第5話 聖域④
「一晩眠ってすっきりしたところで! 神の野郎に村の存続の是非について尋ねてみたいと思います!」
翌朝。不謹慎なテンションで重いことを言い出したマイスの後頭部をシエンとモルキルが引っぱたいた。
「お前それ冗談になってねえ。笑えねえからな」
「もうちょっとモルキルたちの立場になってくれ。他の村人に聞こえたらどうするんだ」
モルキルたち襲撃者以外はマイスとシエンが教会関係者であることを知らない。
知ったところで不安になるだけだ。わざわざ村人たちの心の平穏を乱すことはない。
「悪い悪い。でも結果はおおむね分かってるから緊張感がわいてこないんだよな」
「……本当に大丈夫なのか?」
マイスと裏腹にモルキルは不安げな面持ちである。
モルキルたちはさんざん教会に迫害されてきた。その元締めである神が魔族に寛容とは思えなかった。
もし神が居住を許さなかった場合、教会はモルキルたちを追い出す大義名分を得る。見つかってしまえばこれまで以上に苛烈な攻撃にさらされるだろう。
「いけるいける。どっちかっていうと神の野郎が応答しない可能性の方が不安だ。基本的にこっちに無関心だからな」
「そうなのか? てっきりあれこれ指図して気に食わないやつを排除しようとすると思っていたが」
「教会の上層部が腐っていようが放置するようなやつだぞ。魔王を倒すこと以外に興味を持ってないはずだ。さっそく試してみよう」
モルキルたちの村は聖域の中心部近くにある。神気密度はそこらの教会とは比べ物にならない。
ちなみに、より神気が濃い中心地を覗いてみたところ、幾重にも枝分かれした巨大な角を持つ白い鹿が寝転がっていた。
マイスとシエンは「アレに手を出すのはやめておこう」と即断した。獣や魔獣を通り越して幻獣、神獣の類である。倒そうと思ったら魔王級の戦力が死亡覚悟で情報収集し専用の対策を練ってようやく可能性が見える程度。手を出す選択肢はなかった。
むしろお供えしときたい、とマイスは手持ちで最も上等な酒を置いて遠くから手を合わせた。
村の中でも特に神気が濃い場所を選びマイスは地面に胡坐をかいた。
全身の神気を活性化し意識を集中する。
マイスの前には大きな鏡が置いてある。その横には見届人としてシエンが立っている。
「神よ、質問に答えてほしい。応答してくれ」
ぼうっとマイスの体を光の粒子が覆う。体が芯から温まるような感覚がある。
返事は来ないが教会にいる時よりは意識を発信できている手ごたえがあった。
マイスは額に神気を集める。土地の力に頼るのではなく、神に向けて自分の意志をぶつけるつもりで放つ。
「答えろ、神。少しはこっちの頼みを聞いてくれてもいいだろう」
額の文字が『失敗』から『発信』に代わる。意識がいつもより強く伝わったような不思議な手ごたえがあった。
数秒ほど発信し続けていると、額に焼けつくような感覚が生じた。
『何用』
「よしっ!」
鏡を見ると額に新たな文字が浮かび上がっていた。
マイスは拳を握りしめた。感覚でわかる。これは神託である。
モルキルたちの村を守る算段も、マイスの失敗の烙印を消す計画も有効な可能性が示された。
気を取り直して途切れかけた集中を続行する。興奮で荒くなりそうな呼吸を鎮め神への質問を口にする。
「この聖域には魔族たちが村を作って暮らしている。神にとってこれは問題か?」
『構不』
「では、モルキルたちが今後この生命の森に住むことを許可してくれるか?」
『許可』
よし、とマイスは頷いた。
振り向いてモルキルに声をかける。
「神と連絡がとれた! モルキルたちが村を作って構わないし、住むことを許可するってさ!」
「本当か!?」
「間違いないな。私、シエンが保証しよう。神はモルキルたちが生命の森で生活することを許された。よって教会はこの村に手出ししてはならないものとする」
「……じゃあもう、おれたちは逃げ回らなくていいのか?」
「少なくとも教会から逃げる必要はないな。今日の俺は機嫌がいい。どっかの馬鹿が暴走しても時間を稼げるよう対侵入者用の神威結界を設置してやろう。うかつに手を出せば反撃で消し飛ぶくらい凶悪なやつだ」
「ありがたい、ありがたいんだがそれ間違って村人を消し飛ばしたりしないだろうな」
「そこらへんも考えてるから安心しろ。ちゃんと説明書も残していく」
結界の基点を村の中に設置し、そこで設定をいじれるようにすればいいだろう。結界の維持コストは土地の魔力と神気で賄える。
