第2話 玲子の気持ち
香澄に指定されたのは、玲子の自宅から歩いて行ける喫茶店だ。
海岸通りにあるといえば聞こえはいいが、地元の人たちが利用するような場所で、おしゃれなところとはいいがたい。
でも中学時代から何度も利用しているふたりにとって、懐かしいホームグランドだ。
「玲子、こっちこっち」
中に入るといきなり大きな声で呼ばれる。
早めに来たつもりだったが、香澄のほうが先に到着していた。
いつもぎりぎりの彼女にしては珍しい、と玲子は不思議に感じたが、ふりかえってすぐに理由が分かった。
香澄の横には見知らぬ男子の姿がある。
「なんだ。約束の時間までデートしてたってわけね」
この人が彼氏に違いない。
玲子はやや緊張し、気づかないうちに右の手と足が一緒に前に出た。
「
「え? 久しぶりって……?」
席に着くなり香澄の彼氏にそう
クリッとした目に覚えがある。
「あ、もしかして……
「ビンゴ! 覚えとってくれたんや、よかった」
「ふーん。香澄の彼氏って、織田くんだったの」
まさか同じ中学出身の彼氏だったとは、玲子には予想外のことだ。
「でもどうしてまた。高校は別だったうえに、クラス会があったわけでもないし。どこで再会したの?」
「玲子が大学に行ったあと、この近所にコンビニができてね。そこでバイトしとった織田くんと、偶然再会したんよ」
織田は香澄の初恋の相手だ。伝えることもできずに終わった恋が、今になって
初恋は実らないというが例外もあるわけだと、玲子は苦笑する。
「いいなあ、ふたりとも青春してるのね」
「えへ」と照れ笑いする香澄は、高校時代から比べて随分と綺麗になった。
彼氏のいない玲子には、羨ましい出来事だ。
あたしもいつか、と思ったとき、不意に武彦の顔が浮かんだ。
「じゃあ、おれはこれで帰るわ。伊東さん、邪魔してごめん」
「ええ? 一緒にお茶しようよ」
「サンキュー。そやけどこれからバイトやし。夏休みじゃけん、普段できん昼間も入れとんよ」
「残念。織田くんとも昔話したかったのに」
「しばらくはこっちにおるんやろ。次会うとき声かけてや」
織田は爽やかな笑みを残して店を出た。
見送ったあとで玲子は、いつも頼んでいたフルーツパフェをオーダーする。
「ああ、びっくりした。まさか彼氏つれてきてると思わなかったし、その彼氏が織田くんだし、おまけに随分カッコよくなって最初は解らなかったし……」
「あたしも、最初声かけられても解らんかったんよ。初恋の相手やのに
「香澄が解らなかったくらいだもん、本当に変わったね」
玲子は大きく
「そやけん、初恋の相手いうても、違う気もしとんよ」
香澄の複雑そうな表情が、玲子には微笑ましかった。
「確かにそうだね」
玲子と香澄は、中学時代の織田を思い出し、互いを見つめあってクスッと笑う。
ふたりの知っている織田は、小柄でかわいい雰囲気の男の子だった。
それがしばらく会わないうちに背も伸び、がっちりした体格に変わっている。声をかけられなければ、絶対に気づかないだろう。
「それより玲子はどうなん? 大学で彼氏できた?」
「……えっ?」
また武彦の顔が浮かんだ。
香澄はそれを見逃さなかったようで、右側の口角だけをわずかに上げる。
「その顔は……おるんじゃろ。だれ?」
「う、ううん、おらんよ。そやけど……か、彼氏じゃないけど、親しく話せる人ならおるかな」
「おお、やっとこっちの言葉に戻ったな。図星やったろ。で、どんな人なん? 写真ある?」
身を乗り出してこんばかりの香澄に圧倒され、玲子はためらいつつもスマートフォンを取り出した。
とっておきの一枚で、一時期待ち受けにしていたものだ。だが誰かに見られるのを恐れて、すぐに他のものに変えた。その写真を表示する。
それはバイト先のジャスティというライブ喫茶で写したものだ。
ベースを弾いている姿はわかるが、運悪く下を向いているときに撮影したので、顔がはっきり見えない。
「うそっ、バンドマン? 芸能人なん?」
「まさか。アマチュアだって」
「ほしたら、同じ大学の人?」
「うん。でも本当に彼氏とかそういうんじゃないの」
武彦は一番気軽に話せる先輩だ。向こうも同じように思っているかは不明だが。
