第58話「ミンチ伯爵降伏」

 ミンチ伯爵は、数人のお供を連れて戦場を駆ける。

 攻める時も躊躇しないが、いざ逃げるとなったときのミンチ伯爵は誰よりも速い。


 怒涛の進撃と、突然の撤退。

 ここまでくると、動物的な感性とでも言おうか。


 先のカノンの戦いで、敗戦を喫してもミンチ伯爵だけは捕まらなかった理由がこれだった。

 貴人ゆえの薄情さで、死地に取り残される部下のことなどこれっぽっちも考えてはいない。


 ただその行動は兵法の条理からも大きく外れているため、予測は極めて難しい。

 相手が、天才軍師ハルトでなければの話である。


「やはり来ましたか。正直、自分でもこれだけはありえないと思ってたんですが」


 ハルトたちは、レギオンの街から一直線に後方に逃げるとしたらここというルートに待ち構えていたのだ。

 こうなれば、単騎で駆けているミンチ伯爵を捕らえるのは容易い。


「お前たちは何者だ、ワシを誰だと心得るか! カノンの領主であり、鎮圧軍三万の将軍である! ミンチ伯爵だぞ!」

「あーはい、どうも。お久しぶりです、ミンチ伯爵」


「軍師ハルト! どうしてここに!」


 ハルトの顔を見て、ようやく取り囲んでるのが敵だと気がついたミンチ将軍。


「撤退してくると予想して、待ち構えてたんですよ。完全に包囲されてますから、さっさと降伏していただけますか」

「なんだと! すぐに鎮圧軍三万の軍勢がここにやってくるぞ! むしろそなたのほうが降伏せよ! 命だけは助けてやる!」


 いや、この人この状況でマジで言ってるのかとハルトは呆れる。

 傍らのエリーゼを見たら、憂鬱そうに頭を抱えていた。


 元とは言え、エリーゼが代々騎士として仕えてた主家だものなあ。

 三か月しかかかわってなかったハルトでも微妙な気分だから、その心中を察するにあまりある。


「ミンチ伯爵。降伏しないと言うなら、申し訳ないんですけどちょっと痛い目を見てもらいますよ」


 こんな男でも三万の軍勢の将軍であることに変わりはない。

 その身柄は、鎮圧軍を抑えるのに使える。


 面倒なことはさっさと済ませてしまおうと、ハルトは銃を構えた大隊を前に出す。

 すると、ミンチ伯爵の顔色が一変した。


「ま、待て! そのパンパンはやめてくれ! ワシが悪かった! 降伏、降伏しゅる!」


 ミンチ伯爵は、さっき散々銃撃を浴びて痛い思いをしたのがトラウマになってしまったのか、真っ青になってその場に伏せる。

 さっきまでの威勢はどこにいったのだ。


「わかりました。じゃあ降伏を認めますので、鎮圧軍とやらにも、投降を呼びかけてもらえますか?」

「なんでもする! なんでもするから、その火筒をこっちに向けないでくりぇぇえ!」


 こうして早々に降伏したミンチ伯爵は、我が身可愛さで鎮圧軍にも投降を呼びかけた。

 分断された傭兵団一万と、元から士気が低く、最悪の状態に陥っていた王国南方軍を主体とする本軍二万は相次いで降伏。


 こうして、お互いほとんど損害を出すこと無く戦闘を終えた。


「考えれば、不思議な人だな……」


 恥も外聞もなく味方に投降を呼びかけるミンチ伯爵を見て、ハルトは考え込む。

 奇しくも、極め付きの無能とも思えるミンチ伯爵の采配のおかげで、王国の正規軍が同士討ちして潰し合うという悲惨な事態は未然に防がれたのだ。


 これが中途半端に有能な将であれば、ハルトが勝つにしてもそれなりの損害は免れなかったに違いない。

 この一点だけ見れば、むしろその無能さは後世から見れば評価されるのではないだろうか。


 何がどう転んでどうなるかは、結果が出てみないとわからないところもある。

 人生万事塞翁が馬とは、このことを言うのかもしれない。


 そうして、ミンチ伯爵よりハルトたちに貴重な情報がもたらされることにもなるのである。

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