第5話「激突五千VS三十、最後の一撃」
帝国軍がカノンの街に怒涛のごとく押し寄せて占拠したは良いものの、すでにそこは人っ子一人いない状態だった。
倉庫や商店にあるはずの物資も空である。
その代わり、突如として街の外に一万もの数の槍兵団が現れて、去っていくとの物見の報告。
それを聞いただけで、エリート騎士であり若き天才と呼ばれたグレアム将軍はわかる。
一万もの軍勢が突如として現れるはずもない。
つまりそれは、街の市民を槍兵団に見せかけただけのブラフ。
それで知恵を働かせたつもりかと嘲笑いながらも、帝国騎士としては慎重なグレアムは念のために強行偵察を命じた。
「斥候騎兵隊が壊滅だと?」
しかし、その斥候騎兵隊の隊長が討ち取られ、まさかの壊滅。
「相手は、謎の魔術を使ったんです!」
「魔術だと?」
「激しい音と光で、瞬く間に隊長たちが殺されて、命からがら逃げてきたのです。相手には、二十……いえ、魔術師が三十人はいました!」
生き残りの斥候の報告に、グレアムは激高する。
「バカげたことを言うな!」
魔術師とは、特殊な魔法の力を持つ術者のことだ。
生まれついての才能に左右されて、弱い力しか持たない下級魔術師をかき集めても大陸中で二千人程度。
まして、騎兵隊を倒せるような中級魔術師は数が少なく。
戦術クラスの大魔法を使える上級ともなれば、王国にも帝国にも数えるほどしかいない貴重な人材だった。
それゆえに、この世界では珍しく情報戦を重視する切れ者のグレアム将軍は、カノン地方の敵軍の魔術師を全員把握している。
その数人の魔術師はミンチ伯爵とともに叩き潰して、今頃は死んだか必死に逃げているはず。
「グレアム卿、敵に魔術師がいるのでは追撃は危険です」
グレアムの参謀が、そんな愚かな進言をしてくる。
「魔術師などいるはずがない。弓か、何かの飛び道具を見間違えたのだろう」
「そのようなもので、強行偵察に長けた帝国の斥候騎兵隊が壊滅しますでしょうか?」
「まさか貴公ら、こんな曖昧な報告で臆したのではあるまいな。それでも帝国騎士か!」
「グレアム卿、無謀と勇猛は違いますぞ」
そんなことは百も承知だとグレアムは憤った。
グレアムは、あらかじめ密偵や斥候を駆使して敵兵力を調べ尽くした上で、ミンチ伯爵の軍を巧妙に誘い込んで五千という圧倒的な兵力で蹴散らし、無防備になったカノンの街まで一気に攻め込んでいるのだ。
これは帝国の名門騎士の家に生まれ、若くして軍略の天才と呼ばれたグレアム・ベルグマンが、何年もかけて練りに練った完璧な侵攻作戦なのだ。
そこに一点の曇りもあってはならない。
一万の槍兵団も斥候の言う魔術師も、存在しない幻なのだ。
そこにあるのは、街の物資と一万もの領民だ。
捕らえて奴隷にすれば、女は兵の慰み者、男は便利な労働力として使える。
十分な報酬がなければ帝国兵たちとて納得すまい。
幻に惑わされて、略奪の機会を逃すなどバカげているではないか。
「鉄騎兵大隊、出陣の支度だ。このグレアム・ベルグマンと共に敵を追撃せよ!」
「グレアム卿。お待ち下さい! 敵の様子も定かではないのに、将自ら出陣など危険過ぎますぞ!」
臆病に過ぎる参謀の騎士達の諌めなど、もはや耳には届かぬ。
グレアムに比べれば、みな知ったような口を利くだけの愚か者ばかりだ。
「我は、何も無謀に攻めるのではない。その幻の魔術師とやらの化けの皮を剥いでやらねば、今後の作戦に差し障りが出る。帝国軍最強の鉄騎兵五百騎を以て一気に踏みつぶしてやればいい」
騎士だけではなく馬にまで厚い鉄鎧を着せて防御を固めた帝国鉄騎兵は、この世界における重戦車に相当する。
それが五百騎、
たとえ斥候の報告通り、下級の魔術師が三十人いたとしても一気に踏み潰してみせる自信があった。
黒い甲冑に身を包んだグレアム将軍は、帝国最強の鉄騎兵大隊とともに占拠したカノンの街から馬蹄の音も高らかに出撃した。
※※※
「ほう、また来ましたね」
「ハルト様、大変ですよ。あれ鉄騎兵じゃないですか!」
エリーゼが叫ぶと、兵士達もざわざわと騒ぎ始める。
帝国軍最強の鉄騎兵団の恐ろしさは、王国兵士に知れ渡っている。
「はいはい、兵士のみなさん落ち着いて。私が教えたようにやれば、あれぐらいの数は楽に倒せますから。まず、合図したら一斉射撃をお願いしますね」
むしろ鈍重な重騎兵でよかったと、ハルトはホッと胸を撫で下ろした。
これが軽装の弓騎兵大隊などであったら、こちらにも多大な被害が出るかもしれないところだった。
ハルトの合図で、鉄騎兵大隊に
あらかじめ撤退ルートを丘に向かう上り坂にしておいたので、敵の足は遅くなっている。
飛び道具は、撃ち下ろしが圧倒的に有利。
