第3話「ハルトの前世と自信の理由」

 カノンの街の住民の撤退を横目で見ながら、ハルトは久しぶりに働かされるなあとぼやく。

 自分一人でなく、みんなを逃がそうとするとその準備に一苦労だ。


「いい職場だったんだけどなあ……」


 任官からたった三か月であったが、カノンの街での生活は理想的だった。

 閑職である地方の書記官の仕事は、楽でたまらなかった。


 一か月分の報告書を一日で適当にでっち上げると、あとの二十九日は部屋でゴロゴロ、窓際でうたた寝しながら本でも読んでいて務まったのだ。

 まさに、ハルトが理想とするお気楽な公務員生活。


 領主のミンチ伯爵は、領民からはあまり評判がよろしくない人物だったが。

 仕事さえ滞りなく適当に片付けておけば、後はハルトがサボっていても無関心でいてくれた。


 むしろ王国政府から派遣された役人であるハルトがサボるほうが伯爵には都合がよくて、お互いにWin-Winの関係だった。

 ハルトにとっては、大変良い上司だったのだが……。


「上司が無能すぎるのも、困るってことなのかなあ」


 上司が適度に無能なのは、怠けたいハルトにとって好都合だったのだが。

 敵の挑発にまんまと乗ってしまい、やらなくていい侵攻を仕掛けて軍を壊滅させてしまったのはいただけない。


 決定的な破綻を避けるために、やはり多少は上役の行動にも気を払わなければならないということか。

 上役と話すのは面倒くさいのだが、こうして敵に攻めこまれてしまうともっと面倒である。


 楽をするためにも、最小限の努力は必要なのだろう。


「まあ、今後の教訓としておくかなあ」


 失敗と言っても、生きている限りはやり直すことができる。

 そうぼやきながらハルトは、これまでのことを思い出していた。


 武田晴人は、日本からこの異世界ローミリスに生まれ変わった転生者である。

 雨の日に飛び出してきた猫を避けようとして、車がスリップして意識を失ったのが前世の最後の記憶だ。


 そして、いかにも天国って感じの場所にやってきて、晴人の眼の前に信じられないような美人が立っていた。


「あなたの名前は、武田晴人様でよろしいですね」

「はぁ」


「突然で驚かれるでしょうが、あなたは死にました」

「そうですか、最近ついてなかったからなあ」


 ああやっぱり、事故って死んだんだなと思うだけだ。

 就職活動に失敗して、ようやく入った会社がブラック企業で、心身ともに疲れ切って自暴自棄になっていたのがいけなかったんだろうな。


「あれ……自分が死んだというのに、ぜんぜん驚かないんですね」

「まあ、大した人生じゃなかったですからね」


 どうせ生きていたとしても、あの後もろくな人生ではなかっただろう。

 自殺するほど絶望していたわけじゃないけど、この辺りで終わりだと言われてもしょうがないかと諦める程度には望みがなかった。


「私はローミリスの豊穣の女神ミリス。あなたの魂を私の世界に転生させようとするものです」


 まるで女神のようだと思っていたが、ほんとに女神だったというわけか。


「もしかして異世界転生ってやつですか? なんかすごいチートをもらえたり、俺は勇者になっちゃったりするんでしょうか!」


 異世界に転生して、勇者になったりチートと呼ばれる特別なスキルをもらったり、物語にはよくあるパターンだ。

 これは、自分にも運が向いてきたかもしれないと晴人は勢い込む。


「チート? 勇者? あなたは一体何の話をしているのです」

「あ、そういうのじゃないタイプの転生ですか」


 そうだよなとガックリ。

 何でも自分の思い通りになるほど人生は甘くない。


 異世界に転生して、やり直しのチャンスをもらえるだけありがたいと思わないといけないのだろう。

 晴人がそう思っていると、女神はうなずく。


「なるほど、あなたは転生を受け入れる気になっているようですね」

「はい」


 素直でよろしいと女神はうなずく。


「ではあなたの転生を祝って、私から一つささやかな贈り物をしようと思うのです」

「なんだ、やっぱりチートがあるんじゃないですか!」


「いえ、だからチートってなんですか。女神に選ばれし子には、天与の才能タレントが送られるのです」

「タレントってなんでしょう?」


「それは人によって様々ですね。例えば、卓越した知性、類まれなる幸運、抜きん出た人望、衆に優れた器量……」

「知性でお願いします!」


「まだ全部言い終わってないのですが、ほんとにいいんですか?」

「卓越した知性で!」


 大学受験で失敗したのも、就職活動に失敗したのも、事故って死んでしまったのも、みんな俺がバカだったのがいけなかったのだ。

 ハルトが人生に後悔していることがあるとすれば、そこだろう。


 なにか才能がもらえるなら、知性一択だ。

 思えば晴人は考えが足りないせいで、貧乏クジばっかり引いてきたように思う。


 来世は、もっと賢く生きてみたい。


「わかりました。ちょっと急ぎすぎな気もしますが、即断即決なのはあなたの長所ですね。では、あなたは『卓越した知性』を持ってルティアーナ王国の孤児として生まれます。最初は大変でしょうが、才能を生かして新しい人生をがんばって生きてください」

「ありがとうございます!」


 こうして、武田晴人は異世界の孤児ハルトとして生まれ変わったのだった。

 そこで驚いたことが一つ。


「前世の記憶がある!」


 しかも卓越した知性のおかげで、本来は薄ぼんやりとしているはず前世の記憶が、まるで辞書検索するように鮮明に思い出せた。

 まるで、女神様が現代知識チートしろと言ってくれているような状況。


 天才児となったハルトは、その才能を見出されて王立の最高学院に奨学生枠で入学。

 その後は、あんまり大変な仕事に就かされないように、なるべく手を抜いて劣等生を演じて(もともとハルトは怠け者なので、わざわざ演じる必要すらなかったが)、閑職である地方の書記官に就任する。


 そうして、今日この場に至るわけだ。

 ハルトとしては、特に出世したい欲もなく、なるべくのんびり人生を過ごしたいと思っているのだが……。


 五千という尋常でない数の敵軍が、ハルトのいるカノンの街に迫っている。

 もともと、敵勢力に襲われる可能性も考えて、自分が生き残るための計画はすでに整えてあった。


 それを市民一万人を救うためにちょっと変更すればいいだけだ。


「面倒だけど、大して難しいことではないね」


 混迷の度合いを深めている時代は、卓越したハルトの才能を放っておいてくれないようであった。

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