第6話 教会①
とある巨大な台地の上。マイスはあぐらを組んで鼻を鳴らした。
「こうして見ると立派な
視線の先では台地が窪み周囲を切り立った崖が囲んでいる。窪みの外縁部は森となっており、中央部には古めかしい巨大な教会が建設されている。教会の奥には湖があるので角度によっては建物が湖に浮いているようにも見える。
台地にある複数の亀裂のうち、外とつながっており人間が歩いて通れるのは一か所だけ。
マイスのように台地の上を通ることも不可能ではないが、ほぼ直角の崖を下りるのは甚だ困難である。そもそも台地の上に登ること自体そう簡単ではない。
古めかしく巨大な教会は荘厳であるが、こんな場所に建築するためにどれだけの金をかけたのか、その金の出処を考えると途端に俗物感が漂ってくる。吹く風からすえた臭いを感じる。
聖典教会の総本山、聖湖神水教会。俗に中央教会ともいわれるそこは、普段は静けさに満ちている。各地で選ばれた高位の神官が修行し、神学について語り合うことで見識を深め合う場である。
「教会に宣戦布告した愚かな神敵は必ずこの地を襲うだろう。騎士たちよ、大盾を持て! 武器は最低限で良い。足止めに専念しろ。浄罪詠士たちは後方で連携、すぐに神罰術式を放てるよう準備を整えておけ! あの若造に手柄を独り占めさせるな!」
今は物々しい喧騒があった。豪奢な服を着て武装した兵士を指揮する恰幅の良い男はユシンという。大神官であり、大勢の教会騎士を部下に持つ大騎士でもある。なお、ユシンが魔族との戦争で現場の指揮をした回数は少ない。
喧騒の理由は言うまでもない。聖域を襲撃すると宣言した神敵がいるからである。
「教会の外で待っていてくれるとはありがたいな。教会の中を逃げ回られたら鬱陶しいと思っていたところだ。ユシンの野郎をとっ捕まえて締め上げてやる」
マイスは立ち上がる。軽く伸びをしてからトンと地面を蹴った。体が宙を舞い、隊列を組んだ兵士たちの前に着地する。
ほとんどの兵士はあっけにとられて動けずにいた。一部の狂信者は即座に対応したが、それでも遅い。
マイスは不敵に笑う。
「どーもこんにちは、神敵です。警告はしたからな。死なない程度にぶっ飛びやがれ!」
言葉と同時に放たれた衝撃波が大量の兵士を湖めがけて吹き飛ばした。
―――
マイスが中央教会に到達するまでの経緯について、語ることは多くない。
まずは王都に戻り、シエンに考え直さないかと提案されながらもそれを無視しながら聖域の位置を調べた。
生命の森のような例外を除けば聖域に教会はつきものだ。マイスは教会を嫌っているが、真っ当な神官だっている。彼らの生活を不必要に踏みにじるつもりはない。襲撃する聖域は少ないにこしたことはない。神域につながっている疑いが濃い聖域をリストアップし、優先順位をつけた。
聖域の調査を申し出て許可が下りるならそれが一番だったが、そうはならなかった。シエンがマイスの目的を上層部に伝えたからだろう。
教会に仇なすものは神敵とされる。マイスが神敵となれば両親の身は危険にさらされるかもしれない。
マイスは魔王討伐の旅で手に入れた伝手をたどり教会とつながりが薄い国に両親を逃がした。表向きは旅行として、逃げた先の国で行方を辿られないよう工作した。
両親以外に友人もいるが、特別つながりが深い人はいない。マイスの関係者全員を処罰しようとすれば百人単位の無辜の人間を殺すことになる。いくら教会に権威があっても国が許さない。国王に念押ししたから間違いない。
一週間かけて後顧の憂いを絶ったマイスは思うさま大暴れすることにした。
「おらおらどうした! 教会騎士ってのは弱った相手しか倒せない腰抜け集団かぁ? 神の威光ってのはずいぶんみみっちいんだなぁオイ!」
黒剣を振るうたびに衝撃波が巻き起こり兵士たちを吹き飛ばす。金属鎧を着たまま湖に落ちる兵士もおり、教会側は襲撃への対応と救助でてんやわんやとなっている。
まれに衝撃波を潜り抜けてマイスと太刀打ちする者もいるが鎧袖一触に薙ぎ払われる。
