第72話

「空?」

 呼びかけられて、上目にりっくんを見つめた。二重のりっくんの目が見開かれて、それから眩しそうに細められた。

 りっくんが、より僕の方に顔を寄せて声をひそめる。


「そんな色っぽい目で見られたら、ここで押し倒しそうなんだけど」

「!」

 

 カシャン、とスプーンがお皿に当たった。

「驚いてんのもめちゃくちゃ可愛い。空、自分が可愛いの、もちょっと解った方がいいよ?」

 くすくす笑いながら、りっくんがカレーを一掬い口に入れた。

 僕は何も応えられずに4分の1程になったカレーを掬った。


 心臓と、りっくんの脚の当たってる所がドキドキしてる。ドキドキしながら、僕は頑張ってカレーを食べた。

 胸いっぱいだけど、りっくんとご飯を食べるのは好き。

 僕より少しだけ早くりっくんが食べ終えた。

 僕はこの、あと一口が食べられない。


「りっくん、お腹いっぱい?」

「ん?どした?空」

 あ、あのお姉さん、りっくんを見てる。

「もう一口、食べらんない、から…」


 スッとスプーンを上げてりっくんの方に向けると、ふっと笑ったりっくんが口を開けた。

 その口に、ゆっくりとスプーンを差し入れた。


 …この唇と、このあとキスする。


 視界の端で、さっきのお姉さんが口元に手をやったのが見えた。

 いいでしょ、僕の彼氏、…って、思ってしまった。

 スプーンを抜き取って、じっとりっくんと見つめ合う。

 りっくんの舌が唇をぺろりと舐めた。


「最後の一口が一番美味かった」

「…うそ…」

 ちらっと見上げたら、りっくんは可笑しそうに目を細めた。

「ほんと。空、出られる?もちょっと休む?」

「だいじょぶ」

「じゃ、行こっか。電車空いてるといいな」

 脚がフッと離れて心細くなる。


「…混んでてもいい」

 そしたら…

「くっついてられるから?」

 耳元で、りっくんが低い声で囁いた。甘い響きが脳に染み込む。

 僕はぎこちなく頷いた。

「空はほんと、可愛いな」


 伝票を取ってレジに向かうりっくんを追いかけた。こんな時は歩くのが速い。

 僕の分のお金を差し出したら、500円玉1枚だけを取った。

「…いいの?」

「いいのいいの。さ、行くぞ」

 りっくんはお財布にお金を戻してる僕の肩を抱いて、僕が財布をバッグに入れたと同時に歩き始めた。

「ごめんな?ちょっと気がいてる」

 いつもより少し、歩調が速い。


 なんかあの時みたい。小学生の、忘れ物した朝。

 りっくんに手を引かれて一生懸命歩いた。

 不安な気持ちはりっくんの「大丈夫」で消えた。


 モールから出たら、初夏の日差しが眩しかった。

 今がたぶん1日で1番暑い時間。

 でも、りっくんとべったりくっついていたい。

 僕はりっくんの背中に腕を回して、緑色のシャツを握りしめた。


 駅も電車も朝より空いてた。今回は座席に凹凸のないタイプの車両だったから、ぴったりと腕をくっつけて座った。

 ほんとは手も繋ぎたい。


 りっくんに触れたい 触れたい 触れられたい


 さっきまでりっくんの腕がのっていて、汗ばんだ肩が冷えてきて肌寒かった。

 電車がガタンと揺れたから、りっくんの方に寄りかかった。

 立って乗ってたら、たぶんもっとくっつけた。


 アナウンスが流れて、家の最寄駅が近付いてくる。りっくんが立ち上がるのに続いて席を立って、出された肘に掴まった。


 当たり前みたいにしてもらえるの、すごい嬉しい。

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