第2話


 それから一ヶ月。黒井書店小説大賞の応募締め切りを一週間後に控え、青田悠人は仕事部屋で唸っていた。


「思いつかねえ……」


 自分がプレッシャーに弱いのは嫌というほどわかっていた。賞金や大手出版社からの書籍化確約と恵理子の優しさが、重くのしかかっていた。


 こんなとき、ついつい悪いことばかり考えてしまう——。


 悠人は先日企画書が没になったときの編集吉原が言ったことを思い出していた。


「この主人公がある日なんでもアイスクリームに変えられる能力に目覚めて無双するってお話なんですが……女性の服をアイスにして溶かす以外何も起こってないなと思いました。読者ターゲットや作品全体のテーマも伝わってこないし、登場人物のキャラも弱いなあと……」

「はあ……」


「青田さんの作品のいいところって、安定した文章とワクワクする物語の展開、魅力的なキャラクターだと思うんです。なのでもう少し内容とキャラクターを練り直してみてください」

「わかりました。ありがとうございました」


「いいえ、なかなかいい返事ができなくて申し訳ありません。あ、次回ですが企画書はメールでも受け付けていますのでそちらからお願いします」

「はい、失礼します」


 悠人は回想し、大きく息を吐いた。つまり面白い企画がなければ会うつもりがないということだ。


 依然まっさらなパソコンの画面に向かい、呟く。


「物語の展開に魅力的なキャラクターね……」


 学生時代に書籍化した作品は、確かに悠人が書いたものだ。しかし、いつも家で恵理子と話しながら、彼女が思いついたキャラクターや話の展開を文章にして発表したものだった。


 卒業後、つまらないプライドで自分で考えた作品を発表していたら書籍は打ち切り、その後どの媒体からも受賞や書籍化はできなかった。

 先日はっきり言われてわかった。自分の作品は恵理子のアイデアがよかったから書籍化したのだ。いや、そんなことは昔から知っていた。知らないふりをしたかっただけだ。


 恵理子は今も小説を書いている。ネットに投稿して、そこそこに人気もある。高校の頃から彼女は文章が上手くはなかったが、今ではきちんと小説の形式となっていた。本人は興味がないと言っていたがもし本腰を入れてコンテストに参加されたら、もう敵わないだろう。それくらい恵理子の作品はオリジナリティーが溢れ魅力的だった。


「ええと、〇八二五っと……」


 悠人は寝室から拝借した恵理子のノートパソコンを開いた。パスワードは悠人の誕生日だ。恵理子の愛を感じる。


 悠人にとって、恵理子はかけがえのない存在だった。高校の時から彼女と過ごす時間に安らぎと幸福感を覚えてた。大学に入ってからもその関係は変わらないはずだった。


 作品の書籍化が、全てを変えた。


 悠人は子供の頃から人の目を気にする人間だった。中学ではいじめに遭う生徒も見ており、目立ってはいけない、けれど落ちこぼれてもいけないと空気になることに必死だった。高校では数は少ないものの友人にも恵まれ、文芸部で恵理子に出会い、大学入学を機に同棲を開始。このまま卒業、就職、結婚……とささやかな幸せを彼女と育むのだと信じていた。


 しかし、作家デビュー後、悠人は空気ではなくなってしまった。

 今まで自分を見もしなかった綺麗な女子たちがたくさん言い寄ってきた。中にはおしゃれを教えてくれる子もおり、気がつけば自分も彼女たちと並んでも違和感がない男になっていった。そして、控えめに言ってもかわいいとは言えない容姿の恵理子と釣り合いが取れなくなった気がして、関係は公にはできなかった。悠人は大学で恵理子と関わるのをやめた。


 ある日、ついに誘惑に負け、悠人は浮気と朝帰りをしてしまう。証拠もしっかり残していた自分に、彼女は「おかえり」と言って静かに出迎えてくれた。そのときは恵理子に感謝し、猛省し、二度と裏切らないと心に誓ったが、悠人は落ち込んだときや自分に一生懸命尽くす恵理子の存在がプレッシャーになるとつい浮気をしてしまう。こんな自分のことがたまらなく嫌だった。


「さて、次回作は……あった。「美しき死神に花束を」か」


 恵理子のパソコンにログインした悠人は、いいネタがあればと思い彼女の書類フォルダを開いた。しかし気がつくと、彼女の次回発表作を読みはじめていた。


 九割完成していた作品を斜め読みしたあと、悠人はプロットと設定、本文を自分のパソコンに転送し、その痕跡を消した。

 そして寝室にパソコンを返し作業部屋に戻っていった。


 同じ日の夜、恵理子は仕事帰り黒井書店の前を通った。

 改めてポスターを眺めていると、中から店主が出てくる。


「ご応募、いかがですか?」

「え? 私ですか?」

「はい。先日もこのポスターを見ていただいてませんでしたか?」


 店主が微笑みながら問いかけてきた。


「実は、私ではなくて恋人が応募するんです」

「そうでしたか。申し訳ありません、早とちりしてしまって」

「いいえ、ちなみにジャンル不問ということは、コメディーとかでもいいんですか?」


 恵理子は悠人が得意とするコメディーが、受賞できるのかが気になった。店主は笑顔で大きく頷いた。若干不自然なくらいだった。


「ええ、もちろん! どんなジャンルでも魅力的な作品でしたら選びます。私は雑食なので」

「店長さんが選ぶんですか?」

「はい。私、黒井が最終ノミネートまでは。あとはカクヨム書房に友人がいて、売り出せると判断したものが選ばれます」

「なるほど、それでカクヨム書房の名前が……」


 大手出版社の名前があった理由がわかり、恵理子は小さく呟いた。


「安心していただけましたか? ぜひ彼氏さんにもよろしくお伝えくださいね」

「は、はい! ありがとうございます」


 笑顔で見送ってくれた黒井に礼をして、恵理子は帰宅の途についた。


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