「逃げるやつに攻撃はしない! 死にたいやつだけかかって来い!」
マイスは教会が嫌いだが関係者を皆殺しにしたいとまでは思っていない。今のところ兵士が死なない程度に手加減している。
一部狂信者を除けば真っ当な感覚の持ち主だ。力の差を見せつければ逃げる兵士も出てくる。数の暴力は脅威だが、足並みがそろっていなければ烏合の衆だ。足を引っ張り合ってくれるのでかえって戦いやすい。
警告はした。力の差を思い知ってなお攻撃してくる連中は明確に敵だ。死んでも仕方ない。
「うろたえるな! 詠士たちは詠唱を開始せよ! 兵士たちは前に出ろ、しがみついてでも動きを止めるのだ! やつとて人間、抑え込めば動きを封じることができる!」
ユシンの言葉に一部の兵士は怖気づく。ユシンはしがみついて動きを止めろと言ったが、その最中に神罰術式を食らえば間違いなく死ぬ。ユシンは部下たちに死ねと言っているのだ。
一方、一部の兵士はひるむことなく瞬時にマイスへ襲い掛かった。狂信者たちである。
マイスとしては好都合だった。
「よし、襲い掛かってきたお前らは敵だな」
足にしがみつこうとした狂信者を容赦のない蹴りが襲う。数名の狂信者がまとめて吹き飛んだ。
「うおおおおおお! 止めろ、ヤツとて人間だ! 神の加護は我らにある、行くぞーー!」
盾を構えた教会騎士が隙間なく横一列となって迫る。蹴り飛ばされた狂信者が盾にぶつかっても一顧だにせず、地面に落ちた彼らを踏みつけながら体当たりをしかける。
金属鎧を装備した騎士はマイスよりはるかに重い。教会騎士だけあってわずかに神気をまとっている。組みつかれたらマイスでも振り払うのは難しい。
だが、マイスは慌てない。必死な姿を鼻で笑う。
「この程度で俺を止めるって? 舐めんじゃねえよ」
マイスの左手に白い光が灯る。
なるほど、騎士たちに掴まれたら引きはがすのは困難だろう。その隙に奥の詠士たちが準備した攻撃魔術を食らうかもしれない。
ならば近づかれる前にまとめて戦闘不能にするまでだ。
「神威魔法『鉄槌』!」
サイドスローのような動きで白い稲妻が投擲された。
神威魔法。それは神気をまとった攻撃魔術である。練りこんだ神気の量に比例して通常の魔法より強力になる。
『鉄槌』は電撃を放つ魔術に神気で質量を付与したもの。亜光速の衝撃が騎士たちを貫く。
どばがん、と派手な音がひとつ。騎士たちが構えた大盾はベコベコに凹み、鎧は砕け、体は埃のように吹き飛ばされる。
マイスは人族で最も膨大な神気を持ち、それを制御する手段も保有する。マイスが放つ神威魔法は人族が持ちうる最強の攻撃手段と言っても過言ではない。城壁すら容易に破壊する威力は盾や鎧で防げる限度を超えている。
「!?」
足を掴まれる感触。迫っていた教会騎士は吹き飛ばしたのになぜ。
マイスが足元を見ると、教会騎士に踏みにじられていた狂信者たちがまとわりついていた。
死んでも離さない、という気迫でマイスの足にしがみつく。
先ほどの『鉄槌』は戦意をなくした兵士を巻き込まない程度の規模で放った。
攻撃範囲を絞った魔法は過たず騎士たちだけに命中した。
騎士たちの足元で、踏まれてなおマイスの足止めをしようとする狂信者たちを残して。
「よくやった! 貴様らは英霊として神のそばに迎えられるであろう! ――放て!!」
「「「神罰術式『降雷』」」」
ユシンの号令で浄罪詠士たちが術式を解放した。
天が光った。
次の瞬間、青白い光の柱が立った。
つんざく轟音。多くの兵士たちが余波で吹き散らかされ、もうもうと土煙が立つ。
『降雷』は複数の術士が連携して放つ魔術である。その効果は至って単純、魔力と神気を込めて放つ落雷だ。
今回の術式は百人規模で連携したもの。詠士ひとりひとりが持つ神気は微少だが、聖域の力を借り、大勢の魔力と神気を束ねたことで規格外の威力となった。
「この一撃ならば魔王だろうと滅ぼせる。いかに神託の勇者といえどもただでは――」
ユシンはゆがんだ笑みを浮かべる。教会信者を巻き込んだ罪悪感などまるでない。
