第45話

ーー声も聞きたいし顔も見たい。


 どくん、っとまた大きく心臓が跳ねた。

 お父さん、もう出かけたかな。

 洗面所のドアをそぉっと開けて、部屋を見渡した。

 いない。


ーーー今ちょっとなら。どうやるの?

ーー応答のアイコン押せばいいだけだよ。

 ってメッセージがきてソッコーで着信が鳴った。

 応答、を、押す…っ


 わっ!りっくんっっっ!

『空…』

 小さな画面の中のりっくんは、額縁に納まってる絵画みたいだ。

 何日振りだっけ?りっくんの顔見たの…。


 やっぱり格好いい…っ


「あ、あの、今お父さんコンビニ行ってて、お母さんお風呂だから…っ」

『そっか。いいタイミングだったんだな』

 りっくん、まだお店の制服だ。

「うん」

 スマホの画面の中から、りっくんが僕をじっと見てる。


『…空、あれ、あの浴衣の写真。…あれは反則だぞ?』

「…え…?」

 反則…って…?


 胸がきゅうってなって息が止まった。

 視線を動かすこともできなくて、りっくんを凝視している。

 じわじわと視界が潤んできた。


『…あんなん見せられたらさ…、無理だよ。絶対言わねぇって決めてたのにさ』

 ぼやけてきてるけど、なんかりっくんの目元が…赤い…?

「…りっくん…?」

『空、早く帰って来いよ。2泊3日なんて長すぎるよ。なんだよあの可愛い写真。めちゃくちゃ可愛いじゃん、浴衣。もう致死量だよ。俺死にそーだぞ?マジで』


 え…?


『こんなこと、絶対言わないつもりだった。格好悪いし、家族旅行に水差すようなこと。でも』

 りっくんが下を向いて大きくため息をついた。

 そして唇を噛んで、また僕をまっすぐ見る。

『ごめんな、空。も、無理。限界。言うだけだから言わして?早く会いたい。早く帰って来いよ。早く俺んとこ帰って来て、な?』

「…っくん…っ」

『明日、待ってるから。お土産楽しみにしてるぞ?』

 ほんのりと頬を赤く染めて、バツの悪そうな顔でりっくんが言う。

『つか、手ぶらでいいから、早く空に会いたい』

 そんな真っ直ぐな目で見られたら、息もできない。


『ごめん、後ちょっと仕事あるから、これで。格好悪くてごめんな?』

「ううんっっ」

 力いっぱい頭を横に振ってしまったから、くらりとした。

 言いたいことはいっぱいあるけど、胸が詰まって言葉が出てこない。

『じゃあ明日、な?空』

「うん…っ」


 プツッと通話が切れたスマホを、しばらくそのまま見つめていた。

 手の中のスマホに広告メールが届いて、ブルっと震えてハッとした。

 いつまでも洗面所にいたら変だっ。

 慌てて、でも慌てて見えないように洗面所から出て、荷物の整理をし始めたところに父が帰って来た。

 あぶない あぶない


「おかえりお父さん。お母さんまだだよ」

「やっぱり?」

 お父さんはくすっと笑って、僕にお菓子を渡してくれて、それから冷蔵庫にビールを入れた。


 露天風呂のあるテラスへの戸がガラリと開いて、母が部屋に入って来る。

「あー、いいお湯だった。お父さん次どうぞ」

 ホカホカの母がにこにこしながら父に言う。

「はいはい」

 父がよいしょと立ち上がって、母がよいしょと座った。そして母は、ふぅっとため息をついた。

「2泊3日なんてあっという間よねー。もう1泊くらいしたい気持ちだわ」

 鏡を覗きながらぼやく母の横顔を見た。


『2泊3日なんて長すぎるよ』

 さっきの、切羽詰まったみたいなりっくんの声と表情を思い出した。

『俺死にそーだぞ?マジで』

 あんな風に言ってくれるなんて思ってなかった。

『早く会いたい。早く帰って来いよ』

 僕も早くりっくんに会いたい。 

 荷物の整理をしながら、つい顔がにやにや笑う。


『早く俺んとこ帰って来て』


 うん、りっくん。待ってて。

 明日の夕方には、僕、りっくんのとこに帰るよ。


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