しかし、五百騎にたかだか三十発の弾である。
先頭の十数人は落ちたが、それでも重騎兵の突撃は止まらない。
激しい銃声に多少の動揺はあったが、一群となった鉄騎兵大隊の密集陣形は、動き出すと敵を押し潰すまで止まらないのだ。
「フッ、どれほどのものと思ったが、たかがこれしきか」
鉄騎兵大隊の中央に居たグレアムは、黒い兜の下でほくそ笑む。
斥候の報告は嘘ではなかったようだが、この分ならば敵の魔術師の化けの皮を剥がせそうだ。
どのような手を使ったかは、後で調べれば良い。
愚かなミンチ伯爵とは違い、多少は王国軍にも手応えのある策士がいたようだが。
「それでも、この帝国の若き天才グレアム・ベルグマンには敵わないのだと思い知れ!」
ここまで近づけばグレアムにも見て取れた。
やはり、一万人の槍兵団とは
帝国軍鉄騎兵大隊の無敵の突進を前にして、棒立ちになったみすぼらしい市民兵を前に。
腰から剣を引き抜いて「かかれ!」と号令をかけた、グレアムが勝利を確信する。
「なんだ?」
眼の前の軍師らしき男の指示で、粗末な投石機でポイポイとなにやら球のようなものが
そんな物があたっても、鉄騎兵はびくともしない。
みすぼらしい市民兵どもが、今さら鉄騎兵に投石かとグレアムがあざ笑った。
その瞬間に、それは起った。
――爆発。
「ぬおぉぉ!」
ドカンと大きな爆発とともに、先頭にいた鉄騎兵は馬ごと空に吹き飛ばされた。
グレアムが投石と見間違えたそれ、火を付けて投げられた球は、釘と火薬がタップリと詰まった手榴弾であった。
いかに甲冑に守られていようとも、広範囲に撒き散らされた破片の衝撃までは避けられない。
爆発を食らった鉄騎兵達は吹き飛ばされるか、さもなくても衝撃で落馬していく。
そうして落馬したものは、後ろから来る重たい馬蹄に踏み潰されて、鎧の中でくぐもった悲鳴を上げながらあえない最後を遂げる。
さらに、ひょいひょいと飛んでくる手榴弾。
そのたびに大爆発が起こり、先頭から次々と崩れていく鉄騎兵。
それは地獄の光景だった。
後ろから突進してくる鉄騎兵の勢いが止まらず、味方に踏み潰されて死んでいく地獄である。
激しい爆発の衝撃と、後ろから来る味方に潰されて死んでいく。
これでは同士討ちだ。
その味方の悲惨な末路を見た鉄騎兵の後列が明らかに怯み始めた。
「痴れ者ども、隊列を崩すなぁああ! 気合を入れ直して突進しろぉぉおお!」
確かに爆発は脅威ではあるが、ここまで来て撤退すれば、余計に被害が拡大するだけだ。
グレアムは剣を振り回し懸命に叫ぶが、一度崩れた陣容を立て直すのは至難だ。
動く鉄壁の要塞ともいえる鉄騎兵大隊の無敵の突進は、ここまで負けを知らなかった。
だからこそ、一度崩れると脆い。
ハルトの兵は、再び馬車から
また銃弾に倒れる鉄騎兵達、操る騎士を失った馬達は悲鳴を上げて暴れまわり、帝国軍最強の陣容は大混乱に陥る。
あの棒状のものから音と光が起こると、前にいる者が死ぬ。
魔法を恐れている騎士にとって、それは純粋な恐怖であった。
最初に踵を返したのは誰であったか。
「足を止めろ! 誇りある帝国軍鉄騎兵に後退はない!」
声を枯らして止まれと叫ぶ将軍グレアムを無視して、最後尾から次々と重騎兵達が逃げていく。
完全に足を止めてしまった鉄騎兵大隊に向けて、さらに手榴弾と弾丸の雨が降り注ぐ。
「前に進むのだ! 誇りある帝国騎士達よ、我が命を聞け。敵前逃亡は死ッ――」
そう叫んだグレアムの口に、ハルトの放った一撃の銃弾が飛び込んだ。
銃弾はグレアムの口から入り無残にも鉄兜の中を暴れまわって、帝国軍の若き天才と呼ばれた男の思考を永久に止めたのだった。
「やっぱり、壊れちゃうな」
一発撃つと、
硬い鉄鎧を撃ちぬくことを考えて火薬の量を増やしていたことと、もともと間に合わせの素材だったのでこんなものだろう。
だが、もはや
押し留める敵将が倒れたので、帝国軍鉄騎兵大隊は壊滅して敗走していった。
その後、帝国軍の追撃に合うこともなく。
軍師ハルトに率いられたカノンの一万の市民は、無事に味方の王国領内に逃げ込むことができた。
カノンの撤退戦は、敗北を誤魔化そうとしたルティアーナ王国政府によって、過剰に脚色されて喧伝された。
立役者であるハルトは無辜の民を救った救国の英雄と祭りあげられ、その見事な撤退戦は「カノンの奇跡」と王国中で盛んに讃えられるようになる。
一方、バルバス帝国軍ではグレアム将軍を倒した謎の王国軍師を「幻の魔術師」と呼ぶことが定着し、密かに恐れられるようになっていた。
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