第62話 桃源郷ここにあり!


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 天王堂の中へ進むと香炉と本堂があった。永らく手入れされていなかったため、雑草と砂埃でかなり荒れていた。桃王は美嗣を抱えて本堂の奥へと進んでいく。裏手には塀と門があり、その扉は鍵はかかっていないが、強力な術がかけてあった。


 そこから先は天人達の領地。仙境と呼ばれる不可侵領域。桃王は扉に手を当てて術を解く。十二の門が開き、通り過ぎると一つずつ閉じていく。その先には森林が広がる。


 樹木が青々と繁り、鳥が雀躍じゃくやくし、光陽が生命を讚美する。息を吸う度に活力が湧いてくるような奇妙な感覚になった。


 石段を登ると、小さな建物が見えた。泉に面した建造物で壁が少なく、寝台と長椅子が外から丸見えだった。


「この仙水で彼女の体を癒そう」


 『仙水』と呼ばれる泉は天人達が体を清め、負傷を癒す所である。桃王が着服したまま水に入ろうとしたので、アリアナが脱衣を手伝う。数分間泉に浸かり、体を拭いてから傷の手当てをする。


 アリアナの回復で流血は止めたが、傷口から菌が入るかもしれない。薬草を傷口に塗布して布で巻き、寝台に横たわらせた。美嗣の意識が戻るまでは安静にさせることにした。


 桃王達が美嗣の世話をしている間、カインは離れた場所を散策していた。この森には花や果実が多く、季節外れの花々も咲き誇っていた。


 カインは木に実っていた桃を触る。甘い香りを漂わせ、動物を引き寄せる果実を撫でていると、桃は枝から落ちてしまう。カインは慌てて受け止めたが、仙境で実っていた果実を勝手に食べていいのか迷っていた。


「食べぬのか?」


 桃と睨めっこしているカインにレイが近付く。


「これを食べたら『不老』になるなんて事はないよな?」

「いらぬ杞憂であるな。秘宝である『不老の実』がこのような場所に実っておるはずがない」


 レイは桃を一口齧ひとくちかじりカインに差し出す。カインも口に頬張ると甘く柔らかい果実が口に広がった。仙水を眺めながら、岩に腰掛け桃を食べる。


「ここは不思議な場所だな。清廉で静謐せいひつで、考える事が億劫になってくる」

「何百年と生きる事を宿命付けられた者には、俗世の喧騒や争いとは解離されるものなのだ」

「天人は世俗に興味がないってことか?」

「いいや、彼らは長命でありながら浮世ふせいを尊ぶ。そこが王母の賢知けんちなるところ」


 レイは裾を上げて足を仙水につける。天女の格好も相まって本物の天女のように見える。


「広大な湖面ばかりを見ていたら、泡沫うたかた須臾しゅゆを見落としてしまう。地を見て天を見る事は容易ではない」


 水面に反射する光がレイの白い髪を照らし、彩雲のように輝く。その姿は触れれば消えてしまいそうなほど、儚く美しい。



 弓張月が紺青色の空に輝く。郡星が集まり泉に注がれ、砂時計のように水面に反射する。美嗣は目を覚ました。傷口から菌が入り、ひどい高熱に浮かされてまる二日眠っていた。意識がはっきりしてくると、両隣から寝息が聞こえる。寝巻き姿のアリアナとレイが美嗣を挟んで寝ていた。


 両腕に美女~!と喜びたかったが、はしゃぐ元気はない。痛む体を起こすと、長椅子でカインが眠っているのが見えた。風が頬を撫で、泉の光がキラキラと反射する。


 美嗣は寝台から下りて仙水の方へ向かう。下着姿で歩いていると、水浴びをしている人影に気付く。一糸纏わぬ姿に羽衣をかけ、岩の上に座り足で仙水を撫でていた。


 ふおおぉぉぉ!ももちゃんが水浴びしとる!ここは何だ?桃源郷かぁ?


 美嗣は月明かりに照らされた桃王に見惚れる。邪な気持ちが薄れるほど、その裸体は美しく神々しい。桃王は美嗣の気配に気付き、振り返る。手招きして美嗣も水に浸かるように促した。

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