第三章「王都の決戦」

第62話「激突、四万五千対十三万五千」

 レギオンの街より出立した姫将軍ルクレティア率いる反乱鎮圧軍は、王都に向かう途上のカンナエ平原で、ラファイエット率いる農民反乱軍と対峙たいじした。


 反乱鎮圧軍は歩兵二万五千、騎兵二万の総数四万五千。

 農民反乱軍は歩兵十二万五千、騎兵一万の総数十三万五千。


 その兵力差、まさに三倍。

 この戦をどうするか、後方の小高い丘に布陣した反乱鎮圧軍の本営で最後の相談がなされていた。


 劣勢の戦いはいつものことなので平然としているルクレティア陣営に比べて、ミンチ伯爵の幕僚たちは焦りまくっていた。

 所詮は雑兵と侮っていたのに、実際に目にした地を埋め尽くすような農民反乱軍は意気軒昂いきけんこうで統制も取れていた。


 悪政への怒りに震える農民反乱軍の踏み鳴らす足音は大地に響き、けたたましい進軍ラッパの音がここまで届いてくるほどだ。

 一番の違いは、やはりきちんとした軍事教育を受けた改革派貴族の士官が指揮しているということなのだろう。


 その上でラスタンが農民反乱軍に送り込んできた増援には、騎兵が一万も含まれていた。

 これでは正規軍を相手にしているのと変わらない。


「賊徒どもは総数で十二万と聞いていたが、さらに増えて十三万五千! それが全部こちらに来るとは想定外だ。しかも、騎兵や傭兵までいる!」

「ハルト殿は、一体これをどうされるおつもりなのか!」


 この張り詰める空気の中で、作戦を指揮する軍師ハルトはちょっと出かけようかくらいの調子で何気なく提案する。


「そうですね。じゃあ、鶴翼の陣を敷いて当たりましょうか」


 鶴翼の陣とは自軍の部隊を、敵に対峙して左右に長く広げた陣形である。

 単に横一線に並ぶのではなく、左右が敵方向にせりだした形をとるため、ちょうど鶴が翼を広げたように見えることからそう呼ばれる。


 古くから会戦に用いられるもっともポピュラーな陣形の一つではあるが、大軍が敵を包囲するための防御陣形である。

 三倍の敵に対して用いられた例など古今なかった。


「鶴翼!? あれ程の大軍に向かって、鶴翼の陣ですと!」

「まさかとは思いますが、軍師ハルト殿は三倍もの敵を包囲するおつもりなのか?」


 仰天したのは、普段ハルトのやり方に慣れていないミンチ伯爵の幕僚たちだ。

 彼らも王立の最高学院を卒業して、一通りの戦術は学んでいる。


 多数の敵に対して包囲陣を仕掛けるなど、兵法の条理に反している。

 天才軍師と呼ばれるハルトの作戦にしては、あまりに無謀すぎると思われたからだ。


「はい、改革派貴族の首魁ラファイエットを前までおびき出して、即座に包囲殲滅する。これが、今回の作戦の目的です」

「バカな! あれだけの大軍を率いた将が、のこのこと前線に誘い出されてくるわけがない!」


 ラファイエットは、後ろに陣取ってただ前に雑兵を押し出すだけで勝てるのだ。

 凡庸なミンチ伯爵の幕僚たちでもそれくらいはわかる。


「三倍の大軍に対して包囲陣は、あまりに危険すぎます。横に長く陣取れば、突き破られる可能性が高い。天才軍師と謳われたハルト殿らしくない作戦ですぞ。もっと、安全に勝てる作戦はないのですか」


