第63話

ーー空、今日学校どうだった?嫌なこととかされなかったか?

 大学からバイト先への電車に乗ったと思われる時間に、りっくんからメッセージが入った。

 りっくんは、僕にはいっぱいメッセージを送ってくれる。

ーーーすっごい見られたけど、それだけだったし、大丈夫。

 先輩との約束だから、愚痴を聞いたことはりっくんには言わない。

ーーそっか。ほんとごめんな。


 謝ってくれなくて全然いい。

 確かにじろじろ見られるのは気分のいいことじゃないし、どこまで、どんな噂が広がってしまうのか怖い面もある。

 でも。


 僕の知らなかった、優しくないりっくんの話が聞けた。

 僕といる時は胸が焼けそうなほど甘く優しいりっくんが、彼女たちには全然優しくなかったなんて聞かされたら、黒い優越感で気が遠くなる。


 りっくんは、僕にだけ優しい。

 甘い毒が頭に回る。


 すっごく りっくんに会いたい


 …でも、まだ木曜日…。

 スマホを出して、メッセージを送る。りっくんはまだギリギリ勤務時間前だ。

ーーーりっくん、夜電話してください。声が聞きたいです。

 せめて、声が聞きたい。


 すぐに着信音が鳴った。

ーー23時過ぎても平気?

ーーーうん。勉強しながら待ってる。

ーーOK。


 わがまま、言っちゃった。


 ご飯を食べながら、勉強しながら、ずっとりっくんのことを考えてる。

 お風呂で考えるのは危険。…でも考えちゃう。

 洗面所の鏡で見た自分の顔が、のぼせたみたいに赤くて、恥ずかしくて頭からタオルを被ったまま2階に上がった。


 家族旅行から帰ってすぐに買った青いチューブのクリームを薄く顔に塗っていく。旅行中、母にクリームを塗られて、次の日顔がいつもよりしっとりしてた。

 触り心地は、いい方がいいと思う。

 りっくんはよく僕の顔を撫でてくれるから。

 もっと触りたいって思われたい。


 青いチューブを机の引き出しの、りっくんのハンカチの隣に入れた。

 進まない時計をちらちらと見ながら、でも頑張って勉強した。

 明日はテスト発表の日だ。そっか、てことは神谷も里田さんも部活休みになるんだ。

 …そういえば最近、神谷からのメッセージ減ったな。

 まあいいけど。


 やっと23時を過ぎて、まだかな、まだかなって思ってたら着信が鳴った。

 ソッコーで緑のアイコンをタッチする。

『空、遅くなってごめんな』

 声を聞いただけで、ぶわっと身体が熱くなってくる。

「…ううん。りっくんお疲れ様。終わったばっかり、だよね。バイト」

『そうそう。今店出たところ。早く声聞きたくてめっちゃ急いで着替えた』

 うれしい


「ありがとう、りっくん。声聞けて嬉しい」

 うれしい うれしい

『空、なんか声が弾んでてかわいー』

 りっくんこそ、笑いながら喋ってるの、声だけで分かる。

 

 せめて声、って思ったのに、声を聞いたらやっぱり会いたくなっちゃう。

「りっくん、土曜日のお昼、何がいい?」

『何がいいかなあ。空と食べたら何でも美味いからなあ』

 電話の向こうから駅のアナウンスが聞こえてきた。

 電話を切らなきゃりっくんが帰れない。もうこの時間、電車は少なくなってる。

 でも切りたくない。


『空の好きなものでいいよ。空が何を好きなのか、もっと知りたいから』

 胸の奥がきゅうってなって、言葉に詰まった。

『…空…?』

「…うん、分かった…。あの…、りっくん…。電車、もう来る?」

『次、あと2分』

 2分…。


『やっぱ声聞くとさ、会いたくなるな』

「うん」

 ガタンガタンって電車の音。

『ごめん、空、電車来た。また明日な。おやすみ』

「お、おやすみなさい…」

 僕が言い終わるのを待って、りっくんは通話を切った。黒からアイコンの並んだ画面に変わったスマホを、唇を噛んで見つめた。


 あ


 ピロン、ていう着信音とともに、メッセージが届いた。

ーーって思ったけど、もうちょっと付き合って、空。


 わ、わ、わっ


ーーーうん。

ーーごめんな。これ逃したら20分後なんだよ、電車。

ーーーもう遅いもんね。


 うれしい


ーーもっと声聞きたかったけど。つか空、もう寝る時間だったりする?

 いつもはそう。でも…。

ーーーううん。もうちょっと起きてる。

 この嘘は、きっと許される。

ーーそっか。寝不足はまた熱中症とか心配だな。でもごめん。相手してほしい。

 甘えた感じのメッセージにきゅんとした。

ーーー明日体育ないから平気。

 相手してもらってるのは、僕の方なのに。


 僕がまだ電話切りたくなかったの、たぶんりっくんは気付いてたんだ。

 それで、メッセージ送ってくれた。…自分の方がわがまま言ってるみたいにして。


 大好き


 次会ったら絶対言う。

 何回でも伝えたい。


 大好き大好き大好き


 でも、『大好き』の裏面の、黒い感情は隠しておきたい。

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