書籍化した男【KAC20231】

松浦どれみ

第1話

 第一回黒井書店小説大賞!

 大賞受賞作はカクヨム書房より書籍化確約!

 さらに副賞として、賞金一〇〇万円と世界に一冊あなただけの特別装丁本を進呈!

 たくさんのご応募をお待ちしております。

 応募規定……


 寂れてシャッター街と化した古い商店街。

 ある晴れた春の日の朝。


 黒井書店の壁面には「第一回黒井書店小説大賞」の募集要項が書かれたポスターが貼られた。

 店主の黒井弥聡くろいみさとは壁面から離れて自ら貼ったそのポスターを眺め、傾いていないことを確認し「よし」と呟いた。


 そして彼は店内に入り、いつも通りに店番を始める。


◇◆◇◆


 黒井書店の近くにある、あるマンションの一室。

 六畳間の寝室には、スマートフォンのアラームが鳴っていた。


 相田恵理子あいだえりこは手を伸ばし、スマートフォンを手に取って画面を指で叩きアラームを停止させる。


「もう起きなくちゃ。悠人ゆうとくん、時間だよ」

「……ううん……」

「悠人くん」


 恵理子は隣で眠っている青田悠人あおたゆうとに声を掛けるが、起きる気配がない。昨夜は帰りが遅かったから、まだ眠いのだろう。布団ごと彼の体を揺さぶった。


「恵理子、今何時?」

「七時だよ。今日は出版社に行くんでしょう?」

「早っ……」


 恋人の悠人は小説家で、今日の午後は出版社に企画書を渡しに行くらしい。企画書が完成していない彼を起こしておかないと、心配で会社に行けないと恵理子は少し焦っていた。


「私も今日は仕事だから。今のうちに起きて企画書完成させた方がいいんじゃないかな?」

「……るさいな……」


 不機嫌そうに呟いて自分に背を向けた悠人に、恵理子は小さな息を吐いてベッドをおり、支度を始めた。


「それじゃあ、いってきます! 企画通るといいね!」

「…………」


 九時出社に間に合うギリギリの時間まで待ち、コーヒーを淹れて悠人をなんとか起こし、恵理子は慌ただしく、駆け足で家を出た。

 始業五分前に到着し、急いでメールチェック等を済ませ、気がつけば昼休みだ。


「相田さん、お昼どうする?」

「今日は買ってあるからここでとるね」

「はーい」


 恵理子は昼食を誘ってくれた同僚に笑顔で手を振り後ろ姿を見送った後、デスクの引き出しからプロテインバーを出した。それと朝、水筒に入れたコーヒーを持って会社を出た。ひとりで過ごしたい時は近所の小さな公園に行くことにしている。


 着いたらベンチに座り質素な昼食をかじった。


「悠人くん、間に合ったかなあ?」


 悠人と恵理子は同じ高校の文芸部に所属していたことがきっかけで仲良くなり、一七歳の頃から付き合っている。地元を離れ同じ大学に進学したのを機に同棲も開始した。


 高校ではお互い目立たない存在として、自分達が付き合ってたところで誰にもなんの影響も及ぼさない、隠していないが親しい友人しか知らない、そんな関係だった。そうやって大学に行き、就職し、結婚して小市民としての幸せを紡いでいくのだと思っていた。


 しかし、状況は大学三年のときに一変する。


 就職活動中、人見知りであがり症な悠人がなかなか結果を出せない中、息抜きで書いていたウェブ小説が書籍化することになったのだ。作品は全六巻とコミックスも出版され、学部内での悠人の知名度が上がった。


 悠人は急にモテた。作家の実情を知らない女子大生たちは、彼を自分のものにしようとアプローチを開始した。その中のひとりが地味な悠人が実は整った顔立ちで、髪型、服装、姿勢を変えると身長一七七センチのイケメンになることに気づいてしまったのだ。


 悠人の人気は加速し、ついに彼は初めての朝帰りをした。

 お土産は赤紫色をした首筋のアザだった。


「一応電話してみよう……」


 恵理子はスマートフォンで悠人に連絡する。数回のコール音ののち、彼の声が聞こえた。


『恵理子! ちょうど出版社に着くところなんだ、朝はありがとう』

「ううん。間に合うみたいでよかった」

『コーヒーうまかった。夜は外にしよう、仕事終わったら教えて?』

「うん。後でね」


 朝に弱い悠人だが、起きていれば控えめで感じのいい青年だ。夜、彼に会うのが待ち遠しい。

 昨夜ベッドに潜り込んできた悠人から、女性ものの香水の残り香がしたことを思い出すが恵理子は気にはならなかった。こんなことは彼が一線を超えてしまった学生時代のあの日から、定期的にあることだ。


「よし! 午後もがんばって、悠人くんに美味しいもの食べさせてあげよう」



 一方、悠人は約束の少し前に出版社に到着し、編集の吉原よしはらと待ち合わせていた。彼は学生時代に出版した小説のときに世話になった担当だった。


「青田さん、お久しぶりです!」

「吉原さん、お久しぶりです!」


 吉原に案内され、ロビーのブースに着席する。


「お元気でしたか?」

「はい、なんとか。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「いえいえ、楽しみにしていましたよ。企画書いただきますね」

