第60話

 コンコンコンとノックされて、「お茶持ってきたわよ」って母の声がした。

「あ、うん。お母さん、ありがとう…っ」

 顔っ、顔大丈夫かなっっ?!赤い?!

 あ、でも、廊下薄暗いし、逆光になるし平気かな?!

 

 さっきまでとは違う意味でドキドキしながらドアを開けて、ペットボトルとグラスとクッキーののったトレイを受け取った。

「晩ご飯、7時でいい?」

「うん、いい、よね?」

 ちらりとりっくんを見たら、りっくんが「はい」って母に応えて、僕の手からトレイを取った。

「じゃ、頑張って」

 母が妙ににこにこしながらドアを閉めた。


「りっくんが来るとお母さんすごい嬉しそうなんだよね」

「嫌われてなくてマジでありがたい、俺は」

「りっくんを嫌う女の人なんていないよ」

 帰りに見た光景が頭に浮かんだ。

 頬を染めた、たくさんの女の子たち…。

「それは言い過ぎ」

 くすっと笑ったりっくんが、再び僕を抱きしめた。トレイはいつの間にか机の上に置かれてる。


「…空、キスだけ、いい…?」

 顎に指をかけられて、上を向かされた。

 頷く代わりに目を閉じた。

 閉じた瞼に影が落ちるのを感じる。

 キスする時、唇を開くって、もう知ってる。


 優しく、あやすように口付けて、りっくんが唇を離した。

「勉強しよっか。中間終わったら映画行けるように」

「…うん…」

 タクシーの中で手を繋いでからずっと、身体の中で熱がくすぶってる。

「ごめんな、空。さすがにこれ以上のことは、今できないから…」

 …バレてるし…っっ

 恥ずかしくてりっくんの胸に顔を埋めた。

 

 あ

 りっくんもすごいドキドキしてる…


「俺もね、正直キツい。でも、な。二人で頑張ろ、空」

「…うん」


 机に並んで座って、教科書を開いた。

 りっくんは、自分ではそんなに得意そうに言ってなかったけど、教えるのが結構上手だった。授業でちょっと引っかかってた問題とか、りっくんに説明してもらったらよく解った。

 …りっくんの声が心地よくて、真剣に聞いてるからかもしれないけど。

 低く響くりっくんの声、大好き。


 予定通り母が19時少し前に「ご飯よ」って言いに来て、三人で晩ご飯を食べた。

「お客様用のお茶碗小さかったから、律くん用の買ってきちゃった」

 母がえへへって笑いながら言って、りっくんは「ありがとうございます」って頭を下げてた。


 ご飯の後も真面目に勉強をして、21時前におしまいにした。

 次は土曜日。

 帰る前にりっくんは僕をもう一度ぎゅうっと抱きしめて、軽くキスをした。

「収まんなくなったらやばいから、な」

 片眉を歪めて笑うりっくんがめちゃくちゃ格好いい。

 帰らないで、って我儘をどうにか飲み込んで広い背中を見送った。


「どう?勉強、進んだ?」

 後ろから母に声をかけられてびくっとした。

「う、うん。りっくん教えるの上手だった」

「そう、良かったわね。中間テスト良い点取れそう?」

「取る、つもり」

 で、りっくんと映画に行く。

 頑張ったご褒美に、っていう名目にする予定だから良い成績取らなくちゃ。


「そういえば空、制服のまんまね」

「あ、うん。なんとなく」

 りっくんが着せてくれた制服。

「ネクタイ、いつもとなんか違わない?」

「え、そ、そうかな」

「なんか、いつもよりこなれた感じがする、…気がする」

 僕をじっと見た母が、まいっか、と背を向けた。


 ネクタイ、ほどくの勿体無いな。

 今日は結んだまま緩めて外そう。

 そうすれば、明日もりっくんと一緒にいる気持ちになれそうだから。

 

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