第40話

 りっくんに会えないまま旅行の日が来て、朝早く父の運転する車の後部座席から、りっくん家のコンビニを横目に見てこっそりため息をついた。

 りっくんに会えるのは、次の水曜日。

 楽しまなきゃ、旅行。いつも通りに。

 ほんとの気持ち、お母さんたちにバレないように。


 もう覚えてしまった父のお気に入りのCDを聴いて、時々みんなで歌いながらドライブして、お昼は海鮮丼を食べた。「記念に」って写真を撮って、後でりっくんに送った。


「そっか、和室にしたんだっけ。畳いいね、久しぶりー」

 ホテルの大きな窓からは、凪いだ海が見えた。

 りっくんどうしてるかなぁ…。今日は丸一日バイトだっけ。

「空、ちょっとその辺歩いてみましょ」

「はーい」


 両親とアーケードの商店街をぶらぶら歩いた。

 温泉まんじゅうとか、お目当てだったプリンもあった。

「空のスマホで写真撮ってあげる。食べてるとこ」

「え?」

「ほら、そしたら送れるでしょ?お友達とかに」

 

 ね?って言って出された母の手。

 スマホを渡した時に、りっくんからメッセージがきちゃったらどうしよう。

 でも断るのも変、な気がする。

 カメラ起動してから渡せば大丈夫、なのかな。

 とりあえず、さっさと撮ってもらっちゃおう。


 お願いりっくん、今は送ってこないで、って思いながら母にスマホを渡して、温泉まんじゅうを食べてるところを撮ってもらった。

「うん、可愛い可愛い。さすが私の子」

 そんな自画自賛的独り言を言いながら写真を撮ってくれた母が、「はい」ってスマホを渡してくれた時、心底ホッとした。


 あー、こわいこわい。

 隠し事って大変だ。


「ねぇ空。律くんにお土産、何買って帰ろっか?」

「え?!」

 やばいっ!すごいびくっとしちゃったっっ!


「ほら、律くん空の家庭教師してくれるでしょ?だから。ね、律くんて何が好きなの?甘いの?しょっぱいの?」

 母が僕を振り返って無邪気に笑いながら訊いてくる。

 僕の手のひらはみるみる汗で湿ってきて、慌ててスマホをポケットに仕舞った。


「ど、どうだろ。ちょっと分かんない…」

 ていうかドキドキして頭働かない。

「そっかぁ。じゃあ両方買おっか。律くん家4人家族だから誰かしら食べるでしょ。あ、これ食べたい。絶対お父さんも好き」

 母はそう言いながらお菓子の箱を持って「お父さん、これこれ」って言って父にその箱を渡した。父は「そうそう、こういうのいいよね」って笑ってた。


 …なんか口惜しい。

 僕はりっくんの食べ物の好みが分からない。


 夕食の時も「お父さん、これ好きでしょ」とか「これはお母さん好みだな」とかっていう、ごく普通の会話をすごく羨ましい気持ちで聞いてた。

 

 当たり前だと思ってたことの、見え方が変わる。

 人を好きになるって、自分の中で地殻変動が起こるみたいだ。


 ホテルの部屋に戻って、部屋に付いてる露天風呂の順番をジャンケンで決めて、父が一番風呂に入りに行った。

 母が卓上に置いてあるお茶を淹れてくれた。珍しく呑んでたから、母の頬がほんのり赤い。


「お母さんね、今でも覚えてるのよ。空が小学校に入学したばっかりの頃、膝小僧に大きなガーゼを貼って帰って来て、「まあ大変!」って思ったら嬉しそうに律くんのはなしし始めて」

 ふふって笑った母を思わず凝視した。母は両手に包んだ湯呑みの中を見てる。


「ぶつかって転んじゃったけど、律お兄さんがおんぶしてくれて、洗ってくれて、すごく優しかったから、痛かったけど痛くなかったよって、にこにこしながら話してくれて。それまで空、あんまり学校のこと楽しそうに話したりしなかったから、すごくびっくりして、すごく嬉しかったの。それからよく律くんの話が出るようになって、ああ、三島酒店の律くんのことか、って分かって。空が楽しそうに学校に行くようになって良かった、って思ってたのよ」

 母はお茶を一口飲んで僕を見た。つい、びくっとしてしまった。


「で、律くんが卒業して、分かりやすく落ち込んで。しばらく名前も聞かなかったのに、突然送って来てくれちゃったりするんだもん。もうほんと、あの時驚いたんだから」

 もぉって感じで僕を睨んで、母はへにょって笑った。


「びっくりしちゃう。律くん格好いいし、なんかすごい空のこと可愛がってくれてるみたいだし。それに空、なんかキラキラしてるし」

 母の白い手が伸びてきて、僕の頭を、頬を撫でる。りっくんの大きな手とは違う、細い手の感触。


「よかったねぇ、空」

 ふふふって笑った母は、そのまま座卓に突っ伏して眠ってしまった。

 お母さん、あんまりお酒強くないから。

 とりあえず衣桁に掛けてあった母のストールを持って来て、細い肩に掛けた。


 さっきの「よかったねぇ」はどんな「よかったねぇ」なんだろう。

 

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