 焦りまくる幕僚たちに、涼しい顔でハルトは答える。


「危険ですか? なおさら結構ではありませんか。では、その上で更に危険になるように、ルクレティア姫様とミンチ伯爵に中央の前線で戦ってもらいましょうか」

「な、なんと……」


「無謀すぎる! 将軍二人が前面に出るなど、そんな用兵はありえない。まるで古代の蛮族の戦いだ!」


 幕僚たちの反応に、ハルトは少し微笑みを浮かべて答える。


「でも、お二人はやる気みたいですよ。我が軍の両将軍は、英雄ですからね」


 そのハルトの言葉に、ルクレティアは笑って頷いた。


「ハルトの作戦がそうなら、私は従うのみよ。腕がなるわ!」


 格好良く腕を組んで沈思黙考していたミンチ伯爵だが、ルクレティアの様子をちらりと横目で見てから、幕僚たちに静かに語りかける。


「お前たち。この期に及んで、何を及び腰になっているのだ」

「しかしですな、ミンチ将軍閣下」


「もし御身に何かあれば、軍が瓦解しますぞ」


 そう心配する幕僚たちに、ミンチ伯爵は髭を揺らして笑った。


「フハハハッ、さっきからお前らは何を言っているのだ。もうそんな事を言っている場合ではないだろ」

「どういうことです?」


「わからんのか。この戦いに負けてオズワール殿下を討たれれば、どのみちワシらは終わりだ」

「それは……」


 幕僚たちは目を見張って驚く。

 あのミンチ伯爵が、まともなことを言っている!


「もはや、伸るか反るかよ。ここで負ければ、たとえ生き残っても敗残の将として惨めに追われて死ぬだけだ。勝って救国の英雄になるしか、故郷に帰れる道はない。だからワシは、決死で戦うと決めた。お前らも一蓮托生であろうが!」


 まるで百年の迷妄から覚めたようなミンチ伯爵の言葉に、騒ぎ立てていた幕僚たちも静まり返る。

 ここで負ければ、自分たちには後がないとようやく気がついたのだ。 


 幕僚たちが静かになったのを見て、ハルトは言葉を続ける。


「ミンチ伯爵のおっしゃる通りです。王都の王族を助けることを考えたら、時間がないんですよ。反乱軍の首魁であるラファイエットは、ルクレティア姫様やミンチ伯爵と同じく英雄です」

「そうであろう、そうであろう」


 ミンチ伯爵は、凄く嬉しそうに笑いながら、立派な髭を揺らしてブンブンと頷く。

 ハルトの言っている英雄というのは、つまり目立ちたがり屋のバカという意味なのだが。


 わかってないのだろうなあこの人と、ハルトは思わず吹き出しそうになる。


「もちろん将自らが突撃するなど、周りに知恵のある幕僚がいれば止めるでしょう。ですが、これまでのラファイエットの行動を見れば、後ろに陣取って戦が終わるのを待つなど耐えられない性格ですよ」


 ハルトがこう断言するのは、クレイ准将が集めてくれた情報があるからなのだ。

 民衆のカリスマを気取る派手好きのラファイエットは、これまでの戦いで常に英雄的な騎兵突撃を敢行している。


 行動は言葉よりも如実にょじつにその人物を現す。

 ラファイエットという男は、世紀の戦いとなるこのカンナエの会戦で、英雄となる欲望に打ち勝てるとは思えない。


「ラファイエットというやつが出てくるまで戦い続ければいいのね。楽勝だわ!」

「このワシが改革派の木っ端貴族どもを臆病者と罵倒して、必ずやおびき出してやろうぞ!」


 こう見ると、ルクレティア姫様とミンチ伯爵はいいコンビだなとハルトは笑ってしまう。

 ルクレティア姫様とミンチ将軍には、中央前線でラファイエットをおびき出す囮の役割を果たしてもらう。


 普段は困らされているのだが、今回の作戦ではこの二人の無謀さこそが生きてくる。

 もちろん作戦指揮するハルトは、安全な後方から全体を俯瞰ふかんして援護するのだ。


「ハルト大隊は大砲と銃と長槍を持って、鶴翼の陣が突き破られないようにサポートしますからご心配なく。では、皆さん作戦通りよろしくお願いします」


 こうして、カンナエ平原を埋め尽くすように待ち受ける農民反乱軍に対し、小高い丘を背景にした反乱鎮圧軍は鶴翼の陣を取って激突したのであった。

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