【KAC20231】本屋【一応「歴戦の猛者」で応募したいと思います】

あんどこいぢ

本屋

 覚醒したとき、彼はもう隣りにいなかった。自分のベッドなのに……。地球年一年のうち一・六%以外大体一人で暮らしているというのに……。シーツの冷たさが妙によそよそしかった。

 思わず舌打ちがでた。

 口のなかが粘ついていて、その舌打ちは結局、音にならなかった。

 出港は確か午後のはずだ。

 ゆったり朝食を摂り、次に会うときの話をし、これまでの思い出話などもして……。そういう時間を十分取れるものだと思っていたのだが……。

 粘つく口で執事に指示する。

「通話のみ──。イタロ──」

 ハウスのAIのレスポンスが早過ぎる。掃除機のスピーカーを使った音声も不快だ。

『<我が青春のミストレス>号の、イタロ・ビルボ船長ですね?』

「他に誰がいる? それにお前、応答にウェイト──。プラス三。スピーカーももっと音のいいの使って──」

『畏まりました。とはいえ今朝は、あなたとの対話の合間にビルボ氏の出発を報せることを最優先に考えましたので──』

「だったらなぜ、私もそのとき起こさなかった? ここのオーナーは私のはず──」

『ビルボ氏のジェスチャーのためです。お目覚めになり、仰向けになられるなり、口に人指し指を当てるジェスチャーをなさいました。そしてこの家、および併設されている店舗のオーナーは確かにあなたですが、地上、三次元空間を問わず船舶、航空機に関し先任権を有している方のスケジュールは、特段の事情がない限り優先されるべきものと定められております。従がってビルボ氏呼びだしの件に関しましても、呼び出し音はデフォルトで五回──。御指示により二十回までの呼び出しが可能ですが、着信音として音声データが設定されている場合などは秒単位での呼び出し時間となり──』

「もういいっ! バスあっためて!」

『では、ビルボ氏呼びだしの件はいかがいたしましょう? 排泄の場合マイクの指向性を調整することによりノイズの除去がおよそ九十九%まで可能ですが、シャワーの場合、特に温水を用いてのそれの場合ノイズの除去率が五十%以下になってしまう場合も考えられ、また、先ほど申し上げました通りスケジュールに関し優先権を有する方への取り次ぎに関しては多くの制約があり、通話が不明瞭なものとなる可能性が高い場合、あえて当ほうから呼びだし可能な場合の緊急性の度合いは──』

「もういいっ! あっ、キャンセルするのはシャワーのほう! 今日は店休む! 店頭にはでない!」

『畏まりました。……ですが、ビルボ氏がおでになりません。この場合再度の呼びだしには一定の間隔を空けなければならないという規定が──』

「うるさい!」

 ──AIの調子がおかしかった。

 たぶんいま話題の優先権のせいなのだろう。彼を泊めるといつもこうなる。そしてそれが一週間ほど続くのだった。

 店は休んだが店頭には座ってみた。下着も着けず、ただガウン一枚羽織っただけの姿で……。

 一応店舗なのでこれでも五十平米あるのだが、天井近くまである書架のため、やけに狭く感じられる。灯りも点けずシャッターも下ろしたままなので、店内は本当に真っ暗だった。

 目覚めの際の不発の舌打ちに続き、今度は溜め息──。

「はふっ」

 AIだけでなく私自身もおかしくなってしまっているようだ。

 私の場所──。

 通りに対し垂直に長い店の奥のブースに座り、店内を眺める。心のなかで灯りが点き、それが現実の真っ暗な店内と重なる。

 火星には珍しい書店である。いや地球でも、紙の本屋など相当レアだろう。

 心のなかの店内に、書架の上ほうを見上げる彼の横顔が浮かび上がった。

 もう十年ほど前になるだろう。そうすると、最初に彼を意識したのは、十五年近く前になるのだろうか?

 どこかで見た顔だなと思った。

 二年目だったか? でも去年のひとかな? とは思わなかった。とはいえ一昨年のひとかなとも思わなかった。とにかくそのひとの来店が一週間弱続いた年があり、そして気づいたのだ。

 地球。ジャパン。キャンプ・ザマ県。欅中学第二学年時の同級生だった。

 イタロ・ビルボ──。

 彼のほうは気づいているのだろうか? 声かけてみようか?

 でもその年はそのまま過ぎ、おそらく、翌年の来店はなかったと思う。

 そういえば地球、ザマ県の四季に当て嵌めた場合の季節的周期性もまるでなかった。

 一年のブランクののちの来店初日、彼が購入したのは『センテニアル』。ジェームズ・A・ミッチェナー著。小説版のアメリカ西部開拓史だ。

 また来店があったら声をかけてみよう──。

 そう思っていたのだが何やら妙に緊張している自分が腹立たしく、そして同時に、情けなかった。何しろあの頃、クラスのなかでの彼の立ち位置ときたら……。

「あの、地球の方? ……ですよね?」

「ええまあ、でも……。決してエリートじゃありませんよ。こうして紙の本、買ってるからっていったって……」

 確かに紙の本は贅沢品だ。特に宇宙では! いや、環境問題が激化してからは地球でだって! この店だって金持ちの好事家相手の余計な商売なのだ。

 しかし、弁明の言葉を発したのは彼のほうだった。

「僕の船にね……。宇宙船なのにね……。なんと図書室があるんですよ。燃料、食料、ギリギリの計算で飛ぶ宇宙船に、重い紙の本の……。宇宙での読書なんて電子データでいいじゃないか。レイアウトその他にコダワるにしたって、VRでどうにだってなるだろ。でもね……。その宇宙船の購入時の条件だったんですよ。前の船長さんのね。この図書室を維持すると誓うなら、代金半額でいいよ。ローンの利息だってほとんどゼロにしてやるよってね……。実際税金対策のためだけみたいな代金だったな。僕、地球生まれの地球嫌いだから、もうどうしても宇宙にでたくて……。で、図書室維持のディス・アドバンテージなんてあの頃全然考えてなくて……」

 彼が私を覚えていなかったことは勿論ショックだったが、とはいえそれ以上にショックだったのは、彼が発した地球生まれの地球嫌いという言葉だった。

 あの学年でも他の学年でも、彼はひどいイジメに遭っていた。

 両親が自然主義者だったからだ。

 私たちは遺伝子への人為的操作が商業的に解禁されたポスト・デザインド世代の第三世代に当たる。自然主義者たちはその遺伝子操作にも当然反対で、ゆえに彼は公立学校のクラスでは、あんなツラした奴、まだいるのかよ? あんなド短足、まだいるのかよ? あんな喘息野郎、まだいるのかよ? などといった話題になってしまい勝ちだった。

 遺伝子操作が解禁された以上、ルックス的に劣ったひとたち、アレルギー体質など先天的因子により不健康なひとたちは、あえて自己責任でそのような状態を選択しているのだ。あえて観る者たちを不快にし、医療費を湯水のように使っているのだ。

 しかし、かくいう私も彼をイジメた。いやむしろ、その急先鋒だったといっていい。

 とはいえ私の両親もまた自然主義者だった。

 つまり自然主義にはもう一つ別の系統があり、私の両親は二人とも大学教員で、そのもう一つの系統の自然主義を信条としていたのだ。即ち、元々優秀な我が血統に人為的操作を加える余地などない、というエリート主義に基づく自然主義だ。

 そんな私の両親たちが、社会的ムーヴメントとしては通常の自然主義者たちと共闘していたのだから、大同団結というのも、運動内ダイバーシティの維持というのも、私に言わせれば甚だ疑問だ。

 その疑問はいわゆる自由主義的自然主義と平等主義的自然主義の対立の問題というテーマに関わってくるわけだが、しかし主観的には両系統とも、自由主義的自然主義なのだ。

 平等主義的自然主義は一般的自然主義に対し、私の両親が所属し、かつて私も所属していた集団が一ぽう的にレッテル貼りした蔑称だったし、他ほうそれを受けた側でも、私たちの閉鎖性に対し、一体どこが自由主義的なのだと当然の反論をする結果になった。

 そして自然主義一般が系統を問わず、ある程度必然的にエリート主義的なのだ。

 そんな私たちのコミュニティであの頃よく囁かれ、そしておそらく、いまなお囁かれ続けているだろう決まり文句があった。

“普通のひとたちはデザインドになることによって、初めて人間になることができるひとたちなんだよ”

 そういう両親、さらにまた同階層の親戚たちに嫌気がさし、私は火星へとやってきたのだ。同じような絶望を抱え、私より先に自身の所属集団を離れたある叔母の伝手を頼って……。

 ──AIが告げてきた。

『ビルボ氏がコールに応じました』

 本当は彼のことをもう少し話したいと思っていたのだけど、次のお題は、一体何?

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