第21話「疑心の要塞」
ノルト大要塞には、敗走してきた帝国軍兵士たちが殺到していた。
逃げると言っても、王国領に侵攻して敗北した帝国軍の周りは全て敵の領地であり、逃げ込める場所はここしかない。
しかし、ノルト大要塞は何故か味方である帝国軍に対して、その門を固く閉ざしていた。
「伯爵閣下、入れなければ門を壊すとまで申しておりますが……」
そんな報告が、大要塞の楼閣にある司令部に上がってくる。
殺到する帝国兵を苛立たしげに見下ろすミスドラース伯爵は、疑念と疑心に揺れていた。
「……門に近づいたら、撃ち殺すと伝えよ」
「しかし、相手はお味方ですぞ。王国軍との戦に破れて、助けを求めてきておるのです」
「それが、本当かどうかハッキリせんから困っておるのだ!」
ミスドラース伯爵は、手に持っていた手紙をぐしゃっと握りつぶす。
そこには、皇太子からドハン将軍に宛てた命令が書かれていた。
王国との戦争に見せかけ、帝国兵を要塞内になだれ込ませて伯爵を討ちノルトライン伯国を召し上げよと。
もちろん、ハルトが作った偽物ではあったが、皇太子の
バルバス帝国は、帝政改革を推し進める皇太子派と、旧来の権力を保持しようとする門閥貴族派に分かれて政争を続けている。
帝国本土を守る盾とも言うべきノルト大要塞を、皇太子派が奪おうとする展開は十分に考えられる。
「逃げてくる帝国兵は、皆ボロボロになり疲れきっておりますぞ。まさか、これが演技だとは思われません」
「うーむ、しかし」
「もしも兵の言うことが本当ならば、王国軍はもうそこまで迫っておるはず。このまま見殺しにすれば、帝国への反逆にも問われかねませんぞ」
普段ならば、ミスドラース伯爵も部下の諌めを聞き入れたかもしれない。
しかし、疑念を煽られているこの状態で、判断を下せというのは難しい。
ここで判断を誤れば、領地を奪われ、自分の首が飛ぶかも知れないという恐怖。
そこは百年、伯爵家を守ってきたノルト大要塞だ。
門さえ閉じていれば、自分は安全だという気持ちが強かった。
そこに、下から猛将ドハンの怒声が響いた。
「ミスドラース! 貴様は何を考えているのだ! 早く門を開けんか!」
王国軍との戦に破れ、姫将軍にまで無様な惨敗をしたドハン将軍。
身体の傷は、ミリス教会の神官が作る高価な回復ポーションを使えば癒やすこともできる。
だが手痛い敗北は、その身に受けた傷以上に、将軍のプライドを傷つけていた。
それで大要塞まで逃げてくれば、今度は臆病者のミスドラースが門を閉じている。
ふざけるのも大概にしろという話だ。
ヴェルナー准将がいくら「落ち着いてください」となだめても、これで怒るなというほうが無理だ。
「伯爵閣下、相手は帝国軍の将軍ですぞ。返事をせぬわけには……」
部下に諌められて、ミスドラースは仕方なく楼閣の階段を降りて、相手の顔が見える防壁の縁まで赴く。
「ドハン将軍。貴公らには、嫌疑がかかっておるゆえ、この門を開けるわけには行かぬ。しばらくそこで待つがいい」
「なんだと、貴様はまだ臆病風に吹かれているのか。敵がもうそこまで来ているのだぞ!」
「貴公らは王国軍が来ると言うが、そんな姿はどこにも見えないではないか」
「もうすぐ来る。この俺が、嘘を言うわけが無いだろう」
ドハン将軍には、この問答自体が不愉快だった。
何度も何度も、自分が負けたということを言わねばならぬからだ。
防壁の下でも、ドハン将軍がもう門を破ってしまえと叫んで、ヴェルナー准将らに必死に諌められている。
ここで伯爵の領地軍と、帝国軍が決裂して争いにでもなれば、それこそ終わりだ。
「ミスドラース伯爵、落ち着いてください。私たちは嘘などついておりません。ほらもう、敵軍がそちらに見えるのではありませんか」
ヴェルナー准将は、今にも喧嘩別れしようとする両者を取り持つのに必死である。
しかしそのとき、致命的なものが、ミスドラース伯爵の目に入ってしまう。
「な、なんだ、あれは!」
「王国軍が迫ってきただけでは……」
防壁に張り付くように留まっているドハン将軍率いる帝国軍。
そして、その向こう側から徐々に姿を現した軍勢。
そこには、たくさんの帝国軍の旗がはためていた。
疑心暗鬼にかかっているミスドラースには、それがまるで攻め寄せてくる大軍に見える。
「やはり王国軍との戦いというのは嘘か! これでわかった。貴公らは、最初からこのノルト大要塞を狙っていたのだな!」
「お待ち下さい伯爵! これは何かの間違い! いえ、敵の罠です! ちゃんとお調べいただければすぐにもわかること!」
「ええいうるさい。そうでないというなら、一刻も早く我が要塞の門から兵を退け!」
「いや、伯爵! それは無理なのです!」
帝国軍は、戦に敗れて逃げてきているのだ。
いますぐ、大要塞の門から離れて敵の前に出ろと言われても、士気が落ちている兵が言うことを聞くわけがない。
それを、ミスドラース伯爵は敵対の意思と取ってしまった。
