第14話「つかの間の休息」

「ハルト様、コーヒーが入りました」

「ああ、ありがとうございます、って……それどうしたんだよ!」


 副官のエリーゼが、フリフリスカートのメイド服を着て現れて、ハルトはソファーからずり落ちそうになる。

 いつもの丁寧口調も崩れてしまうほどだ。


「お好きかと思いまして」

「えっと……」


 これはどうしたらいいんだ。

 ハルトの卓越した知性を持ってしても、上手い対処が思い浮かばない。


 お好きかと聞かれたら、清潔感のある白いエプロンは決して嫌いではない。

 しかも、エリーゼは白いカチューシャやカフスまでつけて、ガチメイドの装いである。


「この間、ルクレティア姫様のお付きのメイドをずっと見てらしたでしょう。私には、似合ってませんか?」


 エリーゼは、少し不安にそう尋ねてくる。

 ああ、あれのことかとハルトは思い出した。


 自分の屋敷でも、メイドを雇おうかと考えて見ていたのだ。

 エリーゼは、ほんとに良く観察している。


 別にメイド好きだからじゃなくて、副官であるエリーゼが、まるでメイドのように細々こまごまと世話をしてくれるのに、いつまでも甘えていてはいけないと思ってのことだ。


 しかし、いろいろと出費がかさんでいるので二の足を踏んでいたのだが……。

 まさか、ついにエリーゼがメイドの格好をして現れるとは思っても見なかった。


「……あの、似合って、ません?」

「似合ってる! 似合ってますよ!」


 さすがに、ここで返答を間違えるほどハルトも無粋ではない。


「そうですか。喜んでいただけてよかったです。これからはこれでご奉仕しますね」


 エリーゼは、可愛らしくクルっと回ってから、スカートの袖をたくし上げて会釈してみせる。

 そんな服どこで売ってたんだ。


 栗毛色の髪に、碧い瞳の可憐なエリーゼに、楚々としたメイド服はよく似合っている。

 よく似合ってはいるのだが、そんなに似合ってしまっていいのだろうかとハルトは少し悩む。


 士爵家の跡取りとしても、軍師の副官としても、大変マズいことになっている気がするのだが気のせいだろうか。

 ともかく、エリーゼが淹れてくれたコーヒーをズズっと飲む。


 ミルクや砂糖もきちんと用意されているのだが、ハルトは一杯目は必ずブラックで飲む。

 南方からコーヒーが輸入されるようになり、紅茶文化だった王国にもカフェの文化が入りつつあるが、ブラックで飲んでいるのはハルトぐらいなものだろう。


 口の中に芳醇な味わいが広がる。


「エリーゼ、淹れるのが上手くなりましたね。美味しいですよ」

「ありがとうございます。ご主人様」


 エリーゼが、妙なことを言うので、ブッとコーヒーを吹き出しそうになって咳き込む。


「ゲホゲホ……」

「大丈夫ですか、ご主人様!」


 エリーゼが、口元を布巾で拭いてくれる。

 どこからツッコめばいいのか。


 すっかりメイドが板についてしまってるので、もういいやと思うハルトである。

 そこに、姫将軍ルクレティアとクレイ准将が入ってくる。


「邪魔するわよ。……あれ、メイドなんて雇ったの? って、なによその子、軍師の副官じゃなかった? なんでメイドになってんの!?」


 そう聞かれても、ハルトも困る。

 それにしても、姫様は一回見かけただけのエリーゼの顔を覚えていたようだ。


 その辺り、行動が大雑把に見えても、王族としての教育がしっかりしている。

 部下の顔を覚えるのは、王族としても、軍人としても、重要な資質である。


「ルクレティア将軍閣下。ハルト様の副官のエリーゼ・マルファッティと申します。この格好は……申し訳ございません、趣味です」


 エリーゼのほうも、閣下と呼べという姫様の言葉は覚えているようだ。

 しかし、メイド服のままキリッと敬礼されても、姫様は微妙な表情になるばかり。


「軍師ハルト。いくら趣味でも、部下の女性士官にメイドの格好をさせるのは、公私混同が過ぎるわよ」


 ちょっと引き気味な姫様に、ジトッとした瞳で見られるハルト。


「いや、俺の……じゃない、私の趣味じゃないですよ!」


 いつもは冷静なハルトも、さすがに焦って地が出そうになる。