これで勇者と魔王を倒した目障りな若造に立場を脅かされる心配がなくなる。それどころか魔王以上の脅威を葬ったものとしてユシン自身が聖騎士となる道すら開かれる。
「神威魔法『天壁』」
そんな皮算用は十秒立たずに土煙ごと吹き飛ばされた。
『降雷』が突き刺さったまさにその場所にマイスが立っていた。その頭上には金色の光でできた盾があった。役割を果たした盾は光の粒子となって消えた。
足にしがみついた狂信者たちは『降雷』の衝撃で気絶していた。彼らを振り払いながら、ユシンと目があったマイスは鼻で笑った。
ユシンは前線に立つ騎士に守られる詠士よりさらに後ろ、最後列に陣取っていたが、自ら撃たせた『降雷』の余波で部下は軒並み吹き飛ばされてしまった。
マイスとユシンの間を隔てるものは何もない。
「大した威力だが、馬鹿じゃねえの。俺に神気が効くわけねえだろ」
いかにマイスが強いと言っても百人が協力して放った神罰術式を撥ね退けることは難しい。
しかし、神気が使われているなら話が変わる。マイスは人族でぶっちぎりの神気適性を持つ。その適性たるや、普通のパンチに教会秘蔵の聖剣を上回る神気が宿るほどである。神気への干渉力も並ではない。
『降雷』が放たれた瞬間に術式に割り込み魔力と神気を分断、奪い取った神気で『降雷』の威力を相殺しつつ防壁を展開するという離れ業をこなした。これがただの攻撃魔術であったなら無傷とはいかなかっただろう。
「助かったよ、おかげで鬱陶しい狂信者たちをはがす手間が省けた」
「ひっ……」
「次はお前だ」
マイスがユシンに歩み寄る。一応はユシンも教会騎士だがせっせと肥やした腹は重く戦いに向かない。
もっとも、マイスが相手であれば全ての教会騎士が無力なので鍛えていようと結果は変わらないのだが。
「だから言ったんです。兵士なんていくら連れてきたところで怪我人を増やすだけだと」
例外があるとすればたったひとり。
神託の勇者に頼らずとも魔王を殺せるよう鍛えた者。
神託の勇者と共に魔王を打ち倒した者。
「……ここにいたか、シエン」
シエン・ディンをおいて他にいない。
「ここは教会が管理する最大の聖域だ。きみなら真っ先にここを襲うだろうと思った」
「聖剣なんぞぶら下げやがって。俺の前に立つってのがどういう意味か分かってるんだろうな」
「当然。きみこそ自分が何をしているのか分かっているのか」
「教会への反逆だってか? ンなこと――」
「そんなくだらないことを言っているんじゃない。神殺しがどんな結果をもたらすか理解しているのか、と聞いている」
シエンの目つきは鋭い。底冷えするような怒気がにじむ。
「魔王を倒すため力を貸してくれた恩を仇で返すことになるってか? それとも魂の管理者が不在になることか?」
「どちらでもない。神を殺すとは、人々の希望を奪うことだ」
魔王討伐に協力してくれたことは人族にとって大きな恩だがマイスにとっては違う。むしろ負担を押し付けられた印象が大きい。
神は生命を司るものとして崇められているが、マイスとシエンはそのことに懐疑的である。
弱肉強食を自然の摂理とするなら人族を特別扱いして助ける必要がない。魔族だって生きているという点は人族と変わらないのだから。
おそらく神は生命循環を補助するものだ。あった方が人族にとって好都合だが無くても困らないだろう。
しかし、多くの人族にとって神はそれだけの存在ではなくなっている。
「いつ死ぬとも分からない世界で、死後は神に迎えられるという教えは救いになる。邪悪な魔王を倒したのは神託の勇者。きみと神の存在は人々の命だけではなく心も救っている」
「そのわりには失敗扱いされるけどな」
「そんなの一部の馬鹿だけだ。多くの人々はきみに心から感謝している。ありがとうと涙を流しながら頭を下げる人たちを見たことがあるだろう。本当に全ての人がきみを失敗者と馬鹿にしていると思うのか」
「………………」
マイスの沈黙は雄弁に答えを語っていた
