第9話「司令官は姫殿下」

 レギオンの街に着いたハルトは、司令部付き軍師として与えられた邸宅で、のんびり過ごしていた。

 旅の疲れを癒やすには、ソファーに寝っ転がって本でも読んでいるのが一番いい。


 日本のラノベが好きだったハルトは、最初はちょっと古臭くて馴染めなかったが。

 読み慣れてしまうと、異世界の冒険絵巻もなかなか面白いものだと思う。


「あのーハルト様。赴任したのに、王女殿下に挨拶に行かなくてもよろしいんでしょうか」

「いいんですよ。私は、参謀次官閣下から、『何もしなくていい』って命令を受けてるんですから」


 ワルカス参謀次官の一言を、勝手に命令と解釈しているハルト。

 王国政府から給料をもらってるわけで、別にわざわざ将軍に挨拶することもないだろう。


 しなくていいことはしたくない、根っからの怠け者であった。

 なんでも話に聞くと、参謀や軍師が赴任して将軍である姫様に挨拶しにいくと、みんな解雇されて王都に追い出されてしまうそうだ。


 では、どうすればいいのか?

 そうだ、逆に考えるのだ。


 挨拶しなければ解雇されない。

 我ながら、なんと天才的な発想だろうか。


 このまま怖い姫様に着任したことにも気づかれずにやり過ごせたら、ずっとのんびりした生活ができる。

 しかし、ハルトの作戦はもろくも失敗する。


「ハッ、ハルト様! 姫様、お待ちをきゃぅ!」


 玄関が騒がしいので見に行ったエリーゼが、慌てて部屋に飛び込んでくる。

 エリーゼが報告する間もなく、赤髪の姫将軍が部屋に飛び込み、ずんずんとハルトの眼の前までやってきた。


 燃えるような紅い髪と、見る者を惹き付ける意志の強そうな紅い瞳。

 ルクレティア・ルティアーナ。当年とって十八歳。


 この世界の女神、ミリスに勝るとも劣らないほどの美貌と堂々たる気品。

 さすがは、この国でもっとも高貴な血筋の姫である。


 ルクレティアの紅い瞳が、窓際のソファーで深く腰掛けているハルトを覗き込む。


「あなたが、カノンの英雄ね」

「ハルト様! こ、この御方が、ルクレティア王女殿下です!」


 後ろからエリーゼが叫ぶ。


「そこの士官! 私のことは、王国北方軍司令か、将軍と呼びなさい!」

「はい! すみません。ルクレティア将軍閣下!」


 空気を震わせる裂帛の如き命令。

 生まれたときから人を従えることを当たり前としてきた、姫将軍の気迫にエリーゼすらタジタジだ。


「……えっと、殿下。とりあえず、一緒にお茶でもいかがですか」


 お茶というか、ハルトが愛飲しているのはこの国では珍しい輸入品のコーヒーだが、カップを持って笑って誤魔化してみた。


「あんた、本当にいい度胸ね。私をナンパでもしてるつもりかしら」


 ルクレティアは、たいそう発育のよろしい胸の下に手を組んで、ハルトを傲然ごうぜんと見下ろす。

 額にピキピキと青筋を立てるルクレティアの凶暴な笑みが、ニヤッと深まった。


 ギロッと輝きを放つ紅い瞳が、笑ってないのが恐ろしい。


「……いや、失礼しました」


 もとより王族貴族に対しても物怖じしないタイプ……というより、かなり配慮に欠けるハルトである。

 話があるならまず、お茶でも出すのが当たりだと思ってたのだが、失礼だったのかなーなどと、ずれたことを考えている。


 ハルトは、「なるほど、この国の貴族の間でも、見知らぬ女性をお茶に誘うのはナンパに当たるのか……」などと、どうしようもないことをつぶやいている。

 そういう問題ではないのだが。


 そこでハルトは思い出したようにようやく立ち上がって、おざなりな敬礼をする。

 姫将軍相手に、失礼もいいところである。


「さすがは英雄殿、あっぱれよ! この私を前にして、そんな不遜な態度を取ったやつはあなたが初めてだわ」

「いやぁ、恐縮です」


 ハルトは頭をかく。

 これがまた、姫将軍の神経を逆なでしたようで、みるみるうちに顔が真っ赤になる。


「皮肉で言ってんのよ! だいたいあんた、軍師の癖に司令官であるこの私に着任の挨拶にも来ないって、どうなってんの!」

「お邪魔かと思いまして、殿下は軍師や参謀をお嫌いだと聞きましたので……」


「それとこれとは別問題でしょ! もっと真面目にやりなさいよ!」

「すみません」


「あと私のことは殿下じゃなくて閣下って呼んで! 私が王族であることは、ただの生まれだわ。私は王国騎士として戦い、北方軍の将軍になったことを、誇りと思ってるの!」


 王族だから、そんなに若くして将軍になれたんじゃないかなあと突っ込みたかったが、さすがに火に油を注ぐようなものなのでやめておいた。

 ハーハーと荒い息をついて、ルクレティアはようやく言いたいことを言い切って、多少は満足したようだ。


「……まったく、それで軍師としてこの任地はどう思うの?」

「はぁ、どう思うとは?」


「だから、軍師としての意見を聞いてあげるって言ってるの。カノンの英雄の実力を見せてみなさいよ」


