第12話「ハルトの神算」

 七十七メートルの大防壁の上に建つ二層の楼閣。

 その上から、巨大投石機トレビシェットの投石が放たれた。


 重さ百キロを超える石材が、ブンッブンッと唸りを上げて、王国軍の後方に飛来する。

 巨石が落ちたところは、途端に陣形が崩れる。


「みんな持ちこたえて! もう少しなの!」


 押されに押されていた防衛側の帝国軍は、これで態勢を整え直すことができた。

 しかも、パルメニオン砲台が狙っているのは姫将軍の陣ではなく、その後方にある攻城兵器なのだ。


 何度かの投擲で、調整を終えた巨大投石機トレビシェットは、近づいてきた王国軍の攻城用の投石機カタパルトを直撃する。

 見事な精度だった。


 次々と狙撃される王国軍の攻城用の投石機カタパルトは、たまらず石弾を撃ち返す。

 こちらの石弾だって、そろそろ壁に届き、防壁に打撃を与えている。


 後少しと、姫将軍が思うのも無理もない。

 だが、王国軍の石弾は、百メートルは上の帝国軍の巨大投石機トレビシェットには届かないし、もちろん大防壁を崩すことさえ叶わなかった。


 それもそのはず。

 ノルト大要塞は、あえて攻略側を誘うために壁を低くした弱い部分を作っているのだ。


 それはあまりにも無慈悲で、巧妙な設計だった。

 そこに石弾を集中させようと投石機カタパルトを展開させたが最後。


 大防壁に並ぶ大型弩砲バリスタの射程圏内に部隊の大部分が入ってしまう。

 仮に一枚目の防壁を崩したとしても、ノルト大要塞にはさらにこの後ろに二枚の防壁がある。


 常軌を逸した姫の一念を持ってしても、天才数理学者パルメニオンが作り上げた、物理法則の壁は超えることはできない。

 そうして、十分に王国軍を引きつけた後、満を持して大防壁に並ぶ大型弩砲バリスタが一斉に射撃を始める。


 あらかじめ、そう策が決まっていたのだろう。

 壁際まで引いていた帝国軍も、一斉に弓を放った。


 結果、戦場に生まれたのは、線の攻撃が主体の中世の戦術思考を遥かに超えた、立体的な面の攻撃。

 勇猛果敢な王国騎士ですら、為す術もなく討ち取られていく。


 これで、戦の流れは決した。


「姫様の思いも届かずというところですか、普通に撃ち負けましたね」


 ハルトは、平然と言い放す。


「軍師殿は、なにか策がお有りなのでしょう」


 銀髪の老将、さすがに焦れて尋ねた。

 ハルトと同じく平静を装っているが、やはり姫様が心配なのか額に汗が光っている。


「……そう、思いますか?」

「そう信じなければ、もうすでに姫様の救援に行ってますよ」


 今度は敵の反攻の番だ。

 さっさと、最前線にいる姫様を助け出さねば、帝国の手に捕らえられるか討ち取られてしまうだろう。


 ハルトは、この世界ではまだ珍しい機械時計で時刻を確認する。


「さて、そろそろですかね。エリーゼ」


 馬車の上のハルトは、馬車の手綱を握る自らの副官に声をかけた。


「はい!」

「大隊とともに、前に進んでください。姫を救援に行きます」


「……大丈夫でしょうか?」

「私が危ないところにいくわけがないでしょう」


 そう聞いて、エリーゼが安心したように微笑む。


「それもそうでした。ハルト大隊、出立!」


 パンパンと、マスケット銃の発砲音が響く。

 初めての銃砲だ。


 馬も人も、まだ銃声に慣れていない。

 まず敵味方の馬がいななき、帝国軍の騎兵も混乱して、突撃が完全に止まってしまった。


「これが噂のハルト殿の奥の手。確かに凄まじき攻撃ですね。しかし、これでも」


 敵の騎兵突撃の勢いは止まったものの。

 勝利を確信した帝国軍は全面にでている駐留軍五千に加えて、要塞の城門を開け放って要塞防衛軍の五千がゾロゾロと現れ、攻撃に加わりつつある。


 合わせて一万で、ボロボロに崩れた王国軍の陣を、そのまま押しつぶそうというのだ。

 ハルト大隊のたった三百の銃撃がどれほど凄くても、この流れは止められない。


 しかし、そのときだった。


 ドドドドドドドドドドッ!!