そうか、そうかとつぶやいてモルキルはその場にへたりこんだ。
「ありがとう……」
モルキルは片手で目を覆っていた。そこからこぼれた水滴は見なかったことにした。
「さて、モルキルたちの問題はこれでよし。あとは本題!」
マイスはウキウキしていた。
神がマイスに与えた命令は『魔王を倒せ』という一点のみ。神託は魔王討伐に関するものだけだった。
魔王を倒したのだからこれから神託が下ることはないだろう。であればマイスの額に神託用の烙印を残しておく必要もない。用済みだ。
烙印を消す方法くらい教えてくれるだろう。
なんならその場で消してくれる可能性もあるのではなかろうか。
さすがにそれは楽観的過ぎるか、と自嘲した。
無理難題を突き付けられることを覚悟する。もう一度魔王を倒せと言われても粛々と達成してやろう。
気合を入れて神気を活性化させる。額の文字を『発信』にして、渾身の問いを放つ。
「神よ、もうひとつ答えてくれ。この額の、失敗の烙印を消す方法を教えてほしい」
頼む頼むと両手を組んで祈った。かつてこれほど真剣に祈りを捧げたことはない。
回答が来るまでの時間が果てしなく長く感じた。
先ほども回答までにタイムラグがあった。烙印を消す方法が複雑であれば数分くらいかかってもおかしくない。
「あ、やべえシエン、紙! 紙とペンある!? 消し方メモっておきたい!」
「準備してあるから安心しなよ。メモは私がとるから神との交信に集中して」
「助かるありがとう!」
シエンはいつの間にか手帳とペンを用意していた。
マイスは呼吸を整え意識を落ち着ける。神の回答を受け取り損ねたら最悪だ。
額の烙印を『発信』から『受信』に変更する。目の前の鏡に映った自分の額を凝視する。
間もなく額に熱が宿る。
神託が下ったのだ。
マイスは食い入るように鏡に映った自分の額を見つめた。思わず両手で鏡を掴んでしまう。
『不可』
「……………………は?」
マイスは放心した。額に何と書かれたのか読めなかった。
正確には読めたのだが、理解することを脳が拒否した。
散り散りになりそうな神気を体の周りにとどめる。
考えるのをやめてはいけない。戦場では思考停止したやつは早々死んでいった。現実を受け止め、適切に対処できるものが生き残るのだ。
失敗の烙印という言い方が悪かったのかもしれない。マイスが言った言葉の意味が分からないから回答不可ということかもしれない。
「……失礼しました。この額の、神託を表示するためのものですが、これを消していただきたいのです。もしくは消す方法を教えていただきたい。魔王を倒したのですから役目は果たしましたよね?」
つとめて丁寧に神に語り掛ける。そうしないとブチ切れて汚い言葉で罵ってしまいそうだからだ。人にものを頼む時には相応の態度というものがある。
見守るシエンはハラハラしている。烙印を消す方法を神に尋ねるという意見を出したのは自分なので責任を感じているのだ。
『不可』の文字が再び『発信』に変わる。
さほど時間を置かずに返信がきた。
『額の』『印を』『消す』『方法』『無い』
「……………………」
マイスの体から熱という熱が抜けていく。極限の戦闘が続き食事もとれなかった時の、重度の貧血に似た症状だ。
何の言葉も出てこない。ここからどうすればマシな未来に近づけるのか分からない。
誤解のしようもないくらい明確かつ簡潔な答えだった。
生まれてからずっと願い続けた希望は決してかなわないと突き付けられた。
教会騎士たちから虐待同然の訓練を受けた日々も、魔王を倒した苦労も全てが水の泡となった。
「ま、マイス、まだあきらめるには早い。もしかすると烙印そのものを消せなくても目立たないようにする方法があるかもしれない」
「そう、そうだな、もしかすると何か他の可能性が」
『不可』『印の』『光』『不消』
「…………………」
気を取り直そうとした瞬間に否定が入った。マイスは口をぱくぱくさせる。シエンは必死に頭を回して他の方法を探そうとするが、思い浮かばない。
モルキルも様子がおかしいことを察してこちらを伺っている。
『他に』『質問』『有』
再び額が点滅する。ありがたいことに神から御用聞きをしてくれるらしい。
「……本当に、無いんですか。隠す方法でもいいんです。もう失敗扱いされるのは嫌なんです」
か細い声が響く。
マイスにとっては唯一の切実な願いだった。
額の烙印がある以上、神託の失敗勇者という立場はついてくる。隠れて生きることも難しい。