「閣下、ご主人様……じゃなかったハルト様のではなく、私の趣味です」

「そ、そう……ならいいわ。え、本当にいいのこれ?」


 そう聞かれても、ハルトもクレイ准将もなんとも言えない。

 自分の趣味だとエリーゼにそう言い切られると、さすがの姫様も戸惑っている。


 ちょっと考えていた様子だったが、もうこの件はスルーすることに決めたらしい。

 気を取り直したルクレティアは、そこらにある椅子を勝手に持ってくると、ハルトの前にどかっと座る。


 クレイ准将は、姫様の後ろに付き人よろしく立っている。


「それでルクレティア殿下……じゃない閣下は何の用です」


 姫様扱いされると、機嫌が悪そうな顔をするから困る。


「何の用ですじゃないわよ。あんたの功績を認めて、私の軍師として認めてやろうと思ってるのに、なんで司令部に出仕しないのよ!」


「行ってもやることがないですから……」

「あるでしょ!」


 そう言われたハルトは、少し首を傾げて考え。


「……ないですね」

「真面目にやりなさいよ! 将軍である私に、作戦の相談とかあるでしょ!」


 ハルトとしては、攻めるようなつもりは毛頭ないし、仮に相談があるとしてもクレイ准将にする。

 そもそも、突っ込めしか言わない猪突姫に作戦を相談してもしょうがないではないか。


 しかしここで、ハルトに天才的なひらめきが起こる。


「では、一つよろしいですか?」

「な、なによ! フフッ、言ってご覧なさい。この私が、特別に聞いてあげるわ!」


 めちゃくちゃ嬉しそうに腰を浮かせるルクレティア。

 これはいけるか。


「実は、いろいろ武器を作るのに官費が少しばかり足りませんでして……」

「いくらいるのよ?」


 とっさのことで官費だけでは全く足りず、かなり実費で出してしまったが、マスケット銃を作るだけでも千五百ミナもかかっているのだ。

 火薬や銃弾の調達にだって手間も金もかかってるし、持ってきた酒も全部使ってしまったし……。


「……二千ぐらいですかね」


 ちょっと、いやかなり上乗せして言ってしまった。

 二千ミナといえば、まともな労働者の一生分の賃金に相当する。


 人間を一人買えてしまう重い大金だ。


「二千タラントンか、そうよね。ノルト大要塞を相手にしてるんだから、それぐらいはかかるわよね」

「ふぁ!」


「どうしたのよ、そんな面白い顔して? あ、もしかして足りない?」

「いや、滅相もない」


「そう、じゃあ二千タラントン用意させるから、後で司令部に受け取りにいらっしゃい」

「……」


 タラントンは、白金貨一枚に相当する。

 ミナのさらに十倍の価値で、通常の取引に使われる単位ではない。


 つまり、金貨二万枚をポンと出すと言っているのだ。

 さすが大国の姫様、パネェというほかはない。


 ちなみに、タラントンとは女神の賜物を意味し、ハルトが与えられている天与の才能タレントと語源は一緒である。

 もうこの資金を持ち逃げして、左うちわで一生暮せばいいんじゃないかという発想が一瞬頭をよぎるのだが、姫様の後ろに立っているクレイ准将が、コホンと咳払いして言い添える。


「ハルト殿、私は王国北方軍の会計管理者も勤めておりまして、失礼ではありますが後ほど経費のご報告はいただけますか」

「わかりました……アハハ、もちろんわかってますよ! 官費として受け取るわけですから報告は当然ですよね!」


 残念、姫様はごまかせても、クレイ准将の目は誤魔化せそうもない。

 この人は、密偵まで使ってるみたいだからな。


 金を持ち逃げしても、すぐ捕まってしまうだろう。

 まあ冗談だ。うん、冗談だからクレイ准将も笑ってほしい。


 ハルトも、王国軍に指名手配されて、逃亡生活するつもりはない。

 せっかく大金が入るのだから、ドワーフの鍛冶屋ドルトムとも相談して、いろいろと作ってみることにするかとハルトは思案する。


「ハルト殿、私も後で少しご相談してよろしいですか」

「なんでしょう」


 切れ者のクレイ准将が、姫様を交えずにということであれば、真面目な話に違いない。

 ハルトも、ちょっとソファーに座り直した。

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