 地面を揺さぶるような凄まじい地響きと騒音に、全体が包まれる。

 ノルト要塞の壁の向こう側から、少し遅れて凄まじい怒号と悲鳴が響き渡った。


「おっと、これは怖いな」


 そろそろ来るだろうと備えていたハルトさえ、ここまでになるのかと驚いて馬車の座席から腰を浮かした。


「一体、なにが!?」

「土石流が、ノルト要塞の後方を襲ったんですよ。凄い砂煙が上がってますね、このぶんだと後方はボロボロだろうなあ」


「土石流ですと、そんなことが起こり得るのですか!」


 この軍師は、天変地異を起こせるというのか?

 王国最高位の魔術師ですら、そのような魔術は不可能だ。


 いや、まさかとクレイ准将は、さすがにその言葉を疑った。


「ちょっと後方攪乱できたらいいぐらいに思ってたんですけど、まさかここまでになるとは思いませんでした。いやあ、自然災害って怖いですね」


 しかし、凄まじい音とともに、帝国の要塞防衛軍が大混乱に陥り、要塞の中へと撤退していくのを見るにつけて、その言葉を信じないわけにはいかなかった。

 あまりの驚きにクレイは、唇を震わせる。


「軍師ハルト殿。あなたは、神かなにかなのですか……」

「いや、そういうわけじゃなくて。いま、説明します」


 ノルト要塞に隣接して張り出している山上に、山頂から雪解け水が流れ込んでたっぷりとたまっている湖があったのだ。

 これは使えるなと即座に思ったので、堰き止めている斜面を、発破はっぱを仕掛けてぶち抜いてやったのである。


 あとは、たまった大量の水が土砂とともに土石流となって、大要塞の後方を押し流すという寸法である。


「レンゲル兵長が山登りが趣味だというので、ちょっと頑張ってもらったんですよ」


 要塞の監視をかいくぐりながら断崖絶壁を登るという凄まじいロッククライミングであり「ちょっとどころじゃねえよ……」という、兵長の嘆きが聞こえてきそうだ。

 まったく、ハルトに向かって、なんでもやるなどと言うものではない。


 兵長は今頃、自分の起こした爆発に肝を冷やし、転がるようにして必死に下山しているところだろう。


「なんということだ……」


 山上湖があることは、クレイ准将自らが調査させていたことなのだからもちろん知っている。

 山の上から、なんとか要塞を攻撃できないかと考えての調査だったのだが、警戒は厳しいとその可能性は切り捨てていたのだ。


 湖を作り出している山の側面を破壊して、土石流で要塞の後背を押し流すとは、この百年誰も思い付かなかった奇策。


「私がなにかしたわけではありませんよ。これは、きちんと地形まで調べていただいていたクレイ准将の手柄でしょう」


 クレイ准将の調べ上げた情報は、ハルトが感心するものだった。

 ここまでやるのかと徹底した調査、おそらく長い年月をかけて要塞にも密偵網を作っているに違いない。


「いや、まさしく神算鬼謀! このクレイ・サンダーソン。感服つかまつった!」


 クレイは思わず、馬上から降りて平伏してた。


「やめてくださいよ准将。ほら、それより今のうちに姫様を助けにいかなければならないのでは?」


 たとえ大要塞の後背が崩れても、全面のパルメニオン砲台は健在。

 このまま攻めていても勝てるわけではないし、敵が動揺している間にさっさと引くべき。


 もちろん、そんな事は言わない。

 言わなくても、それが瞬時にわかるぐらいにクレイ准将は有能だとハルトは知っている。


「そうでした! どうかあとはお任せを……軍師ハルト殿が作り上げたこの機会、この『白銀の稲妻』無駄にはいたしませんぞ!」


 速度を重視した軽騎兵隊を引き連れて、まさにその異名の如きスピードで、クレイ准将は前線の姫を救いに走った。


「見事なものですね。エリーゼ、もういいでしょう。私たちも引きますよ」

「はい、ハルト様! 今回も大勝利でしたね!」


 大勝利なのかなと、ハルトは苦笑する。

 勝ち負けはどうでもいい。ノルト要塞に痛撃を与えることで、敵が容易に動かなくなってくれればそれでいいのだ。


 これでまた平和になって、のんびり生活ができればハルトはそれで十分だった。

 戦争はまだ続いているのだが、自分の仕事は終わったと、Uターンして逃げる馬車の座席に腰掛けてうつらうつらと居眠りを始めるのであった。

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