第11話 私は馬鹿だ


「ジア、婚約の話が正式に私の方へも来た」


 学院の応接間にあるソファに座りかしこまった表情の父親の言葉に、私は顔を強張らせる。一週間もしない内に正式な文章があちらから届くとは思わなかった。

 慌てて来ただろう父は少し疲れた顔をしている。

 私は父の前で、ただ呆然とその顔を見ていた。この言葉にどう返せばいいのだろうか。

 本来なら喜ぶべきだ、ロワール令息はとても良い人であり、彼とならば良い余生を過ごせるだろう。

 でも、喉元に何かがつっかかる。シェフが取り切れなかった魚の小骨が喉に刺さった時のよう。

 了承すべきだ。頭でわかっているけど、何故か次の言葉が出てこない。


 言葉を何故か言えず硬直した私に、父は一つため息を吐いた。


「まだ、猶予はある。私から、まだ娘が混乱しているようだから慎重に事を運びたいと伝える。ジア、ゆっくり考えなさい。お前には必要のない苦労ばかりさせてしまったからね。私はこのあと王城にいくから、そのついで」

「お手数おかけいたします」

 私はただ頭を下げた後、このまま逃げるように自分の部屋に戻る。

 そして、部屋に戻ると、布団の上でくつろいでいたエイリアがキラキラとした瞳で私の元やってきた。


「ジア~ついに? ついに?」

 その瞳には何を聞きたいのかがありありと書かれている。服飾を生業とする彼女の家は噂には一番敏感なのだから。

 大好きな親友であるが、今の私にとっては迷惑である。あまりに嫌すぎに私の顔が酷く強張った。


「エイリア」

「私は嬉しいんだよ、ああやっとジアにも幸せが来たんだって。アイア様は私達を見てくださるんだーって」

 エイリアの言葉に私は、また喉元に刺さった謎の小骨がちくりと痛む。

 幸せが来た。アイア様が私達を見ている。

 そう、ジアも同時期に南との交易都市を統治しているアレクサンダー・ホーソーン子爵の次男と婚約したのだ。

 しかも、南との交易の関係かロワール令息とは友人同士であったはず。もしかしたら、そちらの線で彼女にも伝わっているのだろう。


「幸せ、なのかしら」

「噂ではいい雰囲気だったと聞いたわよ。それにロワール様は婚約者の居ない方では優良株、しかも相当ジアを好きなんでしょ?」


 ロワール令息が、私のことを好き。

 エイリアの言葉が頭の中に何度も響き、言葉がボロボロと崩れていく。なぜだろう、文字面だけならわかるのに、その意味を頭が理解しようとできない。


「アレクと私、ジアとロワール様とでピクニック行きたいわ。サンドイッチ作って、王都の外れに美しい湖があるでしょ? きっと、ロマンチックだわ」

 楽しそうな彼女、私達四人でピクニック。ピクニックは初めてのデートでは定番の一つ、要はダブルデートと巷では言われているものだ。

 なんで、デートを? 恋人同士でするものでは?

 恋人、誰が?

 エイリアとホーソーン令息ならまだしも。


 考えれば考えるほど、体が硬直して、呆然と体が拒否をする。ミステリー、ホラー、スプラッター、黒い歴史系、戦記物、どんな小説を呼んでもその意味がわからないことなんて分からなかった。

 恋愛小説はたくさん読んだ。何度も何度も主人公たちの好きや幸せを読んできた。理解してきた。

 でも、なぜ私は今こんなにも分からないのだろう。


「そう、アレクは豚フィレ肉のピカタが好きみたい。今練習していて、それをサンドイッチに……ジア?」

 脳内がごちゃごちゃになり、目の前が遠く感じる。私の前にいるはずのエイリアは、私の顔を見て、なぜだか凄く困惑した顔をした。


「もしかして、悩んでいるの?」

 エイリアの問いかけに、私は顔をゆっくりと上げる。今の気持ちを、この不快感を、痛みを、伝える言葉。


「わからないわ」

 はくはくと呼吸する口から絞り出した言葉だった。エイリアは一瞬にして申し訳無さそうに眉尻を下げる。


「ごめん、先走りすぎたわ。ジア、貴方は抱え込みやすかったのを私が忘れるなんて」

 優しい彼女の手が私の手を取り、ゆっくり握りしめる。少し熱い彼女の手に、先程の興奮の熱量を感じる。


「私は貴方の味方よ。今はゆっくり休んで。決断をしてね」

 そうね、そう言いたかった言葉は空気の音だけを出す。

 婚約者探しを自ら積極的にして、折角素敵な人から申し込まれたのに、私は今何をしているのだろうか。

 矛盾すぎる気持ちと行動に、私はすべてを置き去りにした気分だった。



 ただ、勿論こうなってしまっては、逃げ続けること・・・・・・・はできない。


 あれ・・から二週間ぶりにロワール令息が私に会いに来た。場所はデートのデイ版である王都の外れの湖ではなく、梅雨のガセボである。一応何かあってはいけないということで学院内に招待したのだ。

 学園には様々ながある。下手なことはできない。

 ロワール令息を信じていないわけではないが、なぜだか駄目なのだ。

 でも、身だしなみとしてお気に入りの薄紫のドレスを着て、神もリボンで綺麗にセットした。


「お久しぶりです、ハイジア嬢」

「お久しぶりです、ご足労いただきありがとうございます」

「ハイジア嬢に合うためでしたら、地図の端から端まで移動しますよ」

 目の前にいるロワール様はやはり見目麗しく、聡明な方だ。そう、素敵な方。

 挨拶の後もスマートに会話続ける彼、手土産というお菓子は最近人気な焼き菓子である。お茶会用のセットを持ってきてよかったと安心しながら、私はお茶の支度をする。お湯等は学園で働くメイドたちが用意するが、こういう場合のお茶は基本的に私達女性側が淹れるものというのがこの国でのマナー。

