第57話「鎮圧軍崩壊」

 突如巻き起こった爆発は、食料庫を奪って食料を確保しようとした鎮圧軍の兵士が地雷を踏んだことによるものだった。


「建物が爆発しただと?」

「はい、街の重要拠点全てがそうです。入り口に近づくと爆発するので近寄れません。そして、街のいたるところの屋上に潜んでいた敵軍兵士が、火の出る筒で狙撃してくるのです」


「魔術師の仕業か? 確かに軍師ハルトの軍勢にはそのような者がいるとは聞いているが、こちらは圧倒的な兵力なのだ弓で撃ち返せばいいだろう!」

「高低差があってとても太刀打ちできません。敵は二千か三千と少数ですが、かなりの手練です!」


 習熟のいる弓と違って、マスケット銃は経験の浅い兵士でも使いやすい。

 これに建物の上と下という高低差があれば、鎮圧軍の側は一方的に蹂躙される。


「じゃあ、建物を占拠すればいいであろう」

「だからその建物が爆発するから、入り口に怖くて近づけないと言ってるんです!」


 眼の前で味方が爆発して吹き飛んで動かなくなった光景を目にしてしまった兵士は、すでに恐慌状態に陥っている。

 指揮官がもう近づきたくないのだ、建物を占拠しろと兵に命じても行くわけがない。


 しかも、街のいたるところから銃弾が飛び交い、安全な場所などない。

 初めてマスケット銃を見た兵士たちは、その火の出る筒の音と光に為す術もなく右往左往しまくっていた。


 このままおちおちしていたら、一方的に射殺される。

 指揮官に早く逃げようと、悲鳴を上げている。


 しっかりと確保したはずの安全地帯は、一瞬にして敵の矢衾やぶすまにさらされる地獄と化していたのだ。

 撤退するべきだと進言する部下の言葉を、ミンチ伯爵は鼻であしらう。


「バカなことを言うな、敵の数はたかだか三千かそこいらなんだろう。三万の軍勢が、そんな寡兵に負けるわけがない!」


 落とせない砦に籠城している二千の遠距離攻撃をしてくる兵団なのだ。

 もともと、レギオンの街はノルト大要塞攻略を目的とした軍事基地である。


 全ての建物は、籠城を想定して石造りで硬く作られており、要所には防衛用の砦も配置されている。

 ミンチ伯爵の鎮圧軍三万は、まんまと敵が待ち構えている罠深くに足を踏み入れてしまったのだ。


「ここまで伝令に来るだけでも命がけだったのです。将軍閣下、伏してお願いします。このままでは友軍に多大な被害が出ます!」


 伝令兵は、銃弾を受けてひしゃげた自分の兜を見せて敵の兵器の威力を説明する。

 しかし、ミンチ伯爵は聞く耳を持たない。


「せっかく占拠した街を捨てられるわけがないだろう!」

「ミンチ将軍閣下!」


 新たな伝令が飛び込んでくる。


「今度はなんだ!」

「傭兵団が街より逃亡いたしました」


「なんだとぉおお!」


 鎮圧軍三万のうち、一万を占める雇われの傭兵団は、ミンチ伯爵の「略奪は許さん」なんて命令は聞いていなかった。

 彼らは足りない給金を略奪で補う習性がある。


 しかし、これみよがしに物資が積み上げてあった街の略奪ポイントには、大量の地雷が仕掛けられていたのだ。

 一方的に街を占拠できて、大儲けだと略奪に走った傭兵たちは次々にこれに引っかかった。


 味方が目の前で爆死した衝撃は、傭兵団を狼狽させて撤退を判断させるのに十分だった。

 彼らは、ミンチ伯爵の愚かな命令に唯々諾々と従って死ぬ義理などない。


「いかがいたしますか。このままでは、戦力が分断される結果となります」


 今なら、まだ整然と街から引けば被害は少ない。

 傭兵団も街から退去しただけで敗走したわけではないのだ。


 むしろ撤退するなら今しかなかった。

 ミンチ伯爵の幕僚たちは凡庸な貴族士官ではあるが、王都の最高学院で一通りの戦術は学んでるので敵が各個撃破を狙っている程度のことはわかっている。


「くそ、あいつら。高い金を払って雇ってるんだぞ!」


 そう叫ぶミンチ伯爵を、ジトッとした目で見る幕僚。

 あんたが金をケチったから傭兵団が略奪しようとして爆発に巻き込まれて逃走していったんだよと言いたいところだが、今は誰の責任かを議論している場合ではない。


「ミンチ将軍閣下、一時的にレギオンの街から撤退してはどうかと提案します」

「私も同じ意見です。すでに街は死地であります。これは空城の計というものでしょう、態勢を立て直すべきかと」


 幕僚たちのまっとうな提案に、ミンチ伯爵は断固反対する。