鏡を見れば『失敗』の二文字が目に入る。自分の存在そのものを否定されるようでいつまでたっても慣れることはない。
真面目な話をしている最中に失笑されたことは一度や二度ではない。女の子と良い雰囲気になっても一瞬で台無しになる。魔王にすら二度見された。事情を察したらしい魔王が向けてきた同情の視線を忘れることはないだろう。
金は稼げばいい。地位も名誉も捨てられる。
この失敗の烙印を消すことだけは諦められなかった。
『不可』『印』『不隠』『削除』『機能』『無』
印を消す方法も隠す方法もない。削除するための機能が備わっていない。神はそう明言した。
『申訳』『ない』
神から謝罪までされてしまった。
マイスの体から力が抜ける。
もうなにもかもどうでもいい。
シエンから神をしばくのをやめてくれと頼まれたが、それは不要な約束だった。神を殴ろうという気力すら失われた。
友人の伝手を使って烙印を消す方法を研究してもらっているがどこまで当てになるものか。マイスに烙印をつけた神にすら消すことができないのでは期待できない。
一生、生きている限り失敗の烙印はついて回る。
足元が崩れていくような感覚を味わう。これが絶望というものなのだろうか。
マイスはその場にへたり込んでしまう。
「おいマイス、大丈夫か」
「だいじょばない。これからどうしよう」
人生における目標が消えた。これから何をするか決める道しるべすらなくなった。
これなら魔王を百人倒して来いと言われる方がよほどマシだった。
他にできることがあるとすれば自分で研究してみるくらいだろうか。大して勉強してこなかったマイスだが、実験体を使い放題というアドバンテージがある。
とはいえ、今は研究を始める気力すら萎え切っているのだが。
深く、あまりにも深いため息をつくマイス。するとその額に再び熱が降りてきた。
質問はもう無い。烙印を消すことができないなら神に用は無い。
まだ何かあるのだろうか。話くらいは聞いてもいいかと再び鏡に目をやった。
『許せ』
それだけの言葉。許すとか許さないとか以前の問題で、マイスはもう怒ることさえできていない。
もうどうでもいいよ、と言おうとした直後。
『マイス』
額に新しい文字が浮いた。トン、と額をつつかれたような感覚があった。
烙印に設定できるキーワードは二文字までだった。文字数が増えれば烙印の機能は大幅に拡張されるはずだったが、魔王との戦いでも二文字のまま変わらなかった。かつて文字数を増やせないかと教会で祈っても答えはなかった。
マイスは目をぱちくりしながら鏡に映った自分を見る。鏡には口を半開きにした間抜け面が写っていた。
数秒の沈黙ののち、マイスは自分の額に手を当てた。
がりっと音が聞こえそうなほどひっかいた。だらだらと血が流れだす。
「ふざっけんじゃねえ!! 何が許せだ、許せるわけねえだろうが!! しかも魔王との戦いが終わった今になって三文字解禁だと!? そんな機能拡張ができるなら今すぐ消す方法を実装しやがれ!」
『不可』
「不可じゃねえんだ役立たず! 同じことしか言えねえのか!」
『無理』
「リクエストに応えて違うこと言ってくれたかどうもありがとう。…………よし分かった。喧嘩売ってんだな? その喧嘩買ってやる。お前のデコには無能の烙印を入れてやる。そのうえでぶっ殺す。首洗って待っていやがれ!」
マイスの目に真っ暗な光が灯る。
額の烙印を消す方法は分からないままだがひとつの目標が生まれた。
神許さん。ぶっ殺す。
「おい神、てめえどこにいる。今からぶん殴りに行ってやる」
応答はない。マイスは舌打ちした。
自分から喧嘩を売っても居場所を伝えるつもりはないらしい
「となると、神の野郎の居場所を突き止めるところからだな」
「……マイス、私との約束。神をしばくのは撤回すると言ったよね、殺すだからアリ、というのは筋が通らないよ」
「神から喧嘩を売ってきたら買うとも言った。そしてお前は構わないと言った。人の希望を全否定した挙句に魔王との戦いですら寄こさなかった烙印の機能拡張を今更寄こしてきた。俺の基準だとこれは結構な挑発なんだが、シエン的には違うか?」
「それは……」
否定できなかった。シエン自身、烙印の機能を拡張できるならもっと早くにやれと思ってしまった。
神が喧嘩を売ったと言われても仕方がない。
「なんか物騒な話が聞こえるんだが、話しかけていいか?」
「どうぞ! 結界はちゃんと張るから安心しろ!」
