第51話

「あ、やべ。しんが帰ってきた」

「え」

「ほら足音」

 トントントンっていう階段を昇る音。

 りっくんが僕から手を離した。

 少し、淋しい


「出るよ、空」

 大きな手で、りっくんがサラリと僕の頭を撫でた。

「うん」

 りっくんがドアを開けたら、外で「わっ」って声がした。

「おかえり、信。俺ちょっと空送ってくっから」

「ただいま、ってか、え?空?わ、空だ。久しぶりー」

 りっくんの2コ下の弟の信くん。僕と信くんは、お互い顔と名前は知ってる、それぐらいの関係だ。


「あ、信。台所のテーブルの上と冷蔵庫の中のお土産、空からだけどまだ食うなよ」

 りっくんが信くんをジロリと見ながら言って、信くんが「へーい」って応えた。

「ありがとなー、空」

 信くんは僕の肩をポンと叩いて家の中に入って行った。

「…なんか、他のやつが空を「空」って呼ぶの、ムカつく」

「え?」

「なんでもない。ほら行くぞ、空」


 りっくんが階段を降り始めて、僕は慌てて追いかけた。

『あいつが嫌がりそうだから。空って呼んでたら』

 この前岡林先輩が言ってたのを思い出した。


 うれしい

 格好いいりっくんが、僕のことで心を乱していることが。

 恋は麻薬だ。

 あっという間に中毒になる。


「りっくん鍵は?」

「信がいるから平気だろ」

 階段を下まで降りたりっくんは僕を待っていてくれて、一緒にコンビニに入った。

 りっくんが言ってた通り、お弁当が綺麗に並んでて、お父さんには生姜焼き、お母さんには幕の内弁当を選んだ。


「空は何にするの?」

「唐揚げかナポリタンで迷ってる」

「パスタ好きなんだな、空は」

 微笑みかけられてドキッとした。りっくんを見上げて、うん、て頷いた。

 ナポリタンにしよう。


 そういえばって思ってスマホを見たら、母から「お茶も買ってきて。1リットル」ってメッセージが入ってた。

「りっくん、あとお茶買う。1リットルの」

「OK」


 エコバッグを忘れちゃったから袋も買った。お茶のペットボトルはそのまま。

 荷物は全部りっくんがうちまで持ってきてくれた。


「空、これ全部持てる?」

 うちの玄関前でりっくんが心配気な顔で僕を見た。

「あ、うん。大丈夫」

 やっぱりりっくんは僕に甘い。

 お弁当3つと1リットルのお茶。僕も一応高校生男子なので、それぐらいは一人で持てる。


「じゃ、まず弁当な。しっかり持てよ」

「うん」

 お弁当が斜めにならないように気を付けながら袋を腕にかけていると、ガチャッと玄関ドアが開いて母が出てきた。

「やっぱりいたー。おかえり。なんか声がする気がするなーって思って」

「た、ただいま、お母さん」

「あ、お土産色々ありがとうございました」

 りっくんが母に頭を下げて、母は「いいのよー」って笑ってた。


「きっとね、律くん送ってくれるんだろうなーって思ってたの。空、律くんに荷物持ちまでさせたの?」

 母がりっくんが持ってくれてるお茶のペットボトルを見て手を出した。

「あ、いや、別に持たされてるわけじゃ…」

 ペットボトルを母に渡しながら、りっくんが少し早口で応えた。

「そう?ありがとう、律くん」

 にっこり笑った母に、りっくんは軽く頭を下げた。

「じゃ、俺はこれで。空、また連絡するな」

「うん」


 帰っちゃう…りっくん


 ゆっくりと、りっくんが僕に背を向ける。


 帰っちゃう…


「後ろ姿も格好いいわねぇ、律くん」

「うん…、え?」

「ん?さ、晩ご飯にしましょー。空、何買ってきてくれたの?」

 ペットボトルを胸に抱いた母が、僕の手元のコンビニ袋を覗いた。

 一番上は僕のナポリタン。

 

 家に入る前に、もう一度りっくんの歩いて行った方を見た。

 もう見えない。帰っちゃった。

 そっか。りっくん一人だと、僕との時より歩くの速いんだ。

「空?」

「あ、うん…」

 慌てて母の後ろについて中に入った。


「律くん、お土産喜んでくれた?」

 お弁当をレンジにかけながら母が訊いた。

「うん。プリン好きだって言ってた」

「そう、良かったね。あ、空、グラス出して」

「はーい」


 …次は水曜日。

 りっくんに会えるのは、1週間のうちのたった2日。

 しかも水曜日は、放課後だけ。

 足りないよ、りっくん。

 りっくんが全然足りない。

 

 もっと会いたい。毎日でも会いたい。

 欲張りになる心、止められない。


 それでもりっくんは、僕を純白だって言ってくれるのかな…?

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