「やはりか、退かぬというなら退かせるまで……全軍、門の前の帝国兵に向けて矢を放て!」
それは、帝国への反乱になる。
伯爵の部下が必死に諌める。
「閣下なりません、お味方ですぞ!」
「バカを申すな! あれを見ればわかるであろう。あいつらは、我が領地を狙っているだけなのだ。ええい弓を貸せ!」
伯爵は、手近の弓を取って、門の下にいる帝国軍兵士に向かって矢を放った。
その
帝国軍は、撤退してきたのだ。
いまさら前の王国軍に向けて進むことなどできない。
このままじゃ挟み撃ちにされると思った帝国軍の歩兵たちは、慌てふためいた。
門の近くにいる者は、門を壊そうとする。
何を思ったのか「やめてくれー味方だ!」と叫びながら、高い壁をよじ登ろうとする兵士までいた。
それは必死の訴えであったが、大要塞の守りを固めている領地軍には敵対行動にしか見えない。
即座に防壁にへばりついてくる帝国軍に対して、攻撃が開始された。
「止めろ、止めるのだ!」
ヴェルナー准将はそう叫びながら、一度起こってしまった争いを止めるのは、もう無理だと悟っていた。
眼の前で味方同士が相討つ最悪の状況を眺めながら、半ば現実逃避的に、一体、自分はどこでミスをしたのかと考える。
ヴェルナーは、敵の間諜が動いているとすでに察知していた。
だからこそ、猜疑心の強いミスドラース伯爵をなだめる努力もしてきた。
居丈高なドハン将軍には無理でも、慎重な自分にはそれができるとも思っていた。
だが、そこに慢心があったかもしれない。
まず前提として、この侵攻作戦が失敗するはずがないと考えてしまったこと。
時間もなかったから、王国のレギオンの街を奪って、その後でゆっくり伯爵の疑心を解けばいいと考えてしまった。
王国軍は、ただ帝国軍の旗を掲げただけ。
ただそれだけで、帝国軍一万が味方の手によって壊滅しようとしている。
もしこの戦を生き残ることができたなら、『幻の魔術師』の脅威を、皇太子殿下に必ずお伝えしなければならない……。
ヴェルナー准将がそんな事を考えている一方で、因縁の二人は相争いお互いを罵倒しあっていた。
「血迷ったかミスドラース! この逆賊め!」
「ドハン将軍……前からワシは、貴公のことが気に入らなかったのだ。この皇太子の腰巾着が!」
「ミスドラース! 皇太子殿下に逆らってどうなるか、すぐに思い知らせてやるぞ! 門を破り、その素っ首を落としてやる!」
「それはこっちのセリフだ。あのバカ将軍を砲撃で押しつぶして、皇太子に豚のひき肉を届けてやれ!」
激高したミスドラース伯爵の命令で、ついに大防壁に並ぶパルメニオン砲が、ドハン将軍に向かって放たれる。
「ぬおぉおおお!」
ドハン将軍の雄叫び。
ザマァ見ろと、笑ってられない状況も忘れて、ミスドラース伯爵の口元が笑みに歪んだ。
百キロを超える石弾と、大量の
それは、将軍を守る魔術師たちの犠牲によって守られる。
だが――
パーンという乾いた音とともに、前のめりにドハン将軍が倒れた。
「しょ、将軍……!」
ほんの数秒、沈思黙考にふけっていたヴェルナー准将が、軍馬からだらりと身体を倒れさせたドハン将軍を助け起こすが。
……すでに頭を撃ち抜かれて死んでいた。
「なぜだ!」
また数を減らしたとはいえ、将軍を前で守る魔術師たちは数人残っている。
その証拠に、石弾や
「前にばかり注意して、不覚を取りました。後ろからの攻撃だったようです」
そう、ヴェルナー准将に苦しげに言ったのは、次席帝宮魔術師イージウスだった。
「後ろからだと。王国軍が矢玉を、この距離でか?」
「原因はわかりませんが、これも『幻の魔術師』の特殊な魔法かとも思われますが」
まだ、王国軍はノルト大要塞の誇るパルメニオン砲台の射程にも入ってきていない。
この距離から、正確にドハン将軍の頭を後ろから射抜くことができる魔法があるという事実に震え上がる。
これはもう仕方がないと、ヴェルナーは覚悟を決めた。
「魔術師イージウス。諸君らは、魔法で飛んで要塞の中にも入れるのだろう。この場を生き延びて、必ずや見たことを皇太子殿下にお知らせするのだ!」
「准将閣下は、どうなされます」
「白旗を上げて降伏する」
「それは……」
誇り高き帝国の騎士にとって、降伏は死よりも辛いこと。
「こんな状況で王国軍が降伏を受け入れてくれるとも限らないが……我らが白旗を上げて降伏するのを見れば、ミスドラース伯爵の目も覚めるかもしれない。貴公は、必ず生き延びろイージウス」
「ハッ、必ずや見たことを皇太子殿下に!」
乱戦に紛れて、次席帝宮魔術師イージウスと残り二名になった魔術師は、ノルト大要塞を飛んで逃げた。
それを見送ると、最寄りの兵をまとめたヴェルナー准将は、自ら白旗を掲げて王国軍へと投降したのだった。
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