方軍の戦力に余裕があるわけではないし、向こうに援軍を送った途端、こちらが手薄になったと見てこのノルト大要塞を攻めてくるなんてことも十分に考えられますから」


 常識的に考えればノルト大要塞に籠れば少数の軍でも落ちないのだが、ハルトはすでに敵が大砲の技術を取得して製造しているのではないかと疑っているのだ。

 攻城戦に使えるレベルの大砲ができてしまえば、もはやどんな堅固な要塞でも戦術的意味を持たない。


 そのことはハルト自身が、王都の戦いで七つ丘セブンヒルズ要塞を百門の大砲で徹底的に潰して世界に示してしまったのだ。

 この間、バルバス帝国の皇帝に即位した金髪の天才少年ヴィクトルが、それに対応してこないわけがない。


 ヴィクトル少年もまた、ハルトと同じく天与の才能タレント『衆に優れた器量』を女神ミリスより与えられた世紀の英雄なのだから。


「なるほど、それもそうよね」


 深く頷くルクレティア。

 ハルトの本音としては、なるべく仕事をしたくないだけだったりする。


 机に広げられている両軍の動きを表した地図をさらっと確認するが、やはりまだ動くべきではないなとハルトは思う。

 王国南部といってもかなり広大な領域なので、そこをいきなり帝国軍が攻め立てて全部落とすなんてことは不可能なので当面は問題ないはず。


 ミンチ伯爵の下で苦労する南方軍の幕僚や兵士には申し訳ないが、今の帝国軍の情報を集める好機でもある。

 しばらくは、クレイ准将麾下の密偵部隊が現地での情報収集に専念しつつ、相手の出方を伺うということに方針決定した。


「ああ、そう言えば姫様には、これをお贈りします」

「ゆ、指輪!!」


 ハルトが何気ない様子で、ポケットから星紅玉の指輪ステウラ・ルベウスを取り出して手渡すので、ルクレティアは目を白黒させる。

 驚いているルクレティアを見て、ハルトは説明不足だったかと言葉を重ねる。


「ええっと、この指輪だけではなく。王国の宝物の多くを買い戻せたので、姫様にお返しするということなんですが……」


 しかし、ルクレティアの頬と耳たぶまで真っ赤になっているのはどうしたことなのだろうとハルトは訝しむ。


「指輪をハルトから私に贈るってことは、ここ、これは、もしかして! その、あの!」


 ほほう、たまにルクレティアも鋭い時もあるとハルトは感心した。

 ちゃんとこれを贈る意図を分かってくれるのかと、満面の笑みで頷く。


「そうですね。ルクレティア姫様には次期女王として、ぜひこの星紅玉の指輪ステウラ・ルベウスを身につけて欲しいということです」


 ハルトがそう言うと、ルクレティアは頭からプッシューと湯気を立ててその場で卒倒した。

 この世界において、男が女に指輪を贈るということが特別な意味を持つと、残念ながらハルトは知らなかった。


 普通に気が付きそうなものなのだが、恋愛経験皆無のハルトはこっち方面にはとんと疎い。

 こう言ってはなんだが、ハルトの天与の才能タレント『卓越した知性』は判断力と記憶力が卓越するだけで、意外と抜けが多い。


「ひ、姫様?」


 何事かとクレイ准将たちが、駆け寄る。

 ハルトも慌てて、腰を抜かしたルクレティアを抱きかかえた。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫。私は、大丈夫だわ。ハルトの思い、確かに受け取ったわよ!」


 ルクレティアは倒れてもチャンスを逃すまいと、ハルトの手をギュッと握っている。

 鎧を着ているので重いのだが、なんとかルクレティアを助け起こすと、ハルトはため息をついた。


「そうですか。ご無事ならいいんですが、帝国との戦が始まったのに、姫様に倒れられては困りますからね」


 今のハルト商会の繁栄は、ナントの街の行政権や各地の鉱山の所有権をルクレティアが握っているからでもある。

 今も昔も、姫様はハルトの大事な金づるなのだ。


「じゃあ、さっさと帝国軍を倒してしまいましょう。そして、私達は王の冠をいただくのよ!」


 しゃかりきになった姫様は、威風堂々とそう決意表明して指輪を左手の薬指に嬉しそうにはめる。

 それをちょっと羨ましそうな顔で、エリーゼとシルフィーが後ろから見ている。


「当面、こちらは動かないことに決まったんですけどね」

「そ、そうだったわね。えっと、ハルトはこれからどうするの?」


「私はこれから、アリキア辺境伯領の軍団の編成を確認しにいくところです。戦争への準備はやはり必要ですから」

「そうなの。じゃあ、私も一緒にいくわ!」


 ドキドキと高鳴る胸を手で押さえた姫様は、興奮しきっていて何かやらずにはいられないようだ。


「うーん、そうですか」


 ハルトはちらっと、ルクレティアの謀臣である銀髪の老騎士、クレイ准将に視線を送る。

 クレイ准将は、苦笑して「好きにさせてあげてください」と軽く頷いた。


 どうやら、ルクレティアを連れて行っても問題ないようだ。

 こうして何故かついてくるルクレティアを一行に加えて、ハルトは自分の領地に出向くこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る