 そうは言われても、ハルトに言うことなどない。

 しかし、言えと言われたらこう言うしかない。


「何もしなければいいかと思います」

「……ハア?」


 あまりのことに、ルクレティアは紅玉のような瞳を丸くした。


「百年の膠着、平和で結構ではありませんか。相手は守っているのですから、黙って見てればいいんですよ」


 安全な任地だから、王族であるルクレティアが将軍として置かれてるんだろうに。

 このお姫様は、そんなことすらわからないのかなあと、ハルトは思う。


「あんたは、これまで来た参謀、軍師のなかで最低よ! 最低の軍師だわ!」


 完全に激高したルクレティアは、プンプンと怒って出ていった。

 やれやれと、ハルトは肩をすくめる。


 おそらく、ルクレティアを追いかけてきたんだろう。

 遅れてやってきた銀髪の老将が、ルクレティアが飛び出していくのを見送って、クツクツと銀色の髭を揺らして笑いをこらえている。


「ハルト殿、お初にお目にかかります。北方軍の副司令官を務めさせていただいております、クレイ・サンダーソン准将です」

「これはどうも、クレイ准将閣下」


 ハルトは握手に応じる。

 クレイ准将は、すでに初老の男性だが、かなりの美丈夫だった。


 彼は『白銀の稲妻』の異名を持つ、歴戦の騎士である。

 軍人らしい張りのある声だが、柔和な物腰は上品な紳士を思わせる。


 姫様に仕える忠実なる銀髪の老執事といった印象である。

 さすがに、姫様の周りは華やかだ。


 将軍の姫様がきかんきなだけ、サポートには人徳のあるベテランを配置しているらしい。


「ハルト殿は、どうやら姫様に好かれたようですな」

「え……」


 最低とか言われて、めちゃくちゃ嫌われてるようだったけども。


「ほんとに嫌われていれば……あの姫様の場合、無言で剣を喉元に突きつけ、王都まで追い返しますよ」

「そりゃ、凄まじいご気性ですね」


「姫様は、王族として特別扱いされるのを特に嫌います。その点、物怖じせず直言されたハルト殿の態度をたいそう気に入られたようです」


 たいそう気にいってあの反応って、どんだけツンデレなんだと思ってしまう。

 いや、デレは全く見えないからツンツン姫様か。


 顔もスタイルも最高なのに、もったいないことだ。

 でも、性格もいいところはあるか。


「ご気性はともかく、家臣の直言を尊ぶ姿勢は素晴らしいですね。直情径行ちょくじょうけいこうの猪突姫という噂よりも、立派な姫様ではありませんか」


 ハルトとしても、高慢ちきな貴族よりは、まだ聞く耳があるだけマシだとは思った。


「いえ、それがその……さっきのは逆効果だったと思います」

「はい?」


「ハルト殿にあんな言い方をされると、姫様はさらに躍起になって、猪突猛進されると思われます」


 さっきので、挑発になっちゃったのか?

 なんてことだ。ハルトの知性を持ってしても、理解しがたいご気性である。


「……准将も大変ですね」

「いえ、私どもは望んでお仕えしておりますから。姫様は多くの欠点をお持ちですが、国や民のことを誰よりも真剣に考えておられる、本当に真っ直ぐな御方なのですよ。我々近くでお仕えする者は、姫様に命を捧げてもいいと思う程には心酔しております」


「はぁ……」


 物好きな人たちもいるもんだなあと、ハルトは呆れる。

 そう言えば王家の第一王女が、将軍として前線に立っているので、他の将軍や参謀にはうとんじられている一方で、兵卒や民衆には凄まじい人気があると聞く。


 そんな司令官、部下からしたらたまったもんじゃないと思うけどなあ。

 まあ、他人事だからどうでもいいけど。


「他人事ではありませんよ。ハルト殿も、姫様の軍師なのですから次の戦闘の際には、よろしくお願いしますよ」

「本当に面倒なことになりましたね」


 臆面もなく本音を言ってのけるハルトに、クレイ准将は苦笑しながら紙の束を渡す。


「これまでに、私どもが調べられるだけ調べたノルト大要塞の情報です」

「ありがとうございます。ほう、これはこれは……」


 敵の内情から詳細な周辺地形図まで、貴重な軍事情報だ。

 読んでいると、ずっと王国軍が大要塞を攻めあぐねて来たのだとよくわかる。


 あの姫様も、こういう便利なものがあるなら、先に渡してから意見を聞けばいいのに。


「いかがですか?」

「ぱっと思いつくだけで、いくつか策はありますね」


 これだけの情報があれば、思いついて当然の策だとは思うが。


「それは、素晴らしい! さすがは、カノンの英雄殿ですね」


 もちろん、ハルトに大要塞を落とすつもりはなく、戦闘になっても負けないための策だ。

 おてんば姫様の暴走に巻き込まれることを考えて、自衛の準備ぐらいはしておくべきだろう。

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