「神託の勇者が神を殺した。そんな話が広まれば大陸中が大混乱に陥るだろう。そうならないよう情報は秘匿したが、こうして兵士が集められた以上いずれは噂が広まる。その時にきみが本当に神を殺してしまっていたら、噂は事実となって燃え上がる。多くの人々が恐怖と不安に再び苛まれることになる。きみはそれを良しとするのか」
シエンが言ったことくらい分かっている。だからこそ騒ぎにならないよう教会上層部に宣戦布告したのだ。
宣戦布告は秘密裏に行った。
教会はマイスの力をよく知っている。マイスが本気と分かれば戦おうとしないと読んでいた。
実演した通りマイスの戦力は桁外れだ。自分たちの利益と保身しか考えていない教会上層部がマイスと事を構える確率は低かった。
誤算はマイスとの戦力差を図れない盆暗が上層部にいたことである。
「良しとはしない」
魔王が倒れようやく未来に向かって歩き始めた人々の邪魔をしたいとは思わない。
「だったら――」
「だが、神は許さない。それにさ、俺が本当に神を殺したとして、誰がそれを事実と確かめられる?」
マイスの目には深い怒りが宿っていた。
神は人前に姿を現さない。死んだとしても気が付ける者はいない。マイスが神を殺そうとしたと噂が広がっても確かめる方法はない。なんなら見つからなかったと嘘をついてもいい。
「人族はこれから未来に進むんだろう。俺はそれを応援する。
けどな、このまま泣き寝入りじゃ俺がここから動けない。落とし前つけなきゃ俺がどこにも進めないんだよ」
生まれ落ちた瞬間に刻まれた失敗の烙印。魔王を倒すという過酷な使命。
教会騎士からの暴力と嘲笑。助けたはずの人々から向けられた馬鹿にする眼差し。
世界を救えという気が狂いそうな重圧。戦場で味わった数々の辛酸。
魔王からの憐み。
どれもこれも神のせいで味わる羽目になったもの。
使命を果たした返礼は何もなく、それどころか神はマイスを挑発するような態度をとった。
ため込んだ怒りはマイスの体を内側から焼いている。
このまま『みんなのために』なんて理由で抑え続ければいつか気が狂ってしまいそうだ。
そのいつかが訪れてしまえば手遅れだ。今より分別を失くしたマイスは明確な目的もなく、ただ腹立たしいからという理由で目に付く全てを殺しかねない。
「シエンには前に話したな。俺が欲しいもののことを」
「……失敗作としてじゃない、普通の人生」
「覚えてたか」
「忘れるはずない」
「そっか。でもそれはもう手に入らないらしい。だからせめて納得したいんだよ」
過酷な使命を乗り越えた報酬は国王が用意してくれた。失敗の烙印さえ消えるのであればそれを受け取り『大変だったけどそれに見合ったものは手に入れた』と思えただろう。
最も切実な願いは叶わなかった。叶える機会すら与えられなかった。
到底許せるものではなかった。
せめて、すべての元凶である神に復讐できれば。
額の烙印を見ても『まあやり返したからな』と自分を納得させられる。
「納得して、諦めたい」
魔王は倒れ人々は未来に目を向けた。
マイスの目的は失敗の烙印を消すことだけ。魔王討伐前と何も変わらない。
烙印が消えないなら神を殴り納得し、諦めをつけたい。
それが終わって初めてマイスは未来に目を向けられる。
「……止まる気は、ないんだな」
「そっちこそ。今すぐそこをどけば邪魔したことは忘れてやる」
「そうはいかない」
「だろうな」
シエンは腰に提げた剣を抜く。
その剣は青白い光をまとっていた。
聖剣。神気をまとい、所持者に神気を操る力を与える、最強の剣だ。
マイスは黒剣を構える。
その刀身を黒い靄がとりまいている。
魔王が神を焼き殺すために作り出した、災厄の剣だ。
「力尽くでどかしてやる」
「どんな手を使っても止めさせてもらう」
「上等だ。……こうしてお前と戦うのは初めてだったな」
マイスは目を閉じ、息をついてから、言った。
「それじゃあ、ケンカしようか」
それが戦いが始まる合図となった。
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