 正直、私の淹れるお茶はあまり美味しくない。画一的な淹れ方しかできないため、及第点以上にはならないのだ。


「ハイジア嬢のお茶はとても美味しいです」

 そんなお茶をロワール令息は優しく褒めてくれる。私も一口飲んだ。少しばかり濃さと渋みがあるお茶。美味しいとは思えない。

「申し訳ありません、渋みが出てますね」

「美味しいですよ、このお菓子とよく合います」

 そう言って開いた中身は、美味しそうなクリームたっぷりの焼き菓子が詰まっている。たしかにこのお茶もお菓子と一緒ならば、丁度良いのかもしれない。


「ありがとうございます」

 その優しいフォローに私は素直にお礼だけを伝える。実際に食べてみると、お茶とお菓子はよく合っていた。


「思えば、ハイジア嬢はニゲラ嬢と仲が良かったのですね」

「ええ、親友ですわ。ホーソーン子爵令息と仲が良いと聞いております」

「はい、悪友ですね。彼はいい男です。親友の婚約者の事、気になりますか?」

「少しは気になりますが、彼女の目と耳は誤魔化せませんから」

「なるほど、たしかに。ニゲラ子爵夫人の教育の賜物ですね」

 すらすらと会話は弾む。いつもならこの楽しい会話に乗るだけでいいと気楽なのに、何故か今日はずっと身体の強張りがとれない。


「ハイジア嬢」

 お茶がどんどんと無くなる。焼き菓子も少し食べたが、味は美味しいのになぜか味がわからない。

 名前を呼ばれ、顔をあげるとそこには真剣な顔をしたロワール令息がこちらを見ていた。

 私は思わず息を飲んだ後、戸惑いながら小さな声で返事をする。

「はい」


 ロワール令息は私から目を逸らさず、まっすぐ射抜いていた。そして、椅子に座っていた彼は立ち上がり、私の前に来ると跪いて下から見上げてくる。

「両親のように愛し愛される・・・・・・夫妻になるのが夢でした。」

「はい」

 たしかに彼の両親は憧れている人も多いほどに仲良しだ。私もまだ王宮に居た頃に見かけた事があるが、言葉通りに愛し愛されるとはああいう事をいうのかと思った

 のは今でも覚えいる。そして、いつかはああなるのかと少しばかり期待した。

「初めてハイジア嬢と出会い、私は初めて心惹かれるとはこういう事だと知りました」

 しかし、今、そうなろうとしている。しているのに。純粋な彼の眼に映る私は。


「ハイジア嬢、愛しています。私と婚約してくれませんか」

 手を差し出す彼。純白の手袋とその姿に、恋愛小説に出てくる王子様を重ねる。この手を取れば、ハッピーエンドなのだろう。

 次のページをめくれば、教会でアイア様の前で愛を誓い、挙式くらいしているかもしれない。

 彼の隣で、私が、愛の誓いを?

 愛し愛される二人になるための誓いを?


 私は今、ここで理解をしてしまった。


 ロワール令息。彼は、私には、もったいない人だ。


「申し訳ございません」

 私は小さく謝るとガセボから思わず飛び出す。しかし、タイミング悪く、私はガセボの小さな階段で足を踏み外した。


「ハイジア嬢!」

 ロワール令息は咄嗟だったのだろう。私を必死に抱きとめた。

 目の前にはロワール令息の顔、後少しで口がぶつかる距離。


 ぞわり。

 その瞬間、得体のしれない不快感が体を駆け巡った。

 私は、ロワール令息の胸を自分の細腕で押し返す。勿論、突き飛ばせるほどの力は私にはない。でも、その行為だけで、私の気持ちがロワール令息に伝わったのだろう。

 ゆっくりと私から離れていく彼の顔は、今にも泣きそうだった。

 ずっと喉に突き刺さった骨の正体がやっとわかった。わかった上で私は、私の愚かさに気づく。


「申し訳ございません、私が悪いのです、私が浅はかでした」


 私は、ロワール令息の事を恋愛として愛していない。

 婚約を焦るばかりで、私は婚約というものを何もわかっていなかった。

 恋愛で狂っていく人たちをわかったふりをして嘲笑ってきた自分を、ただひたすらに心のなかで恥じて罵倒する。

 そうしてわかったふりをした結果、こんな素敵な人の心を踏みにじったのだ。


「いえ、私が、焦らせてしまったから」

「いいえ、私が全て悪いのです。申し訳ございません」

 頭を下げようとする彼よりも先に、私は頭を深々と下げる。


「ロワール令息、私よりも令息を愛し愛す事ができる素敵な伴侶が現れますわ」

「ハイジア嬢」

「何卒、アイア様のご加護がありますようお祈り申し上げます」

 私の言葉に、ロワール令息は「わかった。すまないな、オルテンシア嬢」と言い、その場を去っていく。私はその後ろ姿を見送ると、そのまま地面の上に座り込む。


 そして、その場でドレスが汚れるのも厭わず、ただ静かに涙を流す。


 私は、馬鹿だ。


 そう思いながら。

 

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