「よろしくお願いします」


 悠人はあらすじや設定資料などを閉じた企画書を吉原に渡す。すぐに彼は目を通しはじめた。

 もう何度目のやりとりだろう。悠人にとってこの時間は一番苦しいものだった。

 なぜなら前作出版後、一度も企画書は通らなかったからだ。


「お待たせしました……」

「は、はい……」


 企画書を読み終わった吉原を前に、悠人はごくりと唾を飲んだ。



 終業時刻となり、恵理子は残業もなく定時で仕事を終えることができた。

 同僚も同時に席を立ち、一緒に社屋を出ようと歩き出す。


「あれ、相田さん。電車乗らないの?」

「うん、ちょっと電話してから。今日は外で食事しようって」

「へえ、あっちが?」

「うん」

「そっか、ちゃんと自分の分くらい払わせなよ?」

「そうねえ」

「もう、甘いんだから。それじゃ楽しんで、お疲れ!」

「おつかれ〜」


 同僚とは同期入社で仲が良く、食事に行ったりもする。以前飲みに行ったとき、なりゆきで悠人の話もしたため、彼女には「ヒモに甘い男の見る目がない同僚」と思われているようだ。


 駅に向かい歩いていく背中に手を振りながら、恵理子はスマートフォンを取り出した。悠人に連絡する。


「……あれ? 出ないなあ」


 コール音と留守番電話のアナウンスが流れる。終業時間は知っているはずなのに。恵理子は何度か連絡し直したが、悠人が応答することはなかった。


「そうきたか……」


 悠人が電話に出なかった原因は、なんとなく察しがついている。こんなときは家に帰宅しているか、どこぞに出かけているかのどちらかだ。

 恵理子は駅に向かい、自宅を目指した。


「ただいま」


 家に帰ると、玄関に悠人の靴があった。恵理子は胸を撫で下ろす。真っ暗な部屋に明かりをつけ、リビングを確認する。悠人の姿はない。このほかにあるのは寝室と悠人の仕事部屋だが、今日は寝室だろうとあたりをつけて、ドアノブに手をかけた。


「悠人くん、いる?」

「…………」


 恵理子の声かけに返事はなかったが、ベッドが膨らんでいる。悠人だ。


「ごはん、食べた?」

「……いや」


 恵理子はベッドの端に腰掛け、その膨らみにそっと手を置いた。

 企画書を出した日、小説賞などの結果発表の日、悠人はこうして心を閉ざす。彼は学生時代にデビューした作品以外、一作も書籍が販売されていなかった。デビュー時に作家に専念すると言って就職活動をしなくなり、卒業後間も無く書籍は打ち切られ、それからは小説投稿サイトに投稿したり、ライターをして生活している。


 生活といってもその収入は学生時代のアルバイト代よりも稼げていない。恵理子は大学卒業から今までの三年間、折半だったはずのこの部屋の家賃や光熱費をもらっていなかった。


「お腹空かない?」

「少し……」

「じゃあさ、何か美味しいもの食べない? 何がいい?」

宇宙園うちゅうえんの特選サガリ……」

「いいね。じゃあ食べに行こうよ」

「ん……」


 宇宙園はマンション最寄駅に近い焼肉店で価格は若干高めだ。特選サガリは一人前一九八〇円。恵理子は日頃から節約していてよかったと息を吐いた。

 こうしてもそもそとベッドから出てきた悠人と焼肉宇宙園、お会計一七八八〇円分の食事を楽しんだ。恵理子の財布はずいぶん寂しくなったが、悠人に笑顔が戻って嬉しかった。


「ま、出版社が求めてた内容と若干ずれてたみたいでさ、企画は通らなかったけどこれ書いてネット掲載して、あとは公募でも参加するかな〜って思って」

「うん、そうだね。それがいいと思う……あ」

「恵理子、どうした?」

「これ……」


 食後の帰り道、古い商店街を通っていると、恵理子は書店に貼られたポスターが目に入った。悠人も一緒に立ち止まり、ポスターを見ている。


「なになに。第一回黒井書店小説大賞? 大賞受賞作はカクヨム書房より書籍化確約って……大手じゃん。さらに副賞として、賞金一〇〇万円と世界に一冊あなただけの特別装丁本を進呈だって? 応募規定……プロアマ不問。ジャンル自由。四〇〇字詰め原稿用紙二五〇枚以上……マジか!」


「なにこれ、すごいねえ」

「ああ、俺、これ応募してみようかな……」

「うん、悠人くんならきっと大賞取ると思う! 応援するね」

「ありがとう。恵理子、賞金で旅行連れてくから、有給残しておけよ!」

「うん!」


 恵理子は初めての印税で旅行に連れていってもらったことを思い出し、にっこりと微笑んだ。


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