第2話「住民の説得とずらかる準備」

「みなさん静粛に!」


 広間の壇上に立って従騎士エリーゼが声を上げるが、ざわついている広間は静まらない。

 壇上でハルトは、押し黙ったまま広間を見回す。


 商工組合のギルド長達や街の教会の神官など、主だった街の代表者は集まっているようだ。


「ただいまより! ミンチ伯爵より密命を帯びてカノンの街の兵を指揮される軍師ハルト閣下がご説明、申し上げます!」


 代表者達から、「密命?」「誰なんだあの若い男は」「兵なんていないじゃないか、いまさら軍師がなにを」とか疑義の声が上がっている。

 ざわめきが收まるまで、ハルトは静かに壇上に立っていた。


「なら説明してもらおうじゃないか、ご領主様の軍は壊滅してどこかに逃げたと聞いたぞ。帝国軍が攻めてくると言うし、この責任を一体どうしてくれるつもりなんだ!」


 年配のギルド長が声を上げる。

 それに合わせて、そうだ、そうだ! とみんなが声を合わせた。


「……」


 それでもハルトは、瞑目したままで何も答えない。


「ど、どうなんだ?」


 若い士官とはいえ、黒羅紗の軍服に身を包んだハルトは、まるで神に黙祷を捧げる神官のような神妙な顔で瞑目している。

 その異様さに、ざわついていた市民の代表者達も徐々に静まり始めていた。


「……ミンチ伯爵は、敗走したのではありません」


 それは聞こえるか聞こえないか。

 敬虔な信徒が、神に祈りの言葉を捧げるような。


 そんな小さく厳かな声で、ハルトは話し始めた。


「敗走したのではない……何を言ってるんだ?」


 再びざわつく。

 それが静まるのを待って、ハルトは続ける。


「この街に迫ってくる帝国軍は五千の大軍だそうです。帝国軍侵略の野望を知ったミンチ伯爵は、あえてその大軍を正面から迎え撃ち、街とは違う方向へ撤退しました。この街の住民が逃げる時間を稼ぐため、自らを囮とされるために、あえてそうされたのです!」

「全然噂と違うじゃないか……そんな話、信じられるか!」


 猜疑心の強い商人の代表は、そう怒鳴った。

 それには、ハルトではなく従騎士のエリーゼが返した。


「軍師ハルト様は、王国政府より派遣された王立学院出のエリートです。そのハルト様が、ご領主ミンチ伯爵閣下の密命を受け、ここで撤退戦の指揮を執られるのです。皆さんが無事に逃げられるようにと、ご領主様があらかじめそう準備されたのですよ」


 エリーゼの家は准貴族だ。

 このカノンの街の名士であり、街の代表者の中には父の代から見知った顔もいる。


 街の防衛隊長を務めるエリーゼがそういうのだから、まんざら嘘ではなのではないかという空気が広がった。

 帝国軍は残忍極まりないとの噂がある。恐らく街が落とされれば、起こるのは略奪と虐殺である。


 みんな不安なのだ。

 何かにすがりたい、期待を持ちたいという気持ちがあった。


 ご領主様直々の密命、准貴族家のエリーゼを従える若き王立学院卒のエリート軍師。

 ただの頼りない書記官を、その権威付けが心強い男だと錯覚させた。


「信じないなら信じないで結構。だが、私にはミンチ伯爵が命をかけて託された秘策があります!」


 ハルトは、伯爵家の紋章の入った指揮棒を掲げた。


「この街より安全に味方の領内へと撤退したい方は、どうか私に協力して一緒に行動してください。この策には、皆さんの協力が不可欠なのです」


 そう言うハルトとともに、エリーゼも深く頭を下げた。

 もはや、街の代表者たちから疑義や否やという声はでなかった。


 そもそもが、他に方策などないのだ。

 信じようが信じまいが、従うしかないという空気。


「……確証はあるんだろうな」

「はい、もちろんです。残念ながらこの街は捨てざるを得ませんが、私に従っていただければ皆さんの生命財産を必ずやお守りすると約束しましょう」


 強い確信を持ったハルトの言葉に、代表者たちは「それならば」と頷いた。

 こうして、街からの撤退の準備が始まった。


     ※※※


「ハルト様。失礼ながら私は、これまでミンチ伯爵様がそこまで自分の領民のことを考えていらっしゃったとは思いませんでした。ちょっと泣きそうになっちゃいました」


 市民の代表者への細かい指示を終えて、館の広間からハルトの狭苦しい執務室に下がると。

 エリーゼが感激の面持ちで、碧い瞳に涙を浮かべてそう言う。


「何を言ってるんですか。あのミンチ伯爵が、領民のことなんか考えてるわけないでしょう。全部私の作り話ですよ」

「ええ! そうなんですか!」


 そんなに驚かれても困る。

 エリーゼは、わかっていて話を合わせてくれていたのではないかと、ハルトのほうがビックリするほどだ。


 ミンチ伯爵は、王国から派遣された書記官が仕事をサボっていても何も言わない無頓着な人物で、ハルトにとっては大変良い上司だったが。

 典型的なまでに腐敗した王国貴族で、領民のことなどこれっぽっちも考えていなかった。


 なんで累代の家臣であるこの子が知らないんだろうかなーと、ハルトは頭をかく。

 人を疑うってことを知らないのだろうか。


「まあよろしい。ご領主様に親しいあなたが騙されたぐらいですから、市民の皆さんも快く協力してくださるでしょう」

「とても大胆な策ですよね。正直大丈夫なのかと不安なのですが、ハルト様を信じて私も全力で準備します」


「大丈夫ですよ。私の言う通りにすれば、なんとかなると保証しましょう」

「はい。ハルト様を信じてます」


 ハルトは誰に対しても自信たっぷりに言うので、みんな次第と信じるようになっていた。

 エリーゼが手伝って荷造りを済ませ、ハルトは名残惜しげに三か月過ごした執務室を後にすることとなった。

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