第14話

 離任式。雨宮先生が壇上で挨拶をしている。

 本当に、行っちゃうんだ。

 離任式と終業式が終わり、居ても立っても居られなくなった私は下校せず職員室に向かう。

「雨宮先生!」

「こんなところまでこんな時にどうしたのかしら?」

「最後なので、どうしても先生とお話したくて!」

「あらあら。ここではなんだから外に出ましょうか。」

 雨宮先生が職員用通用口に向かって、靴を履いて出てくる。

 桜が舞う敷地内を、雨宮先生と2人で歩く。

「雨宮先生がいなくなっちゃうのは寂しいです。」

「茶山さん、この前の授業で百人一首から旅立ちの和歌と私が好きな和歌を紹介したけれど、茶山さんにだけもう一首、贈ってあげる。生徒手帳と筆記用具、持ってるでしょう? 書いていい?」

「はい。」

 私から生徒手帳とボールペンを受け取った雨宮先生は、後ろの方のメモ用ページにさらさらと和歌を記していく。


 これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関

 

「蝉丸という人が詠んだ歌ね。意味は、これがあの、京から出て行く人も帰っていく人も、知り合いも知らない人も、皆ここで別れては巡り会う、あの有名な逢坂の関なのだなあ。……出会えば必ず別れがあり、別れてはまた出会う。3月で私とはお別れして、4月からまた新しいクラスになって、きっと新しい先生もいらっしゃる。逢坂の関はズバリ関所で、都の出入口ね。人々の送別の場所としてこの歌以外にもいろいろな和歌に詠まれているわ。私は確かにここを離れてしまうけれど、また新しい出会いもあるでしょう。そんな縁を、大切にしてほしいわ。それに……またどこかで巡り会えるかもしれない。私は新しい学校でお仕事して、いろんな生徒に出会う。茶山さんもいろんな人からいろんなことを学ぶと思うわ。いっぱいいろんな経験をして、一回りも二回りも成長した茶山さんにまた会えたら、私はきっと嬉しいから。」

「雨宮先生、また、会えますか。」

「きっと、ね。だから、成長した姿をまた見せて?」

「……はい。」

「私、茶山さんに出会えて嬉しかった。こんなに懐いてくれる子は初めてだったから。」

「先生はあの日のこと、覚えてますか? 横島君が授業中に漫画読んでて、雨宮先生が怒った時の。私、雨宮先生も注意してくれないと思ってて。そしたら、ズバッと怒ってくれて。その時、なんというか、雨宮先生がかっこいいな、って。……うーん、かっこいい、そうなんだけど、ちょっと違うなあ。とにかく、先生のこといいな、って思ったんです! 雨宮先生に褒められてる横島君に対して、無性に腹が立っちゃいましたけど。怒られて褒められるなんてずるいやって。」

 雨宮先生はちょっときょとんとして、目を少し見開いてる。頬も桜みたいに綺麗なピンク色。チークの色かな? それとも照れてるのかな。可愛いな。

「あの時ね。もちろんよく覚えてるわ。あの後、私もどうしようかって困っちゃって。横島君が反省してくれたみたいだから、私のやり方は間違ってなかったとほっとしたわ。」

「あ、ほら! また褒めてる! ずっと真面目にやってる私も褒めてくださいよー!!」

「ふふふふふふ。雨宮さんは小テストの予習も忘れなかったし、字も随分綺麗になったと思うわ! あとで自分のノートとかを見返してみて? 全然違うわよ?」

「それは雨宮先生の字が綺麗で、雨宮先生みたいな字を書きたいって思って頑張ったんですよ!」

「まあ、うふふ。それならひとつ、コツを教えておくわ。文字のトメ、ハネ、ハライ、これを意識してみて。それが出来れば、書きたい文字に近づいていけると思う。」

「ありがとうございます。先生の綺麗な文字、私のものにしますね!」

「頑張って!」

 こうして雨宮先生とお話ししていると、楽しくて仕方ない。もっと一緒にいたい。もっといろいろなことを教えて欲しい。

「クラスの担任が、雨宮先生だったらいいのに。」 

 口をついて出てしまった言葉。私の本心そのもの。言っても雨宮先生を困らせてしまうだけだとわかっていても。溢れてきてしまった。

 雨宮先生は少しだけ遠くを見て。また私の方を向いて。

「ええ……私も、茶山さんを担任してみたかったな。」

 雨宮先生。それって。

「ふふふ。茶山さんは素直でいい子だから。誰が先生でもよく育ってくれると思うけれど。……私が来年度の茶山さんの担任になってたら、茶山さんはどんな風に育ってくれるのかしらね?」

「……きっと、誰よりも頑張れると思います。他の先生が担任だったよりも。」

「そんな茶山さんも見てみたかったわね。……さて、もしもの話はそろそろおしまいにしましょう? 茶山さん、私、貴女の国語の先生になれて本当に楽しかった。図書委員会も一緒に出来たし、お手伝いもしてくれたし。何より…」

 雨宮先生が私の目を見てくる。照れちゃいます。

「こんなに慕ってくれて、ありがとう。」

 雨宮先生、それは。雨宮先生が、素敵で大好きだからですよ。

「それは、先生みたいに、なりたいからですよ。」

 これも嘘じゃないけど、照れくさくて恥ずかしくて全部の気持ちは言えない。

 雨宮先生、ちょっと戸惑ってる?

「そんなに私、真似されるほどの人物かなあ……? 私みたいに、って言われても私が全部正しいって保証は無いし。……でもまあ、茶山さんがそう思ってくれるなら、私は茶山さんが真似するに相応しい先生で居続けたいから頑張るわ。」

「私にとっては、雨宮先生が一番の目標ですよ。」

「あらまあ。私、生徒にそう思ってもらえるくらいの先生になれたということなのかな。」

 雨宮先生が顔をほころばせる。その笑った顔は、桜みたいで可愛いです。

 私と雨宮先生は、1年間の思い出を振り返りながら話し続けている。

 雨宮先生と過ごせる時間は残りわずか。もう、日が暮れてきている。もう少しだけ。もう少しだけ。

「さて、茶山さん。もうそろそろ帰った方が良いと思うわ。もう暗いし、それに……ごめんなさいね、私の仕事もまだまだあるから。」

 ああ、いよいよ来てしまった。

「はい……名残惜しいですが、帰ります。雨宮先生………さようなら。」

 職員室へ戻る雨宮先生に見送られて私は下校した。

 雨宮先生……貴女と過ごせて、幸せでした。


 帰宅した私は、生徒手帳の雨宮先生が書いてくれた和歌のページを眺める。

 雨宮先生の綺麗な字。雨宮先生が、私だけに書いてくれた歌。

 雨宮先生、ありがとうございます。

 私は生徒手帳を、机の引き出しに大切にしまった。


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