第8話「ノルト大要塞」
「ハルト様、御髪が乱れておりますよ」
一緒の馬車に乗って旅しているエリーゼは、櫛でハルトの髪を優しくすいてくれる。
「エリーゼ。あなたの仕事は副官だから、そんなメイドみたいなことをしなくてもいいんですよ」
馬車の旅の間、エリーゼはせっせとハルトの世話を焼いていた。
やれお腹はすかないか、やれ喉が渇かないか、冷えるから上着を着たほうがいいだの……。
まるでメイドのように、かいがいしく尽くしてくれる。
ありがたくはあるのだが、洗濯までしてもらっているのはマズいなとハルトは思えてきた。
有能なエリーゼに任せっきりにしてしまうとすごく楽なので、怠け者のハルトはつい甘えすぎてしまうのだが。
相手は平民ではなく立派な騎士の娘なのだ。
「どうかお気になさらず。副官としての仕官が叶わぬならば、メイドとしてお仕えしようと思っておりましたから」
「いや、エリーゼ。あなたはマルファッティ家の跡取り娘でしょう」
この世界の身分制度にはいまいち感覚がついていけないのだが、そんなハルトでもエリーゼの言ってることはおかしいとはわかる。
相手が大貴族であれば話は変わるが、身分で言えばむしろハルトよりエリーゼのほうが格上なのだ。
敵の侵攻で領地を失ったとはいえ、エリーゼは家の再興をまず考えるべきであるはずだ。
「そんなの関係ありません。お約束したとおり、私の忠誠はハルト様のものです。お仕えできるなら、どのような形でも構いません」
「そうですか……」
本人がそう言ってるのだから止めようがないのだが。
どうもエリーゼのような可憐な少女に情熱的にグイグイ来られると、ハルトも困ってしまう。
見た目では、そこまで歳の違いはないが、前世の年齢も加えると子供みたいなものだしなあ。
ハルトに忠誠を尽くすのが、エリーゼの騎士道なのだろうか。
それとも、英雄である自分に熱狂してのめり込んでいるのか。
この年頃の少女の気持ちは、複雑怪奇でハルトの卓越した知性の
「私としては、ハルト様には、もっと気楽にしていただきたいです」
「楽にさせてもらってるつもりなんですけどね」
これ以上無いぐらい、エリーゼに生活を任せきってしまっている。
「私と二人のときは、もっと素を出してくださってもいいんですよ……」
「もしかして、口調のことを言ってますか?」
ハルトは日本の感覚をどうしても引きずってしまうので、貴族社会では無礼な感じになってしまうのだ。
それ故に、他人行儀な敬語を使うのが癖になってる。
それはそれで、慇懃無礼になっているだけだったりするが、やらないよりはずっといい。
「ハルト様が独り言をおっしゃってるときは、ちょっと雰囲気が違いますよね」
「ああ、聞いてましたか」
エリーゼは聡明なのか、女の子とはこういうものなのか。
細かいところをよく見ているので油断できない。
「もう私は、自分を騎士などと思っておりません。つまらぬ端女か、下女にでも話していると思って安心してください」
「そう言われてもですね……」
「そうだ、そろそろお昼寝の時間ですよね。膝枕でもして差し上げましょうか」
「いや、結構ですよ」
それじゃあメイドを通り越して、乳母が幼児にやることだと、苦笑してしまう。
生活能力皆無のハルトは、働き者のエリーゼから見ると、もう子供みたいなものかもしれないが。
「ハルト様。そろそろ、任地であるレギオンの街ですね」
窓の外には、天まで届きそうなほど高いアラル山脈の景色が続いている。
王国の北方地方だということもあるが、まだ昼間だというのに山から吹き下ろす風は冷たい。
夏でも雪をいただくアラル山脈の高峰はそのまま、王国と帝国の国境線ともなっている。
この山を越えて侵攻するなど、正気の沙汰ではないからだ。
ただ唯一、アラル山脈に通り抜けられる峡谷の道があった。
人呼んで
ここから攻め入られると、帝国は王国に横っ腹を突かれることとなり、商都ダナン、資源都市リューン、帝都バルバスブルクが危機に晒される。
そのため、帝国は大陸最大の軍事的要衝であるノルトラインに大要塞を築き、以来百年に渡って補強を続けてきた。
そうして出来上がったのが、二層の楼閣と、三重に張り巡らされた高さ七十七メートルの大防壁。
帝都を守る難攻不落のノルト大要塞である。
「見事なものですねえ」
ハルトは手製の双眼鏡で、帝国の大要塞をマジマジと観察する。
エリーゼは、敵の要塞について調べた資料を読み上げてくれた。
「ハルト様、敵のノルト大要塞は、そのまま城塞都市化しており、詰める帝国兵士は一万とも言われています……」
そして一万の敵兵よりも恐ろしいのが、百年前の天才数理学者パルメニオンが作った砲台群である。
城壁に備え付けられた、大量の
この時代に砲台を作っている!
ただ砲台といっても、さすがに火薬を使った大砲ではない。
見た感じ、錘の位置エネルギーを利用して岩石を放射する、
しかし、投石機と言ってもバカにできない。
脅威は大きさだけではない。
このメカニズムの精緻さはどうだ。
砲台が回転式になっていて、砲身の角度も調整できるようになっている。
高い城壁の上の、さらに高い楼閣から撃ち込むという条件もあるので、飛距離もかなり伸びるはず。
威力は、近代の火砲とそれほど変わらないかもしれない。
遠目から観察しただけでも、ハルトにはその設計思想の巧みさがわかる。
美しいと感じるのは、設計に無駄がないからだ。
ため息をつくほど、惚れ惚れするような芸術的なフォルム。
卓越した知性を持つハルトにも、真似して作るのは難しいだろう。
まさに、機械技術と幾何学の融合。
「パルメニオンが帝国に存命だったら、私は負けてたかもしれませんね」
ハルトのような現代知識を利用したチートではなく、これこそが本物の天才の仕事だ。
百年前の砲台がいまだに現役というのは驚くが、パルメニオンの頭脳は五百年は先に進んでいたと思える。
パルメニオンの死後、その技術はロストテクノロジーとなり、兵器の新造は不可能となったが。
帝国の工兵たちは、既存の防衛施設を整備してずっと使っているそうだ。
「あのノルト大要塞。ハルト様なら落とせますか?」
「何を言ってるんですか。この百年、誰も落とせなかった要塞でしょう」
「不可能を可能にされるハルト様なら、もしやと思いまして」
買いかぶられたものだなと、ハルトは肩をすくめる。
ルティアーナ王国が百年も攻めあぐねているのも当然で、あんな要塞に攻め入ろうとするのはバカのやることだと思う。
だが、そう言われると、もし自分が落とすならばと考えてしまう。
いや、何を考えてるんだと頭を左右に振るう。
あれを落としたら戦争が終わるというのなら挑戦する価値もあるが、
百年の膠着状態。こんなに好ましいことはないではないか。
何もしないのが一番だ。
「エリーゼ、枕を取ってくれませんか」
「あら、お膝はお嫌いですか」
そんな冗談を言いながら、エリーゼが渡してくれた枕を敷いて寝転ぶ。
二人を載せた馬車は、大要塞の手前にある王国側の小都市レギオンへと入っていく。
王国側の
エリーゼが、うつらうつらしているハルトの黒髪を優しく撫でてくれる。
ハルトは夢見心地に、でもあの砲台群がどのような攻撃をするのかは、一度は見てみたいものだと考えていた。
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