ぬいぐるみの送り主

井澤文明

2023/3/5 四〇九号室

「石黒〜助けてくれよ、お願いだから〜」


 春の麗らかな陽射しが、居間を優しく暖めていた日曜日の昼間。テスト期間にも関わらず居間でのんびりスマホゲームに耽っていた石黒祭の元に、同じクラスの同級生の███が訪ねてきた。玄関までわざわざ出た石黒祭は、両手を合わせて懇願する同級生の姿を迷惑そうに見下ろす。マンションの廊下に、彼が両手を合わせた音が静かに反響した。


「報酬によっては相談に乗ってやらなくもないけど」

「マジ!? すげー助かる! 今度奢るよ!」

「それだと一緒に出掛けないとやん。現金で欲しいわ」

「え〜でも俺、いま二千円しかない」

「じゃあ帰ってもろて」


 玄関の扉を閉じようとする石黒を、同級生は慌てて止める。


「待って! 明日持ってくるから! 三千円!」

「五千円」

「──わかった、五千円渡す。だから助けてくれよ〜」


***


「最近、家の前に段ボールに入った状態のぬいぐるみが置かれてるんだ。直接、家の前に置いてるっぽくて切手とか貼ってないし、差し出し人の名前もない。キモいから毎回捨ててるんだけど、でも次の日には捨てたぬいぐるみと一緒に新しいのが置かれてるんだ。

「ストーカーとか、そういうのかもって思って親と警察行ったけど、実害がないからとかなんとかで結局、何もしれくれなくて。最近、寝つきも悪いし、車は事故るから呪いとかかの可能性もあるし───あ、一応持ってきたんだ」


 ███は背負っていたリュックから、ぬいぐるみを五個取り出した。クマやイヌなど、ぬいぐるみの種類やデザインに統一性はないが、どれもくたびれ、使い古されていた。


「それで僕のところに?」


 居間のテーブルにコーヒーを飲みながら、彼らは向かい合わせに座っていた。

 ███はコーヒーが苦手なのか、コップには一切手を付けないでいたが、石黒はそれを無視して言葉を続ける。


「ストーカーされる心は当たりは?」

「あるっちゃある。ちょっと前に彼女と別れたんだ。なんか妊娠したとか言ってたけど、俺、妊娠させたつもりとかないし、めんどいから別れたんだ。それからDMがしつこくてさ。今はブロックしてるけど」

「いや、それやん」

「なんとかしれくれよ〜石黒〜」

「僕ドラえもんちゃうねんけど」


 石黒は大きくため息を吐き、コーヒーを一口飲む。そしてテーブルの上に置いていたスマホを手に取った。


「お前、どこ住んでるん」

「石黒と同じマンションだよ。去年引っ越したんだ。四〇九号室」


 ███の答えを聞いた石黒はスマホの画面を操作し始める。しばらくの沈黙が居間を包んだ後、石黒は口を開いた。


「やっぱり。二年前に、ここら辺で交通事故があったんだ。小さい女の子が死んじゃったの覚えてる。たまにすれ違ったことがある。その子、いつもぬいぐるみを小さいおもちゃのベビーカーに乗せて運ぶぐらいには、ぬいぐるみ好きだった」

「───つまり?」

「親御さんが、その女の子のためにぬいぐるみを昔住んでた家の前に置いてるんとちゃう?」

「普通、そーゆーの置くなら事故現場とか仏壇?の前じゃね?」

「親にとって娘との想い出が一番詰まってるのは、あの四〇九号室なんじゃない。何を考えているのかは、失った本人たちにしかわからんけど」


 石黒の言葉を聞いた同級生は、少しの間、考え込むんだ。そして、また口を開く。


「わざわざ俺が捨てたやつを拾って、家の前に置き直してるのは?」

「このぬいぐるみたち、使い古されてるのばかりだから、女の子が持ってたやつなんとちゃう? そんな大事なものを捨てられたら嫌やろ、普通」

「あ〜確かに?」


 石黒はコーヒーを啜る。湯気を立てていたはずのコーヒーは、もう冷めているようだった。


「まあ一旦、不動産会社に聞いてみたらええんとちゃう? 寝付きが悪いのとかも思い込みだろうし」

「いや〜マジで助かった! そうするわ!」


 同級生は抱えていた問題がようやく解決したことに喜び、テーブルに並べられていたぬいぐるみをリュックに詰め込んだ。そして、さっさとその場から離れたかったらしく、踵を踏んだ状態で靴を履き、


「じゃあ、また明日な!」


 とだけ言い、去って行った。

 同級生を見送らず、居間でのんびりとコーヒーを飲み続けていた石黒は、そこで居間の床に███が忘れて帰った小さなイヌのぬいぐるみが落ちていることに気付いた。古びた色褪せたダックスフンドらしきぬいぐるみで、あちらこちらの布がほつれている。

 彼はそれを拾い上げると、キッチンに置かれていたハサミを手に取り、ぬいぐるみの腹を切り開く。

 小さなぬいぐるみの中には、薄黒く染まった綿が詰められており、中に一本の前歯だけが入っていて、白く異様に輝いているようだった。石黒は中身を確認し終えると、棚にある裁縫箱を取り出し、丁寧に縫い始める。


「元カノの方からもお金もらえたりせんかな〜」


 一度も口をつけられることのなかったコーヒーが、暖かな陽射しに照らされ、静かに輝いていた。






─────────


最終編集日:2023年3月6日 11:42

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ぬいぐるみの送り主 井澤文明 @neko_ramen

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