第3話 水平線に沈む夕陽
香澄と別れたあと、玲子は海岸沿いの道を歩いて家に向かった。
八月の気温は暑く、真夏日が続いている。だが海に冷やされた夕暮れ時の潮風は肌に気持ちよく、にじむ汗を乾かしてくれる。
寄り道をすることなく帰るつもりだった。
でも気がつけば、潮の香りに港まで引き寄せられていた。
小ぢんまりとした内港には小型船が多数停泊している。
波の動きに合わせてゆっくりとした周期で揺れる船を見ていると、故郷を出てたった四か月しかたっていないのに、懐かしさで胸がきゅんとした。
海岸沿いにはテントや出店が準備を始めている。
電柱に立てかけられた看板に、明日の日付で花火大会が開催されることが告知されていた。明日の夜はこの辺りも、人でごった返すだろう。
遠くに見えるのはカーフェリーだ。シルエットがオレンジ色の中を少しずつ右に進んでいる。
見慣れた船だが、玲子は一度も乗ったことがない。遠くに行くときは船でなく、鉄道や飛行機を使うのが常だからだ。
陽の高いうちは青く穏やかな海面が、今赤く染められている。水平線に落ちていく夕日は、玲子の郷愁を誘う。
大学の近くには海がないので、こうやって心穏やかに夕日を眺めることもない。
港には夕日を求めて来たと思われる大学生らしきカップルがいた。
学生街から港までは車で二十分ほどの距離だ。大きなバイクが停まっているところを見ると、二人乗りで来たのだろう。
彼氏の運転するバイクに乗せてもらえるなんて素敵だな、などと思ったら、ライダーは女子のほうで、後ろに彼氏を乗せて走り去った。
玲子は自分の先入観に苦笑する。
数人いた釣り人も、慌ただしく荷物を片づけ始めている。釣果はどのくらいだろう。
玲子も小学生のころ、父親に連れられて何度か釣りに来た。餌のミミズがつけられなくて、いつも頼ってばかりだった。
子供時代の思い出は、この港とともに心に刻みつけられている。
夕日が海の向こうに隠れるぎりぎりの光景が、玲子の胸をかすめた。
濃いオレンジ色を水平線に残して、今、夜が来ようとしている。
この風景は、夏休みが終わると見られなくなる。
玲子はスマートフォンを取り出して、夢中でシャッターを切った。
自分の一部となったサンセットを写真に収めて、大学に戻ったときに部屋に飾りたくなった。
「そうだ、武彦先輩にも見てもらおう」
たくさん撮った写真の中で、一番出来のいいものを選ぶ。玲子が十八年間見続けてきた日暮れだ。
うれしいことも悲しいことも、この夕焼けとともに記憶に刻み込まれている。大好きな故郷の姿を武彦に届けたい。
――いっつもその人のこと考えとるやろ?
ふと香澄の言葉が浮かぶ。
いつも、武彦のことを考えている?
自分自身に問いかけるまでもない。答えはすでに出ている。香澄は正しい。
武彦と離れて過ごす夏休みは、心の一部が空洞になっているようで、いつも何かが物足りない。
その穴を埋めるために、この夕焼けを一緒に見たい。
「そろそろ認めようか」
玲子は誰に見せるでもなく、こくりと
――あたしは、武彦先輩が、好きです。
前途多難な恋だ。あの親衛隊をさしおいて、両想いになるとは思えない。
何名いるのか知らないが、たくさんいる女友達の中で、その他大勢から抜け出せる日は来るのだろうか。
武彦の性格を考えたら、好きだと打ち明けた途端、間違いなくひるんで逃げるだろう。気持ちを伝えるのは、まだまだ先のことになりそうだ。
でも想う気持ちは止められない。恋心は大切にしよう。
『家の近所で撮影しました。きれいな夕日が撮れたので、先輩にもおすそ分けします』
と、そこまで入力したのに、どうしても送信ボタンが押せない。
今までは軽い気持ちで送れたメッセージが、好きだと意識した途端、急に大変な作業になった。
こうなるのはなんとなく予想していた。だから認めたくなかったのだ。
「返事がくるか解らないけど。まあ、それはそれでいいか」
そうつぶやくと、玲子は緊張で
もう認めるしかない。この気持ちは引き返せない。
配信済みの表示が開封済みに変わるまで、しばらくかかるだろう。
夕日は完全に沈み、あたりは夜の
灯台の明かりが海を照らす。
明日の夜は花火大会だ。
かなうならば、来年は一緒に見られるといいのにね。
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