第3話

 黒井小説大賞締め切り前日、悠人は黒井書店に直接原稿を持参した。それが応募条件のひとつだった。店内に客はおらず閑散としていた。店主の黒井に原稿を差し出す。


「ああ、お待ちしていました」

「え?」


 黒井の言葉に、彼と面識はなかったはずだと悠人は思わず目を見開いた。黒井が眉を下げ申し訳なさそうに笑みを浮かべている。


「いえ、先日彼女さんから「恋人が応募する」と聞いておりまして」

「そうですか。よろしくお願いします」


「はい。お預かりしますね……。あ、青田さん、コメディーにはしなかったんですね?」

「え、ええ」


「彼女さんにコメディーは受賞できるのか聞かれたので、てっきりコメディーを書くのかと思ってまして。早とちりです。失礼しました」

「いいえ。それじゃあ、よろしくお願いします」


 帰り道、悠人は動悸が止まらなかった。冷や汗がこめかみから顎にかけて流れる。


 恵理子は自分も小説を書くと言っただろうか? ファンタジーが得意だと言っただろうか?


 そんなことを考えながら帰宅し、ベッドに潜り込んで布団を被った。



 二週間後、買い物の帰りに悠人は恵理子と黒井書店の前を通りがかった。店の壁面には先日とは違う内容のポスターが貼られている。それを見て顔から血の気が引いてきた。


「んーと、第一回黒井書店小説大賞最終ノミネート作品発表! この中から対象が選ばれるんだあ。悠人くんの名前はあるかな……あ……」


 恵理子がポスターを指でなぞり、悠人の名前を見つけて言葉を失っていた。それもそのはず、受賞作のタイトルは「美しき死神に花束を」だったのだ。


 悠人は恵理子と並び、黙ってマンションに戻った。


「コーヒー淹れるね」

「恵理子」

「ん、なあに? 今日はお祝いかなあ。すき焼きでもする? 外食は大賞が発表されてから……」

「恵理子っ!!」


 何事もなかったかのようにコーヒー粉をフィルターに入れる恵理子に、悠人は声を荒げた。こんな大声、生まれて初めて出した。


「どうしたの? 急に大きな声出して」

「言いたいこと、あるだろ?」

「え?」

「作品のこと……」


 コーヒーメーカーに水を注ぎながら、恵理子が首を傾げたあと、にっこりと微笑んだ。


「なんだ、そのこと?」

「なんだって……あれは恵理子のっ」


 悠人は怒るでもなく泣くでもない恵理子に恐怖を覚えた。なぜ彼女が笑顔なのか理解できない。自分の作品が盗作されたというのに、それが恋人とは言え他人の名前で世に出るかもしれないのに全く気に留める様子はない。


「でも私、最後まで書いてなかったし。きっと私の文章じゃノミネートされなかったよ。私のアイデアを悠人くんがちゃんと小説にして結果を出してくれた。それって素敵だなあって思って」

「す、素敵?」


「うん。ずっと悠人くんの力になりたいって思ってたから、だから私は嬉しいよ。きっと大賞に選ばれるよ。旅行、どこがいいかなあ? ねえ悠人くんは行きたいところある?」

「やめろおっ!!」


 再び、悠人は大声を上げた。肩で息をしながら、話を続ける。


「なんだよ、俺勝手にパソコン見て盗作したんだぞ。嬉しいってなんだよ、生活費も入れない、浮気はする、その上盗作って……普通怒るだろ? 何喜んでんだよ! もうそういうのずっと息苦しかった!」


「悠人くん?」

「お前……重いんだよ!!」


 悠人は財布とスマートフォンを持って部屋を飛び出した。

 自分の名を呼ぶ恵理子に振り向くこともせず、走って、走って、とにかく遠くに逃げたくて、駅から何も考えずに電車に飛び乗った。


「はあ……はあ……。うわ!」


 座席で俯き、荒くなった呼吸を必死に整えようとしていたところで、スマーフォンの通知がなって顔を上げる。悠人は周りからの冷ややかな視線に再び俯き、慌ててマナーモードに切り替えた。通知は恵理子からだったが、見る気にはなれなかった。


 その後、冷静になってから電車に二時間揺られて悠人は実家に戻った。はじめは久しぶりの帰省に喜んでくれていた家族も、一週間が経過すると様子が変わってきた。さらに一週間経つとさらに居心地が悪くなってきたので、悠人は食事以外は自室で過ごすことが多かった。


 ある晩、操作中のスマートフォンが鳴った。知らない番号からだった。悠人は恐る恐る電話に出る。


『こんばんは。夜分にすみません、黒井書店の黒井と申しますが青田さんのお電話でお間違い無いでしょうか?』

「ああ、こんばんは、青田です」

『今、少しお話ししてもよろしいでしょうか?』

「はい……」


 何も考えずに出てきてしまって、ノミネート辞退はしていなかった。喉の奥に何かがつかえているような不快感があり、悠人はあまり言葉が出てこない。


『第一回黒井書店小説大賞について選考の結果、青田さんの作品が大賞に選ばれました』

「え、大賞……」

『はい。おめでとうございます。つきましては今後の出版契約や副賞のご案内がしたいのですが、一度店舗に来ていただくことはできますか? 大事なお話しですので、閉店後にゆっくりとお時間をいただきたいのですが、ご都合はいかがでしょうか?』

「ええと……」



 数日後の夜。悠人は閉店後の黒井書店を訪ねた。


「こんばんは……」

「こんばんは、青田さん。お待ちしていました」


 店主の黒井はいつものTシャツにエプロン姿ではなく、黒いスーツに黒いシャツとネクタイ、黒い革靴を履いていた。そして、無造作に延ばされていた黒い髪も後ろに流して丹精な顔をさらしている。

 寂れた商店街の小さな書店には似つかわしくない、不思議な光景だった。


「すみません、自分こんな格好で……」

「いいえ。私が変ですよね。大事なときの正装のつもりなんです。お気になさらずに。さあ、こちらへどうぞ」


 悠人は黒井についていき店の奥の階段を下った。地下があるとは思わなかったので驚き、顔をこわばらせ、何もないコンクリート製の壁面を見渡す。


「お待たせしました。どうぞかけてください」

「失礼します」


 部屋の中は床も壁も天井もコンクリートでできた箱のようだった。その中心に木製のテーブルと椅子がある。黒井に促され席につくと、彼は書類をテーブルに置いた。


「賞金の振込先や出版契約、特別装丁本のデザインについての書類になります。よく目を通してご記入をお願いします」

「はい」


 契約書には黒井の言う通りの内容が書かれており、悠人は全てを承諾し自分の名前と印鑑を押印した。これで恵理子に恩返しができると思った。何も言わずにサインしたためか、黒井が悠人の顔を覗き込んだ。


「いいんですか?」

「……はい」


 悠人は艶やかな黒髪を揺らし、頷いた。

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