「ねえ、他の写真は? 顔がよう解らん。一緒に写しとんのとかないん?」
香澄の更なる要求に応えたいところだが、残念ながら武彦の写真はそれきりだ。
そこまで親しい関係ではないから、当然といえば当然だろう。
「夏休み終わったら、写真お撮り。でもって速攻で送ってや」
「そんな、無茶言わんといてよ」
「親しいんじゃろ? それくらいできろ」
「親しいのは親しいけど……」
本当に親しいだけで、つきあっているわけではない。
その前に自分が武彦に気があるのかすら解らない。
「また言うとんの? 好きかどうか解らんて」
「またって、前にもそんなことあったっけ?」
「あったよ。家庭教師のときも同じこと言うとったのに、結局つきあい始めたやろ」
そうだったかな、と玲子は思い返す。
たしかに好きという感覚が解るようで解らない。
「じれったいなあ。その人のこと、どう思っとん? 嫌いなん?」
「……嫌いじゃない」
「ときめいとる?」
「と言われても……」
「ならどう? いっつもその人のこと考えとるやろ?」
「うーん、どうだろう」
香澄は大きくため息をつき、テーブルに頬杖をついた。
「なんよ、玲子って勉強できるくせに、好いた惚れたいう感覚が鈍いんよ。そやのにしっかり相手を捕まえよるん」
いや、この前の恋は捕まえられなかった。
好きという気持ちは一方的で、玲子の想いと相手の想いは異なるものだった。
会う機会が多く、親しく話すからといって、気持ちが同じとは限らない。
「さっさとお認めや、その人のことが好きやって。急がんと、他の人に取られてしまうよ」
「うわ、耳が痛い。実をいうと相手の人はかなりモテるんだ。いつも、ものすごく派手な格好した女子に囲まれてる。通称、親衛隊」
「ええ? 親衛隊て……取り巻きおるん?」
玲子が頷くと、香澄は若干身を引いた。
「なんでまたそんな相手を……」
「講義室でたまたま隣に座ったとき、忘れてた教科書を見せてあげたのがきっかけだったの。
親衛隊は学科内でも有名だったから、そういう人たちに囲まれている先輩がいることは耳にはしてたのよ。でも隣に座った人がその人だなんて解らなかったんだ」
噂の彼は、たくさんの女子をはべらせていい気になってる優男という話だった。
だから、教科書を探してカバンの中身をひっくり返し、見つからなくて途方にくれている人物とはつながらなかった。
そこにいたのは、横顔が
気の毒に感じた玲子は空いてる隣に座り、教科書を見せてあげた。
講義中、目の端に映る横顔が何度も気になる。
たまに目があうと恥ずかしそうに視線をそらす。人と話すのが苦手な、純情すぎる少年だった。
きれいな顔立ちだけに、ともするとその人見知りが原因で、冷たい人物と誤解されそうだ。
――友達になりたいな。
そんな考えが自然に出てきた。
ところが事態は予想外の方向に進む。
講義が終わった途端、派手な女子の団体が現れる。
何が起こったのか玲子は理解できなかったが、彼女たちが横に座っている人物にまとわりついたのを見て、初めて噂の彼だと気づく。
しまったと思ったときはすでに遅く、親衛隊に嫌味を連発された。
気丈な玲子でもひるんでしまい、この人とは二度とかかわるまいと決意した。
呆然としながら、講義室を出ていく彼らを遠目で見送る。
そのとき玲子は、意外なことに気づいた。
彼女たちに囲まれている彼は、いい気になってもいなければ、得意げな顔をしているわけでもない。
迷惑で困っているのに拒否もできない。
心細げにしている少年という第一印象は、間違いではなかった。
友達になりたいという気持ちは、それ以来ずっと胸の奥に住んでいる。
「なるほどね。で、その親衛隊はその人から離れんのやな」
「そうよ。何度も意地悪されたんだから。でもそんなのに負けてたら、あの人と話すことできないでしょ」
「力説するんじゃね。玲子は絶対、その人のことが好きなんよ」
「……そうなの?」
「まあ、今日は自分の心をじっくり観察してみたらええわ。いっつも彼のことを考えとる自分に気づくからね」
香澄は意味ありげに笑うと、チョコパフェを一口食べた。
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