「た、助かる」
キレ気味に返されたモルキルは腰が引けている。
腕を組んで悩んだそぶりを見せてから再びモルキルは口を開く。
「今の話だとマイスは神と戦うつもりってことでいいのか?」
「ああ。もう許さん。居場所を見つけ出してバラバラにしてやる」
「なら伝えておきたいことがある。神には聖域に住むことを許してくれた恩はあるが、そもそも村を焼いたのは教会連中だしな。マイスへの借りの方がでかい」
「モルキル? 何を……」
「魔王は神を殺そうとしていた。そのために居場所を調べ、神を殺す武器を作っていた」
「……ほう。それなら魔王領に行って魔族の残党を締め上げれば情報が出てくるか?」
マイスは魔族から話を聞き出す算段をする。
魔王城近辺にいた魔族は魔王の瘴気で理性を失いバケモノとなっていた。生き残りがいても会話は難しい。逆に瘴気濃度が低かった場所は教会騎士が攻めている確率が高い。
となるとふたつにひとつだ。
教会騎士が活動するのに支障があり、魔族が理性を失わないくらいの瘴気濃度の土地を探すか。
あるいはこの村のように、魔族が隠れ住む場所を見つけるか。
「待ってくれマイス。モルキル、なぜあなたはそんなことを知っている? でたらめを言っているんじゃないだろうな」
「信じなくても結構だ。借りを返すために知っていることを伝えるだけだからな。魔王の目的は魔王領に住んでいたものなら誰もが知っていることだ。なんなら他の連中に聞いてくれてもいい」
今のマイスは暴走しかねない。なんとか止めようと言いがかりをつけてみるがモルキルは平然としている。その言葉には信ぴょう性があった。
「神の居場所を探っていたことについて知っているのは、おれは魔王軍の調査部隊に所属していたからだ。魔王領から逃げられたのもその頃の伝手と情報があったからだ」
モルキルは聖域の所在地を調べていた。生命の森の場所を知ったのはその時だ。
荒野のど真ん中にあり人族もめったに寄り付かない。食料が豊富で魔物さえどうにかできれば食べるものに困らない土地がある。
かろうじて仲間たちの体力がもつ距離だと踏んだから荒野の行軍を決心できた。
「じゃあ、知っていることを洗いざらい教えてもらえるか」
「下っ端だったからあまり詳しいわけではないがな。まず神を殺すための武器についてだが、魔王城で研究していると聞いた。神気を反転させることで、強い神気を使うものほど大きな傷を負う仕組みらしい」
「魔王城はまだ瘴気が残留してるはずだ。教会連中も入れないだろう。探しにいく価値はあるな。見た目は分かるか?」
「刀身が黒い剣らしい」
「それってもしかしてこんな感じ?」
マイスは腰に帯びていた剣を抜いた。
刀身は真っ黒で、うかつに触ったら呪われそうなオーラを放っている。
「そうそう、そんな感じじゃないか……どこから持って来たんだそれ」
「魔王を倒した後、帰り道で拾った。なるほど神気を流すと邪悪オーラが強まるな……あっつ!?」
試しに神気を刀身にまとわせると黒い靄がにじみ出た。靄が手首に触れると熱した鉄を押し付けられたような痛みがあった。マイスが無意識にまとっている神気の守りを貫通してきたのだ。慌てて神気を引っ込める。
決戦の後半、魔王は自らの瘴気に冒され理性を失っていた。膨張した肉体による質量攻撃と再生能力は厄介だったが、この剣を使われずに済んだことは幸いだった。
「なんだこれ。あっぶねえな」
「研究者たちはそれを黒炎と呼んでいた。神の居所についてだが、すまない。こちらはさらに情報が少ない。『神域』と呼称されていたことと、どこかの聖域の奥にあると予想されていたことだけだ」
「十分だ。少なくとも魔王はこの剣を持って行ける場所と想定していたってことだろう? 聖域に片っ端から殴り込めばいずれは行きつく。……具体的な目標があるってのはいいもんだな」
いずれ辿り着けると分かっていればその道中だって楽しめる。
烙印を消すという話はあれほど進まなかったのに神を殺す算段は都合が良すぎるくらいとんとん拍子に決まっていく。
マイスは口角をつり上げて笑った。
「これが神の思し召しってやつかね」
一週間後、神託の勇者マイスは教会に全聖域の調査を申し出た。
教会は勇者マイスの目的は神の殺害であると断定、申し出を断った。
同日、マイスは教会に対し宣戦布告した。
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