第3話 聖域②

 マイス・ティークは神託の勇者であり、国家最高戦力である。

 しかしその実、剣も魔法も特筆するほど優れているわけではない。一般的な意味での最上級には到達しているが、剣術では剣聖ギルツに遠く及ばず、魔法の威力は老賢者イクスプロドのと比べれば豆鉄砲にすぎない。総合力では教会騎士シエンが僅差で上回る。

 ではなぜそんなマイスが最高戦力に数えられているのか。

 その答えはマイスの額に浮いている。

 普段なら『失敗』の二文字が光り輝くそこには今『捕捉』の二文字が浮いていた。


「話をしたいだけだ! 命を取るつもりはない、止まれ!」


 マイスは全く土地勘のない森の中で、樹上をはねるように逃げる襲撃者を完全に捉えていた。

 襲撃者は木の枝を伝い立体的に移動する。ときたま見える後ろ姿は暗緑色の外套をまといフードをかぶっているので見失いやすい。

 通常なら身体能力で上回っていようが居場所を突き止めることすら困難だろう。

 

「俺の額を見ろ! 俺は今、お前の動きを完全に捕捉している! 大した逃げ足だが、息が切れていることも分かっている。いずれ追いつかれるのに必死こくだけ損だぞ!」


 マイスに与えられた失敗の烙印は神託を伝えるだけのものではない。

 額の文字を変えることで神気に任意の方向性を与え、目的の能力を獲得できるのだ。

 二文字が限界とはいえ極めて汎用性が高い能力である。ただの身体強化にしても強化魔術と併用できるため桁違いの効果を得られる。

 ちなみに額の文字を変えておける時間はそう長くない。無理をすると加速度的に強くなる頭痛と吐き気に苛まれることになる。

 

「ええい、うっとうしい……」


 そんな超生物であるマイスだが、今は逃げる襲撃者を追いながら難儀していた。

 襲撃者の逃げ方は巧みである。逃げながら矢を射てきたり、ガレキを落とすトラップを活用したりと舌を巻くような技術がある。

 まったくもって大した逃げ足だが、本気を出したマイスから逃げ切れるほどではない。


「本気の強化を使えないのがこれほど面倒くさいとは。かといってうかつに使って力加減を間違えたら大惨事になる」


 マイスにはひとつの欠点がある。手加減がヘタクソなのだ。

 魔王軍との戦いは手加減していられるものではなかった。やらなければ自分がやられるのだから容赦なく敵を仕留めてきた。

 逃げる相手を殺さず捕まえる、というミッションは初めてのことだった。


 何なら殺してしまっても問題はない。聖域を不当に占拠している罪人を処分した、と主張すれば功績になるくらいだ。相手も何度か殺す気で矢を放ってきているので手加減する道理は本来無い。

 

「それは気分が悪いよな。まるっきり弱いものいじめだ」


 襲撃者の最初の一射はマイスの足元を狙ったものだった。殺気がまるでこもっていなかった。かわさなくても体には当たらず地面に刺さっただろう。

 マイスには襲撃者の行動が『侵入者を殺す』ものではなく『頼むから帰ってくれ』という意図に思えて仕方なかった。

 一部殺意がこもった攻撃もあったがマイスには通じない。子供が木の枝片手に殴りかかってきたのと大差ない脅威度である。その程度に怒って殺してしまったらマイスが罪悪感でピンチになる。

 なんとなく襲撃者の正体にも見当がついてきた。

 

「ちょっと荒っぽくいくか」


 聖域の中央部からはかなり離れた。中央部に何かいたとしても刺激する確率は大幅に下がっている。

 樹上を動き回る相手を手加減しながら捕らえるのは至難だが、馬鹿正直に追いかけ回すばかりが能じゃない。やりようはある。

 マイスは逃げ回る襲撃者の後姿を観察する。狙うのは襲撃者があらかじめ仕掛けたトラップを起動する瞬間。罠を起動するためロープを切るので襲撃者の動きが一瞬に鈍る。そして襲撃者はそのタイミングで方向転換する癖があると見抜いていた。

 まもなくその瞬間は訪れた。襲撃者が足を止めて予め仕掛けていたワイヤーを切り、方向転換して他の木に向かって跳躍した。

 樹上に仕掛けられた岩が落ち複数の弩がマイスがいる地上に矢を放つ。


 マイスはそれらすべてを無視した。額の烙印を『捕捉』から『強化』に変更し、肉体強化の魔術に神気を上乗せする。

 二重の強化がもたらすのは爆発的な加速。落石も矢も置き去りにしてマイスは襲撃者が飛び移ろうとした木の根元に到達する。

 

「おらぁ!!」


 そして勢いのまま木を蹴った。

 長い年月神気の影響を受けながら育った木はおそろしく頑丈だった。マイスの蹴りを受けても折れず、幹に足がめり込むこともなかった。

 しかし衝撃全てを吸収することはできなかった。木は大きく揺れてわずかに傾いだ。

 そのわずかな傾きが襲撃者にとっては大問題だった。足をかけようとした枝の位置がずれたのだ。襲撃者の右足が空を切る。

 襲撃者は慌てて手を伸ばす。指は枝をかすめるも掴むことはできなかった。

 ばきばきと小枝を下りながら襲撃者は落下する。

 急速に地面が迫る。頭から落ちれば襲撃者の命は無いだろう。


 いっそそれが良いかもしれない。あの侵入者はバケモノだ。倒すことはもちろん、逃げ切れる未来が見えなかった。

 人族は時に凄惨極まる拷問を行うと聞く。意識をもうろうとさせる薬物もあるらしい。

 仲間を売るつもりはないが、自分がどこまで耐えられるか分からない。

 このまま死んでしまえば自分の死体以上の情報は相手に渡らない。

 

 そう考えた襲撃者が体の力を抜いた時だった。

 落下する感覚が急激に薄れる。体に負担がかからないよう気遣って受け止められたのだとわかる。

 いったい何が、と思った直後に襲撃者はうつ伏せで地面に押し付けられた。

 後頭部を掴まれ額に膝を乗せられ動きを封じられる。

 

「やっとお話できるな」


 なんとか背後に視線を向けると、額に失敗と書かれた青年が犬歯をむき出しに笑っていた。

 

 ―――

 

「さて、ツラ拝ませてもらおうか」


 取り押さえた襲撃者の背中に乗りフードに手をかけるマイスは場末の野盗のような顔をしていた。森の中の追いかけっこで若干ストレスがたまっていたのだ。

 露わになったのは男の顔だった。

 しかし顔立ちはマイスと大きく異なっていた。

 男の顔には髭とも髪とも違う体毛が生えていた。肌は赤みがかっており耳はとがっている。周囲が暗いためか、瞳をよく見ると瞳孔が縦長になっている。


「やっぱり魔族か。猿魔系か?」


 魔族。マイスが討伐した魔王が率いていた種族である。

 獣の特徴を持った種族が獣族と呼ばれるのと同じように、魔物の特徴を持つがゆえに魔族と呼称される。

 魔物と獣の違いは生存に魔力を必要とするかどうかである。たとえば獣の猿は魔力が無くても生きていけるが、男が特徴を持つ猿魔は優れた聴覚と身体能力を持つ一方で魔力が尽きると肉体を維持できず死んでしまう。

 

「だがなぜこんなところにいる? 神気に紛れて気付かなかったがこの森は魔力に満ちている。魔族もここなら住めるだろうが、ここは聖域だ。教会に見つかったら死ぬよりひどい目に遭わされるぞ」


 魔王は明確に神と敵対していた。魔王はもともと魔族を率いているだけの王だったが、その脅威度から聖典を引用し『魔王』と呼称されるようになった。

 魔王は神敵であり魔王に従う魔族も邪悪な神敵である。

 そんな理屈で教会は信者を煽り戦わせた。信仰心の強さに比例して魔族への敵愾心が強くなった。

 マイスも信者を魔族にけしかけたことを責めるつもりはない。魔王を野放しにしていればいずれ人族は滅亡していたからだ。モチベーションを与えて動かしたことはむしろ賞賛に値すると思っている。

 魔族と戦ったことで大勢の信者が死んだ。信仰心に家族や友人の仇に対する敵意が上乗せされ、生き残った魔族への仕打ちは話を聞いたマイスが顔をしかめるほどである。

 戦時中は捕虜に対する扱いも苛烈だった。彼らに教会関係者と名乗ったら警戒されるのは当然だろう。

 

「……話すことはない。殺すなら殺せ」

「いや殺さないよ。それよりあんたの名前は?」

「………………」


 それきり男は黙りこくった。

 呼びかけても軽く背中を叩いても反応しない。

 マイスはため息をついた。これでは話にならない。

 

「じゃあ話さなくていいからさ、仲間にも俺を攻撃するのやめさせてくれよ。この土地の中心部で神と対話できるか試したいだけなんだよ、俺は」

「………………」

「そうしてくれるなら教会にあんたらと遭遇したことは黙っておく。どうだ」


 男は黙ったまま目を閉じている。抵抗はないが会話にも応じない。決して情報を渡さないという意志を感じる。

 マイスはとてもイラっとした。マイスにしてみれば聖域を不法占拠している輩に、何もしていないのに矢を射かけられのだ。返り討ちにしてしまうのが普通である。

 それでも襲撃者を生かしたまま捕らえ、譲歩の提案までしたのに無視された。優しさもそろそろ品切れである。

 

「そういう態度を取るならこっちにも考えがある。聖域に侵入して居座る魔族がテロを企てないとも限らないからな」

「………………」

「手足を引きちぎって生きたまま獣のエサにしてやるよ」

「………………」


 適当に脅してみたが反応はない。そのくらい覚悟の上ということか。

 ますます放置しておけなくなった。魔王軍の残党は戦場で逃げ出した連中がほとんどだ。適当に脅せば面白いように情報を吐いた。

 マイスの力を見たうえで脅されても身じろぎひとつせず黙っている。こういう手合いは自分の命を投げ捨てることに抵抗がない。先ほどは脅し文句として口にしたが、本当にテロリストになる可能性がある。

 せっかく魔王を倒したのにテロに怯える生活を送るなんて冗談じゃない。マイスの知人友人はマイスほど頑丈じゃないのだ。もし友人がテロで殺されたらマイスは魔族を許せなくなる。

 強い意志を持つ人間には強い動機がある。マイスは揺さぶり方を変えることにした。


「……ああ、安心しろよ。獣のエサにするのはお前じゃない。お前の家族だ」

「………………っ」


 男の体がごくわずかに揺れた。

 

「反応したな。やっぱりいるんだな」

「………………」

「隠しても無駄だ。住んでるのは聖域の中央付近だな? 逃げる時にもそっちにだけは近寄らないようにしていたもんな」

「………………」

「手足をもいだお前を手土産として持ってってやるよ。それに一番大きく反応したやつがお前の家族だろう。特にひどい目に合わせると約束してやる。お前は生かしておいてやるからそれを特等席で見ているといい」

「…………やめてくれ」

「ん?」

「……攻撃をやめさせれば、俺の家族は助けてくれるのか」

「当然。もともと俺はお前らに興味ないんだよ。俺の邪魔をしなければお前らの生活を邪魔する理由がない。テロなんて企んでないことくらい分かってるしな。くそったれな教会に協力する義理もない」


 テロリストになりかねないとは思っているが、今のところは考えていないだろうと推測している。

 もしテロリストならば本拠地に近づいた相手に警告して帰らせようとは考えない。徹底して隠れるか、警告などせずに先手をとって確実に殺そうとしただろう。

 襲撃者たちの対応は全体的に中途半端だった。だからこそマイスも対応に迷って余計な時間をかけてしまった。

 

「……わかっ――」


 男が苦り切った顔で頷いた瞬間だった。

 一本の矢が飛んできた。

 矢じりには溝がある。そこには毒が埋め込まれている。

 その矢はマイスを狙ったものではない。

 マイスが取り押さえた男の首を狙った一射だった。

 

「くだらない真似するんじゃねえよ」


 矢は命中した。

 魔族の男の首にではない。

 マイスの右手の甲に突き刺さっていた。強力な毒だったようで傷口が青紫色に染まる。

 矢を引っこ抜いてマイスは立ち上がる。取り押さえていた魔族の男は放置した。

 男はマイスが放り捨てた矢を見てようやく何が起きたのか理解した。

 

「なぜ、助けた……?」

「敵じゃないなら助けられる命は助けとくって決めてんだ」

「おれはお前の敵だぞ」

「攻撃をやめさせろって言ったら頷いただろ。もう敵じゃない。せっかく生き残った命なんだから大切にしろ」


 マイスはもう男を見ていなかった。

 男を毒矢で射殺そうとした襲撃者を睨みつけていた。

 木々の中に隠れているので姿は見えないが居場所は看破していた。ほとんど音を立てずに逃げているがマイスはとっくに『捕捉』している。


「借りるぞ」


 魔族の男が使っていたクロスボウを拾い上げる。

 マイスは襲撃者の方へ全力でクロスボウを投げつけた。

 クロスボウは枝にぶつかり壊れながらも襲撃者の背中を直撃した。


「ぐっ――」


 襲撃者は転びながらも受け身を取り、勢いを殺さずに再び駆け出した。

 駆け出そうとした。

 背後を振り返って様子を伺おうとしたところ、顔に強い衝撃があった。進行方向とは真逆の方向に向かって転がってしまう。

 

「さっきも遠くから俺らの背中を狙ってたやつだな? やることがヌルいんだよ、必要なら仲間を殺すけどできれば自分はやりたくないってか? 俺が殺すならそれでヨシ、とか思ってやがったな? そのヌルさのせいで他の仲間がいるってバレたぞ」

 

 襲撃者の前にはすでにマイスが回り込んでいた。額には『活性』の文字が浮かんでいる。

 魔力と神気の二重強化で先回りし、襲撃者の頭を死なない程度に蹴り飛ばしたのだ。

 襲撃者はバケモノを見るような目をマイスに向ける。まだ顔は見えていないが怯えていることは手に取るように分かる。

 先ほどまでの整ったフォームの面影も残さず、不細工ながらも必死の走りでマイスから逃げようとする。

 今度はマイスは追わなかった。

 

「これで三人目かな?」


 シエンが来ていたからだ。片腕でもうひとりの魔族を担いでいる。

 シエンはマイスよりはるかに器用に戦う。敵を殺さず確保する手段も豊富に持っている。

 襲撃者の腹にそっと手が添えられた。襲撃者がそれに気づくより早くばちんと音がした。

 電撃により筋肉が弛緩した襲撃者はその場に崩れ落ちた。

 

「さすがの生かさず殺さずぶりだな。ナイス確保」

「それよりマイス、その手はどうしたんだ。この程度の相手に手傷を負うきみじゃないだろう」

「今お前が気絶させたやつが毒矢で仲間を殺そうとしたんだよ。手甲があるつもりで手ぇ出したもんだから刺さっちまった。もう抜いたし解毒もかけたから大丈夫だろ。すぐ治る」

「……魔法毒はともかく、普通の毒はそれじゃダメだよ」

「えっ」

「解毒魔法は毒性のある物質を消滅させるわけじゃないから、物質毒はきちんと毒そのものを取り除いてから解毒しないと後から傷が内側から腐ったりするよ」

「………………!? や、やだなんかかゆくなってきた気がする!」

「ああもう、中途半端な処置をするから! 傷をえぐって毒を取り出す。痛いけどがまんしろよ!」

「ギャーーーー!?」


 無敵の勇者は傷口をいじられ悲鳴を上げた。

 魔力と神気で固めていなければ勇者だってこんなもんであった。

 

 ―――

 

「……シエン、痛み止めとか持ってない? 薬でもいいけど」

「無いよ。勉強不足の対価と思って甘んじて受けろ」

 

 涙目のマイスと呆れ顔のシエンは並んで森の中を歩いている。

 二人はそれぞれ一人ずつ捕獲した襲撃者を担いでいる。念のためその辺に生えていたツタと襲撃者自身が来ていた外套を使って縛っている。

 フードを剥いで顔を確認したところ二人とも魔族だった。ひとりは猿魔系の男、もうひとりは女のようだが見た目は人族とほとんど変わらない。担いだところ異様に軽かったので鳥系と思われる。

 

「やっぱり三人だけじゃなくて他もいるんだね」

「ああ、家族が住んでいるらしいから、集落規模はあるかもしれない」

「思ったより大事だなあ。面倒ごとにならないといいけど」

「黙って放置しておけばいいんじゃないか?」

「そうもいかない。こういう問題は放置したら火種が大きくなるんだ。早めに対処しておかないと。集落の規模によってはどうとでもなるけれど、どんなものか聞いている?」

 

 聞き出した情報を伝えるとシエンはうなりだしてしまった。

 マイスも教会に所属しているが教会への帰属意識は薄い。神託の勇者が教会を抜けるとカドが立ちそうなので籍を置いているだけで、用が済んだら近寄ることもなくなるだろう。当然、教会関係の問題は全力でスルーする。面倒くさい。

 シエンは自らの意志で教会騎士という生き方を選んだ。教会の問題に対して当事者意識がある。聖域に魔族が住んでいると知ったら無視できない。将来の禍根はなるべく無くしておきたい。

 どう対応するのが正解か苦慮するシエンにマイスは他人事のように言う。

 

「まあ、何はともあれ情報収集だ。情報が足りないのにウダウダ考えてもらちが明かない。必要なことはこいつが教えてくれるんじゃないかな、と」


 二人はマイスが襲撃者を捕らえた場所に戻ってきた。

 マイスが捕らえた男は何の拘束もされていない。逃げている可能性もあったが、男は木に背中を預けて休んでいた。

 

「……戻って来たか」

「あんたは逃げなかったんだな」

「逃げても捕まるのがオチだ。おれが逃げたら仲間に攻撃させないという約束を反故にしたと思われても仕方ないだろう。探されて、仲間たちを全滅させられる危険なんて冒したくない」


 痛む体に鞭打って男は立ち上がった。

 

「おれはモルキル。矢を射掛けたことを謝罪する。すまなかった。これから仲間たちにはあなたたちを攻撃させないと約束しよう」


 モルキルは深々と頭を下げた。

 

「あいよ、許した。気にすんな。それよりこいつの話を聞いてやってくれないか」

「恩に着るが、話とはなんだ? 教会騎士と言っていたな。教会関係者が、おれたちに何の用だ?」


 モルキルは頭を上げてシエンに視線を向ける。

 その態度には猜疑心がありありと浮かんでいる。マイスに紹介された手前邪険にはしないが友好的とも言い難い。

 シエンはモルキルを刺激しないよう捕らえた男をそっと地面に横たえた。

 

「改めて、私は教会騎士のシエン・ディン。今のところあなたたちと敵対する意志はない」

「今のところ? いずれまたおれたちの村を燃やすのか?」

「ここは教会が管理する聖域だ。不法に占拠するあなたたちを放置することはできない」

「おれたちに他に行く当てはない。おまえたちに奪われたからだ。まだ奪い足りないと言うのか」


 モルキルは歯を食いしばりうつむいた。

 前の村を失い死に物狂いで荒野を越えて生命の森にたどり着いた。

 一見、生命の森は食料に満ちている。植物は豊富で動物も豊富である。

 しかしモルキルたちが食料を調達するのは簡単なことではない。食料の大半は魔物や肉食獣の縄張りに生息しているからだ。

 生命の森を囲む荒野を越えられるだけの食料を確保することは困難で、仮に確保できても行き場はない。

 喉の奥から嗚咽のような声が漏れる。

 

「おれたちだって好きで魔族に生まれたわけじゃないんだぞ。せめて他の種族に生まれてさえいれば……」


 魔王領はろくな場所ではなかった。強いものが幅をきかせ、弱いものは虐げられる。そんな土地になってしまった。

 そこから逃げ出して遭遇したのは魔族を敵視する教会勢力だ。魔族だから、というモルキルたちにはどうしようもない理由で攻撃してきた。

 泣き叫びたかったが涙はとっくに枯れていた。押し寄せる理不尽に心がきしむ。

 シエンはその様子を見て目を逸らした。聖域を不法占拠する魔族を放っておけないが彼らの生活を脅かしたいわけではない。

 

「おいモルキル、生まれで全て決まるようなこと言うんじゃねえ」


 重苦しい沈黙を破ったのはマイスだった。その声には怒気が満ちている。

 

「お前になにが分かる。魔族に生まれたというだけでどこかに住むことも許されないおれたちの気持ちが分かるのか!?」

「分からん。俺は魔族じゃないからな」

「ならだま――」

「黙れとか言うんじゃねえぞ。そういうお前こそ生まれつき失敗の烙印を捺された人間の気持ちが分かるのか」


 モルキルは顔を上げる。

 目の前の青年の額には『失敗』の二文字が輝いている。

 自分のところに戻って来た時から疑問に思っていた。なぜわざわざそんな文字を額に入れているのか。

 

「さっきとは文字が違っている気がするが」

「二文字が限度だけど一時的に変えられるんだよ。デフォルトは『失敗』だ」

「それは、生まれた時からずっとついているのか?」

「ああそうだよ、何をやっても消えない呪いの印だ。おかげで魔王を倒そうが何をしようが失敗扱いされる」


 生まれた瞬間から魔王を倒すという宿命を押し付けられた。

 額には失敗の烙印。教会から与えられるのは英才教育の名を借りた虐待同然の訓練。偉業を成しても帰ってくるのは嘲り混じりの薄ら笑い。

 マイスが並外れた精神力の持ち主でなければ自殺していてもおかしくない。

 

「無神経なことを承知で言うぞ。生まれで全て決まるなんてない。あってたまるか。……シエン! 気が変わった。この件に首突っ込む気はなかったが、やめだ。口出しさせてもらう」

「そうは言っても丸く収める方法なんてあるのか? いくらマイスの言うことでも教会が聖域に住む魔族を放置するとは思えない」

「俺じゃダメでも土地の所有者が言うなら文句ないだろ」

「……まさか」

「思い知らせてやる。生まれで全部決めさせてなんかやらねえ」

 

 マイスは獰猛な笑顔を浮かべた。

 もともと教会関係の問題に関わるつもりはなかったが、今回は例外だと決めた。

 マイスにはたったひとつ、教会とモルキルたちが対立しない方法に心当たりがあった。

 シエンは納得顔で頷く。うまくいけばシエンにとっても良い結末を迎えることができそうだ。

 モルキルだけはマイスが何を言っているのか分からず困惑顔である。

 

「さしあたって、こいつらをどっかに寝かせてやろう。この辺に放置ってわけにもいかないだろ。俺たちがいなくなったら獣に襲われそうだ。担いでってやるから村へ案内してくれ」


 マイスは「こいつら」と言いながら自分たちが気絶させた襲撃者たちを指さした。

 こうしてのんびり会話していられるのはマイスとシエンが周囲を威圧しているからだ。

 もしマイスたちがいなくなればモルキルたちは獣の群れに食い散らかされるだろう。

 

「村へ? いくらなんでも、それは……」


 村には仲間がいる。その多くは一人では生命の森を歩くことすら難しい。村の居場所を突き止められたら、攻撃された時点で全滅は確実である。

 まだマイスたちを信用しきれていない。特にシエンを怪しんでいる。

 

「言っとくけど案内されなかったらモルキルを尾行するから。俺から逃げ切れると思うな」


 特に意味はないがマイスは額の文字を『無駄』に変えて光らせていた。

 モルキルは葛藤する。

 マイスは村が聖域の中心近くと当たりをつけている。罠を駆使して逃げるモルキルを捕まえるほどの能力を持っている。

 罠は底を打った。重荷なかまを抱えて追跡を撒けるとは思えない。

 かといって危険な教会関係者を非戦闘員がいる本拠地に連れていくわけにはいかない。最悪の場合を考えるなら気絶した仲間二人を殺して自決するしかない。そうすれば情報漏洩は最小限で済む。

 

「う……」


 モルキルが即断できず答えに窮していると、マイスが担いでいた女がうめき声を漏らした。

 まだ意識が戻らないその顔は青白く、マイスに蹴られた頬のあたりは赤黒く腫れてきている。

 モルキルはそんな娘を見て、力なく肩を落とした。

 

「……わかった、案内する」

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