「ならん! せっかく占領した街から引いてどうする。士気が下がるばかりではないか!」

「ミンチ将軍閣下は、現状を認識なさっておられますか、もう士気どころの話ではないのです!」


 そこら中で爆音と銃声が轟いているのが、ミンチ伯爵には聞こえないのか。

 それでもふんぞり返ったミンチ伯爵は、声たかだかに叫ぶ。


「レギオンの街を占拠して、しかるのちノルト大要塞を攻略する。撤退などしたら、ワシの立てた大戦略が台無しではないか!」


 こいつダメだと、幕僚たちは目で語り合う。

 しかし、どんなに見た目だけのお飾りといっても、鎮圧軍三万の総帥はあくまでミンチ伯爵なのだ。


 ここは、撤退してもらわないと自分たちも危ない。


「ではミンチ将軍閣下。現場の兵士たちを激励してください。爆発を乗り越えて建物を占拠すれば、籠もる敵を討ち果たせるはずです」


 さすがにミンチ伯爵といえど、現場の悲惨さを見ればすぐに引くだろうという提案であった。


「それだ! よーし行くぞ。その方らもついてこい、断じて行えば鬼神もこれを避く! 火の出る筒や爆発がなんだというのだ!」


 ミンチ伯爵は勢いこんで馬を駆り、弾が飛び交う食料庫に応援にいった。

 危ない場所に近づきたくないなあと思いながら、そこは宮仕えの悲しさでついていくしかない。


「お前ら、何を躊躇しておる。進め、進め! 見える敵は少数ではないか!」

「近づいたら爆発するんですよ。無茶を言わんでください!」


 建物の影から弓で応戦しながら、それでも懸命に戦っていた兵士長は何事かと目を見張った。

 この死地からの撤退命令を今か今かと待っていたのに、いきなり将軍がやってきて突撃して無駄死にしろとは何事だ。


「爆発が何だ。じゃあ、建物の上にいる敵を全員射倒せ! ええいもうお前らには任せておれん。見ておれ勇壮なる王国兵士たちよ、我が強弓で士気を取り戻すのだ!」


 無謀なミンチ伯爵は、何を思ったのかやおら弓を手に取ると、銃撃が飛び交う戦場のど真ん中にいって弓を引いた。

 もちろん、そんな矢が当たるわけがない。


 それどころか、敵の銃弾を受けたミンチ伯爵は、バキューンと豪奢な兜を撃ち抜かれた。

 耳がキーンとなって呆然自失となったミンチ伯爵に、さらなる銃撃が襲いかかる。


 パンパンパンパンパン!

 そのまま、無茶苦茶に弾を浴びてミンチ伯爵は落馬する。


「あ、ああ……なんだこれは! あああああああ! ぎゃぁあああワシの腕が、足がぁああああ!」

「あんたは一体何しにきたんだ!」


 どんなに無残な醜態を晒していても、将軍を放っておくわけにはいかない

 兵士長は、危険な銃弾の雨の中を飛び込んでいって、ミンチ伯爵の身柄を物陰に引きずって避難させる。


「うぎゃぁああ、痛い、痛い! ヒィ、ヒィッ、血が出てるぞ、死んでしまう! 従軍魔術師を呼んでくれ! 早く治療するのだ!」


 負傷したミンチ伯爵は大騒ぎしているが、これだけ叫べるなら命に別状はないかと思われる。

 あの銃撃で、致命傷を受けずに済んだのはまだ幸運だった。


 カノンの街での帝国軍との戦いでも、軍を壊滅させながらちゃっかり生き延びて復権しているミンチ伯爵は、なんだかんだで悪運の強い男である。

 将帥であるミンチ伯爵には、最良のサポートが付いている。


 この程度の傷なら従軍魔術師の治療魔法のおかげで、すぐに癒える。

 怪我を治療されたミンチ伯爵は、まるで憑き物が落ちたように真顔になって馬に飛び乗った。


「よ、よし総員、転進だ! 我に続け!」


 いきなり意味不明なことを言うと、ミンチ伯爵は馬に飛び乗った。

 そうして、供回りだけを連れて街から脱出してしまった。


 まさに一瞬の出来事。

 唖然としたのは、幕僚である。


「まさか……」

「将軍閣下は、撤退指揮もせずに自分だけ逃亡されたのか!」


 周りの幕僚たちにしても、もし危なくなったら自分だけでも逃げようと考えていたが、まさか将帥自らが軍を見捨ててまっさきに逃亡するとは考えてもみなかった。

 その逃亡の鮮やかなること、これまでの無能さが嘘のようであった。


 しかし、取り残された軍は悲惨である。

 将軍が撤退指揮もせず逃亡したことで統制が失われた鎮圧軍は、もはや総崩れの状態でレギオンの街から逃げ出すしかなかった。

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