うさぎのいるあべこべ本屋
葵月詞菜
第1話 うさぎのいるあべこべ本屋
もうだめだ。集中力が切れた。
彼女は必死で睨めっこをしていたテキストを投げだし、ごろんと仰向けに寝転がった。ぼんやりと天井を眺める。
宿題となった課題に取り組んでいたとある休日だった。頑張って早起きをして約半日。
遠慮なくお腹が愉快な音を立てるのを他人事のように聞く――明らかに自分の臍の方からしたが。
(お腹空いた……)
だらりと上半身を起こすと、筆記具を広げた机を一瞥し、すっくと立ち上がった。
「食料の調達だ!」
最低限の必需品が入ったいつもの斜め掛けの鞄を引っ掴んで、彼女は部屋の外に飛び出した。
「あらナコ、どこ行くの?」
部屋を出た所で、長い黒髪の少女と出くわした。三つ年上のお向かいの部屋の住人だ。
中学生のナコからすると、高校生の彼女がとても大人っぽく見えて仕方ない。
「勉強に飽きたからご飯の調達に行こうと思って」
「ご飯なら食堂に何か適当にあるはずだけど……鞄を持ってるとこ見ると気分転換という名目で暫く帰って来ないわね?」
ナコは曖昧に笑って返した。図星だった。
「全く……まあ良いわ。行ってらっしゃい。でも早く帰って来ないと宿題終わらないわよ」
「はーい……」
彼女の忠告をありがたく拝聴し、ナコは気を取り直して階段を駆け下り、共用の玄関に向かった。
「さーて、どこに行きますか」
少し考えて、ひとまず店が集まる商店街に向かうことにした。
道すがら、小さな獣がちらほらと丸まっている姿を見付ける。
ここ、あべこべ
「あー、今日も気持ち良さそうに日向ぼっこしてるなあ」
狭い公園の端、陽の当たる芝生の上で呑気に寝そべっている。
危うくつられて隣で寝転びたくなるが、今は空腹の解消が最優先である。
いつも通学で利用する駅の前を通り過ぎると、休日のせいか閑散としていた。ここにも小さな毛玉があちこちに丸まっている。
商店街の通りに入ると、少し活気が出て来る。決して店の数は多くないが、昔からの店が軒を連ねているのだ。
客層も年齢が高いのは否めない。隣町に大型ショッピングセンターがあるので、そちらに行く人も多いためだ。
「あら、ナコちゃん。コロッケどお? 揚げたてよ」
精肉店の前でふくよかな女性に声をかけられる。
一度そちらを見たらもうダメだった。ナコの腹が素直に音を上げる。なぜこんな商店街に入ってすぐの所にお肉屋さんがあるのだろうと立地に文句を言いたくなるのはいつものことだ。
ナコはお手軽値段のコロッケを買い、店の前のベンチであっという間に平らげてしまった。
その後も馴染みの店員に声を掛けられて色々と買い食いをしながらどんどん奥へと進んで行った。普通はそろそろお腹も満たされてくる頃だろうが、ナコのお腹はまだまだ前哨戦である。
そういえばいつだったか、友人に「まるでブラックホールの胃袋ね」と言われたか。
次は何を食べようかと思案していると、ふと横道にある本屋が目に入った。店の前に立つ青年に覚えがあった。
「セツ?」
「あ?」
色素の薄い珍しい髪を首の後ろで束ねた青年が振り返った。
「ナコ? 何だ、また買い食いか」
こちらが何かを言う前に勝手に決めつけた言い方をされ、ナコは少し剥れた。とはいえ、事実ではあるので言い返せない。
「セツは何してるの?」
自分のことは棚に上げて話をすり替えることにした。
「今日のバイト先だ。店主が腰を痛めてな」
この青年はこの町のいたる所でバイトをしている。
「ってことは――」
ただし、バイトはだいたい二人で行っている。ナコが本屋の奥を覗き込もうとすると、そちらからもう一人、今度は黒髪の青年が表れた。その腕に丸々と太ったうさぎを抱え、穏やかな表情でこちらに微笑んだ。
「いらっしゃい、ナコ」
セツの兄のトキである。口と態度が大きい弟と違って穏やかな青年であった。
「勉強の参考書でも探しに来たの?」
「ちげーよ。単に買べ物目当てだ。だいたいこいつが本屋に来るようなやつかよ」
「ちょっとセツ! 失礼だよ」
「痛った! すぐ叩くな阿呆!」
思わずセツの背中を叩いてしまったナコだが、先にいらんことを言ったのはセツなので反省する気はない。
そんな二人に苦笑しながら、トキがナコに提案した。
「ナコ、今から俺たちも昼休憩にしようと思ってたんだ。ここの店主が用意をしてくれてるから、一緒に食べる?」
「え、良いの?」
「その代わり、少しだけ手伝ってくれると助かる」
「それくらいやるやる!」
ナコが笑顔で頷くと、セツがけっと舌打ちした。
「お前相変わらずトキの言うことには素直だな」
「私はトキとセツが兄弟ってことが本当に不思議だよ」
あっかんべーと舌を出してやると、セツが肩を竦めて横を向いた。
「ガキと不毛な言い争いをしてもしゃーねー」
「セツの精神年齢が低いせいじゃないか?」
にこやかに口を挟んだ兄に、弟は言い返す言葉を失ってため息に変えた。
ナコは彼らと一緒に食べることになった昼ご飯にわくわくしながら、店の奥へと入って行った。
その本屋はこの町唯一の本屋だった。
店は二階にも続いていて、決して小さくはない。ただ、この本屋は少しだけ変わっていた。
まず、ジャンルがバラバラで新旧も固定されていないのだ。児童用の区域は別途設けられているが、その他はざっくばらんにルールなど全くない状態で棚に収まっている。――店に入った時の全体の印象としては、一件きちんと棚に収まって、乱れなどないように見えるのだが。
もちろんぶらりとやってきて自由にこの配置を楽しむ常連も多い。しかし目的があって探している本がある場合はどうすれば良いのか。
この店に検索機なんてものはない。そして恐らく店主も把握しきっていない。
この店にあるあらゆる本がどこにあるかを知っているのは、なんとこの店にいる「うさぎ」なのである。
特に、先程からトキが腕に抱いているふくよかなうさぎが現ボスだ。
客は店主に探している本を相談し、店主はうさぎにその本を探させるという。報酬は良き住環境と餌だと聞いた覚えがある。
「ねえトキ。私、ここで本探してもらったことないんだけど、本当にうさぎさんが見つけてくれるの?」
「この店にあれば見つけてくれるよ。ピッタリのがなくても割と関係のあるものとか」
「じゃあ今試しに探してもらっても良いかな?」
店に他に客の姿はないのを確認して訊ねたナコに、トキは少しだけうーんと考えこんだ。
「ナコのリクエストくらいなら問題なさそうだけど……ちなみに、何の本?」
「ええっとお、すごく図解の入った数学の参考書」
「ああ、それなら」
トキは腕の中にいるボスうさぎの背を撫で、そばで何事かを囁いた。
途端、うさぎの耳がピクリと動き、ぴょんと彼の腕から飛び下りた。ふくよかなわりに素早い動きだ。
ナコがその後についていくと、うさぎはとある棚の前で止まった。
「ここ?」
「この辺かな」
後ろからやってきたトキが目の前の棚から数冊を手に取る。確かに数学の参考書だ。
「すごい」
「まあこれは初歩の初歩で、店主はもっとすごいけど。店主は本の知識はあるけど、場所が分からない。その棚の場所を探すのがうさぎの役目。だから店主ならもっと細かいリクエストにも答えられると思うよ」
ということは、店主の知識ありきのサービスということか。店主のすごさを知ってナコは驚いた。
「店主がどうやってこの子たちにそれを伝えているのかは謎だけどな」
トキは参考書をナコに渡すと、ボスうさぎを抱き上げた。うさぎは報酬を期待しているような目をしていた。
「それで、そのすごい店主さんは大丈夫なの?」
確かセツが、腰を痛めたと言っていたはずだ。
「ああ、明日には復活できそうだってさっき連絡が来たみたい」
「そっか。なら良かったね」
ナコもうさぎのさらさらの毛並みに手を触れながら、ふと首を傾げた。
「ちょっと待って、トキもさっきこのうさぎさんに私のリクエストを伝えたんだよね? どうやって伝えたの?」
トキが一瞬虚を突かれた顔になり、やがて微笑む。どう考えても誤魔化す笑みだ。
「さあ、どうやったのかな?」
「トキ!」
「まあこれくらいならセツでもできたと思うよ」
「だからどうやったのって聞いてるんだけど?」
「あはは」
トキは教える気がないようで、そそくさとボスうさぎをつれて奥へ行ってしまった。
ナコは唇を尖らせて手の中にある参考書を見下ろした。
暫くじっと見つめ、苦笑する。
「……折角探してもらったんだから、買って帰ろう」
今日はトキが帰って来るのを待って勉強も教えもらおう。――彼らもまたあそこの同居人なのだ。
ナコはいつの間にか自分の足元で蹲っていたうさぎの背を撫で、参考書を持ってセツの待つレジへと向かった。
Fin.
うさぎのいるあべこべ本屋 葵月詞菜 @kotosa3
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます